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ファインダーの向こう側、僕らは恋を間違える  作者: 佐々森渓


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13/15

遠ざかったガラスの靴

 十一月も半ばに入った頃、近場の名所は回りきってしまった二人は、ワタルの提案で駅前のホテルに来ていた。高級感のある内装の部屋で撮影した写真からは、咽せ返りそうな色香が漂っている。


 ここ数ヶ月、彼女は目覚ましい速度で色気を増していた。

 それはワタルの時ですら漂ってしまうもので、学校での人気が大変なことになっていた。

 告白されすぎて困ってる、なんて、自慢とも取れそうな愚痴をよくこぼしていた。実際、近くで見ているだけでも、上手く断ることに苦心しているのが伝わってきていた。


 それを嫌味に思わないのは、その思いの向く先を知っているからだろう。

 気持ちを伝え合ったわけではないけれど、アイドルが恋人になっているかのような、そんな気分をトシヤは味わっていた。

 我ながら気持ちの悪いものだな、とは思っていたのだが、思いを伝えられない以上、仕方のないことだった。


「ねえトシヤ。最近、なんか手を抜いてない?」


 そんな文句を言われたのは、撮影を終えて、ベッドの上で写真を確認していたときのことだった。


 トシヤは首を傾げる。コウコではないことに気づいてしまったが、手を抜いているつもりは一切なかった。

 むしろ、この娘をより美しく撮ってやろうと気合を入れていたほどだ。


「まさか」

「本当に?」

「抜くくらいならやめるって言うよ」


 トシヤの答えに、彼女は小さく唸り声を上げた。言うべきか言うまいか……そんな顔をしていた。


「なんだよ。言いたいことがあるなら言えよ」

「いや、でも……」

「お互いのためにもなるだろ? なんか違う、って写真撮り続けるのもへこむし」


 トシヤの催促に、彼女は小さく溜息を吐いた。よほどの内容が来るのだろう。


「じゃあ言うけど、下手になったよ」


 身構えたトシヤの耳を貫いたのは、そんな言葉だった。


「そうか」


 言葉は、すとんの胸に落ちてくる。勝手だなぁと思うけれど、反論が浮かぶより早く、当たり前だろうなという気持ちになってしまっていた。


 何せ、その言葉はとっくの昔に予想していたものだったからだ。


「反論しないの?」

「しようと思えばできるけど、しても意味ないからな」


 トシヤの言葉に、彼女は意味がわからないという顔をした。

 わからなくて当たり前だろう。そう思いつつ、彼は頭を掻きながら、最近撮った写真を見せ始めた。


 どれも、決して下手ではない。始めたばかりの頃と比べれば、格段に上達していた。

 だが、彼女の指摘はそういう話ではないのだろう。


「ここまでと、ここから。何が違うか、わかってるか?」


 トシヤが選び出したのは、八月と九月の写真だ。祭りの中で笑っているコウコと、彼岸花を背に誘惑しているもう一人の少女の写真。


 何を言わんとしているのか伝わったのだろう。彼女は、辛そうに顔を歪めていた。化けの皮が剥がれるように、ずるりとウィッグがベッドの上に落ちた。

 それと同時に、少女の顔がワタルのそれに変わった。


「……気づいてたの」

「わかったのは、ついこの間だよ。一緒に居たかったからな」


 写真を流していって、また、撮り方の変わる場所がくる。

 それは、正体に気づいてしまった後の写真だ。

 気づかないふりをしていても、写真には如実に表れていた。精一杯の偽装工作が裏目に出た……それだけの話だった。


「……やめるの?」


 酷く辛そうに、小さく震えながらワタルが問うてくる。あの夏の日とは逆に、彼が縋ってきていた。


 その姿に、言葉を続けるのが辛くなる。何もかも押し殺してしまいたくなる。

 けれど、それは逃避でしかない。


「やめたくないよ。でも、わかってるんだろ」

「そう、だね」


 どうするかを決めるのはワタルだ。

 望むのなら、このズレてしまった関係を、崩れていく関係を、無理矢理に続けることは不可能ではない。


 でもきっとそうはならない。

 そんな確信が、あった。


「……正直なところを言えば、キミとは続けたいと思ってるよ」


 たっぷり、数分は続いた沈黙の末、現れたのはそんな言葉だった。予想通りの、言葉だった。


「だけど、無理なんだろうね」

「こんなにも、お互い好きなのにな」


 トシヤは深く溜息を吐いた。

 ワタルが曖昧に微笑む。


「だからじゃないかな。キミもそう思ったんでしょ?」

「……まあな」


 好きだからこそ、相手に寄っていってしまう。寄せていってしまう。そういう性格だから、ダメになる。


「僕かキミが、あと少し違えばこうはならなかったんだろうけどね」

「そうだったら、好きになってなかったんじゃねーの?」

「かもね」


 もしもの話に意味はない。わかっていても口にしてしまうのは、それだけ惜しいからなのだ。

 自分を捻じ曲げてしまうほどに愛しているのに、だからこそ、通じてはいけないのだから。


「キミがあの時、もっとわかりやすく告白してくれてたらなぁ」

「そうしたらそうしたで、また別の問題が起きてた気がするけどな」

「そうかな? ……そうかも。僕は、好きな相手に合わせちゃうタイプみたいだしね」

「んなもんコウコのために色んなもの投げ捨ててたんだから、わかりきってたもんだろ」

「自分をそこまで客観視なんて出来ないよ」


 ワタルの中でそれは当たり前のことでしかなくて、誰かに言われなくてはおかしなことだとは気づけないのだろう。

 他人を中に入れなかった彼に、それを指摘できる友は誰もいなかったから、今回のことがなければ一生知らずに終えたかもしれない。


「でも、出来てたら、もっと、上手くやれたのかな。あの子を捨てないで、キミと一緒に居られたのかなぁ」


 声を震わせた呟きに、トシヤは首を振る。


「……やめようぜこの話。もう、どうしようもないんだから」

「そう、だね。どうしようもない話。終わった、話だ」


 つ、とワタルの頬に涙が伝う。大粒の雫が、その両目からこぼれていた。

 その姿に、愛おしさが溢れかえって、トシヤは彼の頬に触れる。温かくて柔らかなそこから、雫が指先に伝う。


「ああ、やだなぁ。みっともない」

「気にすんなよ。そんなお前も、俺は……」

「好きでいてくれる?」

「もちろん」

「じゃあ……キスして」


 何がどうじゃあだったのだろう。話題の転換に戸惑いながらも、誘いに喜んでいる自分を感じていた。


「喜んで」


 小さなワタルの顎先を、くいと持ち上げてやる。

 口づけを望みながらも恐れるお姫様のように、微かに震える彼の体を抱きしめるように、もう片方の腕を回す。小さな体を胸に収めれば、震えが止まっていた。


 そのことに安堵して、ようやくトシヤは彼へと口づけを落とした。淡いピンク色の、きちんと手入れのされた艶々の唇に、重ねるだけのキスをした。


「んっ……」


 普段思っているよりも敏感な、唇同士が触れるだけのそれは、小さな小さな快楽と、胸を満たす充足感を与えてくれる。

 ここから足を進めれば、快楽を求めることが出来ると知っていても、二人とも唇を開くことはしなかった。そういうものを求めているのではなかったから。


 何度も、なんども。離しては重ねる。先へは進まないで足踏みをしたまま、唇を甘噛みしたりして、たくさんのキスをした。


「……キスって、気持ちいいんだね」

「この先は、もっと、だけどな」


 頬を赤く染めて、湿った吐息をこぼしながら呟いたワタルの言葉に、トシヤは照れ隠しようにそんな言葉を返していた。


 過去を引き合いに出したそれは、不躾な行為で。

 口にしてすぐ気づいた彼を、ワタルは眉を寄せて見上げていた。


「やらしーんだ」

「悪かったな」

「別にいいよ、キミだから」


 だけど、と続けて、ワタルが腕の中から逃げていく。まるで、そうしなくては耐えられないというふうに。


「ありがとう。これで、少しは満足したよ」

「そか」


 ワタルは今にも泣きそうな顔をしていた。とてもではないが、満たされたもののする顔ではなかった。

 けれどそれは、トシヤも同じだったから、指摘なんてしなかった。


 やがて二人は目配せをして、同時に口を開く。


「俺はお前をダメにしたくない」

「僕は彼女を取り戻したい」


 だから……。


「終わりにしよう」


 そうしなくてはならないというふうに、声を重ねて終わりを告げた。綺麗な綺麗なハーモニーになったそれが消えていくのを感じながら、二人は頷く。


 これで終わりだ。もう、こうして二人きりで会うことはない。

 わっと胸の中に湧いてきた切なさに耐えようとするトシヤに、ワタルが少しだけのワガママを言う。


「だけど……もう一度だけ、僕に時間をくれないかい?」

「どうして?」


 ここで終わらせなければ、未練が残るような気がしていた。それは、ワタルも同じだと思っていたのに。


 困惑をありありと示すトシヤに、彼は浅く笑みを作る。


「だって、気に入らないじゃない。最後の写真が、こんな出来だなんて」


 伸びてきた手が、カメラを操作する。表示された今日の写真は、彼にとっては不満だらけだ。


「僕の撮って欲しい一枚を……キミの撮りたい一枚を、最後の一枚にしたいから」


 それはコウコを連れ戻すということだ。

 死者を連れ戻すために足掻くということだ。


「わかったよ。どれくらい待てばいい?」


 また来週、ということにならないのはわかりきっていた。


 コウコを連れ戻すには、たくさんの時間が必要だった。


「そうだな……一ヶ月。うん、ちょうど冬休みに入ったあたりにしよう。それ以上は、無駄だろうから」

「それで終わり、か」

「うん。それで、おしまい」


 終わりは決まった。

 なら、そこに向けて自分を調整していくだけだ。


 二人はお互いにそう決めて、軋む心に目を瞑って、出来るだけ気安く別れた。


 次の、最高の一枚のために。

 愛の証明のために。

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