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ファインダーの向こう側、僕らは恋を間違える  作者: 佐々森渓


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14/15

さよならシンデレラ

 十二月も大詰め。少し、雪のちらつく日だった。

 足元には、踏み荒らされて薄汚れた雪の残骸が積もっていて、みんな滑らないように、ペンギンみたいな歩き方をしていた。


 そんな人々の行き交う様を見詰めるトシヤは、四月のあの日と同じように、接続駅の広場にいた。

 分厚いコートをキッチリと着ている彼は、その下にも毛糸のセーターを着ていたりと防寒対策に余念がない。寒がりなのだ。


(よくもまあ、あんな格好で歩けるよなぁ)


 見つめる広場には、イルミネーションが施されていて、何処か浮ついた雰囲気が満ちている。

 トシヤと同じようにコートで歩く人がいたかと思えば、薄手のジャケットで歩き回っているものがいたりと様々だ。


 中でも目を引いたのは、足を出している女性たちだ。ロングブーツを履いているので、もしかすると暖かいのかもしれないが、ブーツとスカートの切れ目にはストッキングくらいしか防具がない。

 ファッションは我慢だ、なんて言って茶化したのはつい最近のことだが、本当に強かというほかない。


(あいつは、どんな格好をしてくるんだろう)


 まだ到着しないワタルに思いをはせる。


 また暗い服を着てくるのだろうか。

 それとも、昔のような、柔らかな雰囲気の服を着てくるのだろうか。


 コウコを目指すのならば、後者だろう。

 意識してあの服を選んでいたのだろうから、同じような格好をすれば、また近づけると考えるのは当然のことだ。


 だが、どちらでもいい。必要なのは無理をすることではないのだ。

 大切なのはワタルが楽しんでいること。それさえあれば、あとは些細な問題だったのだ。


 だって、自分が好きになったのは……。


 ふうと息を吐いて、視線を上げたトシヤの目に、小走りしている少女が映った。


 小さなポンポンのついた淡い桃色のコートを着た彼は、少しゴツゴツとしたイメージのある編みブーツを履いて走ってきていた。コートの裾から、ちらちらとフリルが覗いて見えて可愛らしさを演出していた。


 愛らしい少女だった。

 コウコが好みそうな格好だった。

 けれどそれは、確かにワタルだった。


 彼女は帰ってこなかったのだろう。

 必死に探し回っても、たった一ヶ月では足りなかったのだ。


(だからなんだってんだ)


 今の楽しそうなワタルを撮ることが出来るのなら、どうでもいい話だった。


 なにせ、走ってくるワタルは楽しそうなのだ。

 そこにはコウコを連れ戻せなかったことへの悔いなど、欠片もない。

 その輝く顔には、あの娘が持つ色気が混ざっていて、どこか大人びたようにすら見えた。


 最後にふさわしい写真が撮れそうだった。


「こっちこっち!」


 手を高々と上げて手招きすれば、ワタルはぱっと顔を輝かせて、その勢いを増した。


「トシヤ~!」

「転ぶなよ」

「うわっ!」


 まるで言葉が事態を招いたかのように、ワタルが目の前で滑った。


「ちょっ!」


 咄嗟に手を伸ばした。ずっしりと重い感触を腕に感じて安堵する。


「あっぶねぇな」

「ごめん……ありがと」


 腕の中ではにかんだワタルは、ドギマギしてしまいそうなほどに可愛らしい。

 そんなトシヤの態度を見て、ワタルはニンマリと笑みを作った。


「なぁに赤くなってるのさぁ、このこのぉ」

「好きなやつと密着すりゃ、赤くもならぁ」


 何故だか出てきたべらんめぇ口調で答えれば、茶化していたはずのワタルが顔を赤くして、目をしばたたかせていた。


「ど、どうしてそう素直に答えちゃうのさ」

「そこは偉そうに踏ん反り返るところだろ!」

「キミは僕をなんだと思ってるの!?」


 そういうキャラで売っていたのはワタルなのだが、どうも素が絡むと上手くいかないようだ。

 目を合わせてはそらすという、馬鹿みたいな真似を何度か繰り返して心を落ち着けた二人は、ようやく次に向かえる態勢になった。


「……行こっか。寒いし」

「だな」


 手を取り合って、二人は歩き出す。最後の日に、彼らが選んだのは……。


     ***


 ストーブの駆動音が響く、クリーム色の壁紙が包む部屋の中、二人は向かい合っていた。


 ワタルはどこか気恥ずかしそうに、それでいて見せびらかすようにコートを脱ぎ始める。

 現れるのは、花びらの模様が入った、可愛らしさを詰め込んだような、少し丈の長い薄桃色のワンピース。

 丸みを帯びた襟と、その下から少し覗くリボンの先端。手首までをキッチリ覆う長袖は、その先端部できゅっと狭くなっていて、ボタンで留められるようになっている。

 腰のあたりにはくびれを際立たせるようにか、レース編みのラインが入っていて、その下から広がるスカートは、ふんわりとして広がっている。


 トシヤの目には少し子供っぽく映るが、きっとそれが女の子女の子した可愛らしさを匂わせているのだろう。


「どう……?」

「似合ってるよ」


 おずおずとした問いかけに、うっとりするように言葉を返した。

 ワタルは嬉しそうにはにかむ。それをつい、写真に収めていた。


「もう」

「いいだろ」

「……そうだね」


 小さく笑った彼は、腕に掛けていたコートを皺になってしまわないようクローゼットに掛けてくると、目の前でポージングをし始めた。

 もっと自然体でいいのにという文句は、心に浮かんでこなかった。むしろ、もっと見せて欲しいというような思いが、湧き上がっていた。


「可愛い」

「でしょー?」


 だからと、促すように何度も褒め言葉を注いでいく。

 嬉しそうに頬を染めたワタルは、ある程度の枚数を撮られると部屋の中を歩き出した。


 ここは彼の部屋だ。彼の匂いが染み付いていて、何をしたって日常の行動でしかない。

 けれど、そこに女装というエッセンスが加わるだけで、全く別の色合いが現れてくる。


 日常の中に紛れ込んだ可愛らしい異物が、ワタルの世界を塗り替えていく。

 染み付いた匂いが、女の子らしいものへと変わってような気がした。


「なーんか、ヤラシイ目つきしてるよ」

「そうか? まあ、お前が可愛いからだよ」

「中身のない答えだなぁ」


 呆れながらも彼は嬉しそうで。トシヤも釣られて笑ってしまう。

 そうして部屋の中を一通り歩き回って撮ってしまうと、どうしようかという話になった。


「ウィッグ被る?」

「無くても十分だけどなぁ。お前がしたいなら、そっちのも撮ってみようか」

「でもあの格好に合わせた服じゃないんだよね……」

「変な雰囲気になっちまうのか?」

「見たほうが早いと思うよ」


 パタパタ走って行ったワタルが、クローゼットにしまってあるウィッグを取り出してきた。

 その黒を見るだけで背筋が震える気分になるのだから、おかしなものだった。


「ちょっと待ってね」と告げた彼が、廊下へ出て行った。洗面所に、被るための道具を置いているのだろう。

 少しして戻ってきた姿を目にして、あっ、と声が漏れた。


 なるほど確かに、彼の言うように違和感が酷かった。

 ワタルが髪を黒くすると、独特の柔らかな雰囲気が消えてしまう。それはクセ毛が直毛になるというのも大きいのだろうが、ウィッグの毛質もあるのだろう。


 恐ろしいくらい冷ややかな顔なのに、首から下は甘く可愛らしい格好というのは、どうにも首を傾げそうになる。

 これで開き直っているなら、また違う雰囲気にもなるのだろうが、当の本人が似合わないと切り捨てているのだから、ミスマッチとしか言いようがなくなる。


「……これでも、撮る?」

「着替えたらいけるんだろ?」

「まあそうだけど……そこに合わせてきたわけじゃないから」

「……そか」


 それを撮るというのもありなのではないかと考えていたトシヤとしては、拒まれるなら仕方ないなという気分だった。


 今日はお互いの撮りたいと見せたいを重ねるための日なのだから。


 そうしてワタルがウィッグを脱ぎにまたいなくなる。

 しかし、これではもう撮影は終わりかもしれない。肌着姿を撮るとか、そういうことをしない限りは。


(させてくれるのかね……)


 どうなのだろう。そこまでは、求めていないような気もしていた。


 手持ち無沙汰になってしまったトシヤは、カメラを撮影モードから閲覧モードへ変更した。ついさっき、撮ったばかりのものを確認しようとしていた。


 ……と、唐突に視界が薄暗くなった。相変わらずストーブの音がしているから、停電というわけではないようだった。

 とすると、ワタルが電気を消したのだろうか。でも、どうして……? 疑問に思うトシヤの前に、彼がやってくる。


 脱ぎに行ったはずのウィッグを被ったままのワタルが、バスタオルを体に巻きつけてそこにいた。


「トシヤ」


 少し緊張の滲む声が上ずっていた。

 まるで、告白寸前のような空気感が漂っていた。


 トシヤは我知らずのうちに背筋を正して、彼を見つめる。


「僕を見て。……僕を、見て」


 言葉を繰り返しながら、ワタルがバスタオルを落とした。薄暗がりの中に現れたのは、真っ白な肌。


 ――一糸纏わぬ痩身が、そこにはあった。


 シミひとつなく、無駄毛と呼べるものは一本もない。ほどよく筋肉がついて締まった、無駄のない肉体美がそこにはある。


 男としか言いようのない体に、女の子らしい顔つきの頭が乗っかっているのは、まるで適当にパーツを継ぎ接ぎしたキメラのようで、たまらなくグロテスクだった。


 けれど、だからこそ、目が離せなかった。


「……綺麗だな」


 熱っぽい声音で、トシヤは呟いた。


 以前見た肌着姿の向こう側、秘されていた異形は完成されていた。ワタルの努力した結晶がそこにはあった。


「気持ち悪く、ない?」


 不安そうに顔を俯かせるワタルの声には自信がない。トシヤが思ったように、彼もまたこの姿をグロテスクだと思っているのだろうか。


 浅く、トシヤは笑う。


「まさか。綺麗だよ。すごく、綺麗だ」


 カメラを置いて立ち上がる。間合いを詰めて、びくりと体を震わせたワタルの頭から、ウィッグを奪い取った。


「お前を見せたいなら、これはいらないだろ」

「そう、だね……」


 ウィッグを捨てて、髪を抑えていたネットを外せば、見慣れた癖っ毛の栗毛が広がった。

 その姿を見て、またトシヤは笑った。


「コウコみてぇ」

「そう見えるの?」

「ぽいってだけだよ。まあ……そもそもあれもお前なんだから、当たり前だけどな」

「でも、なんか負けた気分だな」

「嫉妬すんなよ。俺が好きなのは、お前だから」


 トシヤが手櫛で髪を整えようとしたのを、ふるふると首を振ってワタルは拒んだ。

 つ、と指で机を指差して、ちゃんとブラシを使ってと求めていた。


 口で言えばいいのにと笑って、改めてブラシを使って髪を梳かしてやる。

 さり、さり……と梳る音をしばらく響かせると、髪は適度に整って、艶やかさを取り戻す。


 ――わっ、と胸の中に愛おしさが広がった。


 トシヤが欲望を感じたように、ワタルもまた欲望を感じたことを示す形をしていた。

 お互いそれを確認して、無言で目を合わせると、小さく笑い声をこぼした。


「ヘンタイ」

「人のこと言えねーだろ」


 トシヤはブラシを持たない方の手で、横髪から顎先までを撫でた。

 ワタルの鼻から、んっ、とくすぐったそうな吐息が溢れる。


「……いいか?」

「きいちゃだめ」


 それこそ答えだった。


 トシヤは、顎先に添えた手で軽く顔を上向かせて、受け入れるように瞼を伏せたワタルの唇に口づける。

 初めてというわけではないけれど、瑞々しいそれに、自分のものを重ねるのが、少しだけ恥ずかしかった。


 唇をこすり合わせるだけだった二人は、少しすると、もっとと求めるように背中に腕を回したワタルの促しで、一歩先の深みへ歩み出す。


 薄く開いた口の間から舌を差し込んで、煩わしくなったブラシを放り捨てて、トシヤはワタルを抱きしめる。

 ワタルはどこか嬉しそうにそれを受け入れて、力の抜け始めた体をトシヤに預けた。


 はしたなく水音を撒き散らしながら、二人は貪欲にお互いを求め続けた。

 息が上がっても、唾液が零れ落ちてしまっても気にしないで。

 ただ、ひたすら相手だけを感じていた。


     ***


 果たしてどれだけの間繋がっていたのだろう。

 名残惜しそうに唇を離し、銀線を切った二人は、微かな笑みを浮かべあった。


「終わり、だね」

「そうだな」


 この先を求めることは、できる。

 お互いそういう状態だったし、きっとそうすれば満たされたに違いない。


 けれどそれは、未来を汚してしまうだけなのだろう。


 だから二人は離れていく。美しかった時間を永遠とするために。


「カメラ、どうする?」

「終わったら送ってくれればいいよ。現像のために必要でしょ」

「それもそうか。……いつまでに仕上げればいい?」


 何故だか、学校で渡すことはできないだろうという確信があった。

 そして、早くに仕上げなければ、渡すことすらできなくなるという気がしていた。


「いつでもいいよ。いつもみたいに出来たらメールしてくれればいいじゃん」

「まあ、そうか」


 どうしてわざわざメールの話などしたのだろう。

 そんな疑問が浮かんだが、問い返すこともできずに、曖昧に頷いてしまった。


「んじゃ、そろそろ帰るわ」

「晩御飯食べていってもいいのに」

「いや、この調子だと電車止まりそうだし」


 窓の外、チラついていた雪は勢いを増していた。

 調べれば、ダイヤはかなり乱れているようで、帰るのにも一苦労しそうだった。


「今日は姉さんもいないし仕方ないか」

「晴れてたら、また違ったんだろうけど」


 どうしようもない話だ。

 会話を打ち切ると、トシヤはカメラをしっかりと忘れないようにして、身支度を始めた。その間に、ワタルは部屋着に着替えていた。


 お互い用意を終えると部屋を出る。

 なにも言わず玄関まで連れ添ってきたワタルに見守られながら靴を履いて。

 ふと、不安になって振り返る。


 どこかゆったりとした格好のワタルは、少しだけ物悲しそうにしていた。

 その姿に愛おしさが溢れてきて、手を伸ばして抱きしめた。


 彼は小さく震えていて、ただ別れるだけではない何かがあることが伝わってきていた。

 けれどそれは必要なことなのだ。どれだけ辛くても、しなくてはならないことだった。


「……じゃあな」


 浅く口づけをして、トシヤはそう告げた。

 身を震わせたワタルは、なにも言わずに手を振った。


 そうして二人は、別れた。

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