第一話 魔法使いは思案する
「あ、戸川さん丁度良かった!給湯室で倒れている方がいて、医務室まで」
「倒れて?」
「あ、はい、そうなんです」
「行くぞ」
後輩の戸川と立ち話をしている所にやって来た女性社員の言葉に、二人で給湯室へ行ってみれば顔色の悪い女性が床に座り込んでいた。呆然とした表情のその顔を見ながら戸川が声を掛ける。
「片野じゃないか。大丈夫か?」
どうやら戸川とは知り合いだったらしく、戸川が助け起こした女性が再び倒れないよう腕を貸す事にする。医務室は同じ階にあるのでゆっくりと歩きながら、戸川が倒れたのか?と問い掛ければ、何だかぼうっとしながらも返事が来る事にどうやら頭は打っていないようだと安堵した。
「そうか。なら怪我は無さそうだ」
俺が良かったなと言う意味で話し掛ければ、身体をビクリと強張らせ、俺を見上げて顔を見た後、顔を青褪めさせてわざとらしく視線を逸らした。
さて。
この反応はどう見るべきか。
自慢じゃないか、女にはモテる方だ。近付いて来る女は割りとキツめの女が多いからか、俺を避ける女がいる事も知っているが。
さっき、給湯室の前でちょっと騒ぎ過ぎた事を自覚していた俺は、この反応がどちらなのか判断する為、色々と話し掛け、戸川に先に戻るよう伝えたのだが。
「俺、仕事片付いてたんで大丈夫ですよ。後は任せて下さい」
にこやかにそう言ったのは、戸川は俺の本来の業務を知っているからだろうと思うが。まあいい、聞き出す方法は他にもあると二人を医務室に置いて歩き出した。
*** *** *** ***
「ジェネラル、俺帰ります」
「なんだ、どうした?」
「もしかしたらヤバい事になるかも。確認してから報告します」
机の上に置かれていた仕事を見ながらきちんと明日でも間に合う事を確認してから、帰る用意を始めるとジェネラルが近寄って来た。
「瀬尾、ヤバイ事と言うのは先程の事を関係があるのかな?」
「勿論。そうじゃなきゃこんだけ慌てませんよ」
「だからいつも言っているじゃないか、パートナーとは仲良く、効率的に仕事をと」
「野村に言って下さいよ。いつも提案に突っかかって来てぶち壊して行くのはアイツです」
「いいかい?君と野村君が組んでもう五年だろう?五年もの間いつもいつもそうして派手に喧嘩をしてから仕事を始めるけど、どうしてもやらなきゃいけない事なのかい?」
「だから野村に言え。あんだけ派手にやらかしてそのまま無視した挙句、結局こっちの提案通りに仕事をする女だぞ?何故最初からおとなしく言う事を聞けないんだと言って下さいよ、迷惑してるのは俺ですよ」
仕事上の相方である野村は、仕事を始める前の打ち合わせを行うと必ず俺の提案を否定し却下する。それなら代替案を出せと言っても、感情に任せて罵るだけで何もない。
結局次の日には『渋々従ってやるわよ!』と言う感を出しながら俺の案が通るのは、まったくもって面白くない。
何度も何度もコンビの解消を打ち上げていると言うのに、何故か野村からは一度も出されていないと上から却下されているので、野村にも出すよう言ったんだが。
結局能力的な意味で一緒に仕事をするのは野村が一番合っているのは理解していて、上も何とか俺と野村のコンビでやって欲しいって事でもう五年も一緒に働いている。
「瀬尾、頼むよ。何とか上手くやってくれないか」
「もううんざりですよ。今回の件、確証が得られたらメインに話し通しますから」
「ちょ、ちょっと待て、それは」
「待てません。今回の尻拭いだって俺がやったんですよ?もううんざりです」
慌てて引き留めようとするジェネラルを振り切り、エレベーターに乗った。
確かに野村の能力は評価しているし、五年も一緒に仕事をして来たから一番組みやすい相手ではあるが、もうこれ以上は無理だと判断した。
いくら結界内とは言え、あんな大技を使うとは……。
『チンッ』
ゆっくりと降りるエレベーター内で壁に背中を預けて考え事をしていると、軽快な音を立てつつ停まった階数を確認すれば、先程の騒ぎの四階であり。
「……乗らないのか?」
俺を見てあからさまにギクリと強張り、顔を青褪めさせた片野に問えば忘れ物をしたと言い訳をする。咄嗟にそう出て来る辺りどうやら頭の回転は早いようだ。
「待ってるよ」
「い、いえ、他の人に迷惑ですから大丈夫です」
「そ?」
ぺこりと頭を下げ、走るように立ち去った片野を追うようにエレベーターから出て見ていると、部署のドアを開ける前にこちらを振り返った。
その眼で俺を確認し、更に顔色を悪くしながら部屋へと飛び込んだのを見て確信する。
やっぱ見られていたか。
さて、どうするかな?
とりあえず、帰り道で待ち伏せして車に乗せてしまえばいいかと、さっさと下に降りて自分の車へと行き、駅までの道の途中で待ち伏せする事にした。
それ程待つ事なく片野が出て来たのは良いが、何故か見知らぬ男の腕にしがみ付くようにして歩いているのを見て眉間に皺を寄せたが。
まあいいか、男の方は記憶を奪った上で繁華街にでも置き去りにすればいいと考え、声を掛けた。
だが、あっさりと拒絶された俺は、暫し弟にしがみ付くように歩く片野を見送り。
何故か高揚感に包まれた事を実感しながら社に戻った。
ジェネラルが慌てて近寄って来て野村の事を何だかんだと言って来るがもうどうでもいい。コンビを解消しないならこっちでの仕事を受けないと言い放った後、さてどうしてくれようかと考えを巡らせた。
「……悪い顔してますね」
「自覚してる。なあ、女を口説く時は何処に連れて行く?」
「え?」
「今日初めて会った女なんだが、意識させるにはどうすればいい?」
そう聞いてみればぽかんと口を開けて俺を眺めた森田が確認するように聞いて来る。
「瀬尾さんが、口説く?」
「ああ。何処に連れて行くのが最初なんだ?」
「……たぶんですけど、普通は飯を食いに行ったり」
「よし、採用する。次は?」
「え?」
「飯を食って、はいさよならでいいのか?」
「さ、最初は健全な付き合いから入るべきだと思うのですが」
「やれやれ、面倒だな。まあいい、飯を食べに行けばいいんだな?」
「それが無難な誘いだと思います」
「そうか。ありがとよ」
立ち上がって森田の肩を軽く叩き、今度こそ本当に帰ると言って部署を出た。
そう言えば後輩の戸川が知り合いのようだったなと思い出し、戸川の部署まで行ってみる。
「戸川」
「せ、んぱい?どうしたんです?」
「まだ終わらないか?」
「え、えと?」
「飯でも行かないか?」
「……後五分だけ待って貰っても?」
「おう」
魔法使いはその能力でランク付けされる。
俺はSランク入りしているから特別部署に配置されているが、戸川はDだから通常業務も行っている。補佐的な役割の奴が何人かそうして通常業務を行う部署に配置されている事は把握しているが、全員確認している訳じゃないので魔法学院で顔見知りであった戸川の事は重宝していた。
「何があったんです?」
「楽しい事。何食いたい?」
「この間本社のお偉いさんと食事をした所」
「良く知ってんな。まあいいか、行くぞ」
「やった!」
この間メインの奴らが観光を兼ねてこちらへ来た時に利用した店は、予約なしに入れる所だから気楽に行ける。
「なあ戸川」
「はい」
「今日のあの女性、知り合いか?」
「はい、同期なんです」
「……同期。名前は?」
「片野……、確か片野かおるだったと思いますけど。何です?」
「うん、口説き落そうかと思って」
ぱかりと口を開けた戸川にクツクツと笑いながら、さて、これから楽しみだと色んな考えを巡らせた。
今までは勝手に寄って来る女と適当に遊んで終わりにしていたが、片野はそういう女とは違ってて手応えがありそうだ。
「なんで、片野を?」
「ん?ああ、見られた」
「え……」
「お前にも片付け手伝わせたろ?」
「今日の、ですよね?」
「そうだ。どうやらそのせいで倒れたみたいでな」
「…………それって、」
「非常にマズい。が、まだ確証はないんだ」
「じゃ、じゃあ確認の為ですか?」
「それもある」
にやっと笑いながら答えれば戸川が溜息を吐き出した。
「あの、片野って瀬尾さんに近寄って来る女達とは違うんで」
「だろうな。俺に寄って来る女は皆プレイメイトだからな」
「うわ……、最低発言ですね。まあいいです。で、なんで片野を?」
「いつも通りに処理してもいいんだが、何となく面白い女だと思ってな」
「……瀬尾さん、身綺麗になる予定はありますか?」
「身綺麗?」
「はい。女を全員切る予定」
「何故?」
戸川の言っている事が理解出来なくて聞き返せば、戸川は店に行ってからと言って口を閉じてしまった。戸川はこの間メインから来たフレデリカの事が気に入っていたので、フレデリカの話しをしながら店まで歩き、賑わっている店内で腰を下ろして一息吐き。
「フレデリカさん、扇子気に入って下さったみたいですよね?」
「ああ、そうだな。良かったな、戸川」
「はい。気合いを入れて探した甲斐がありました」
日本土産に日本独特の物を求めるのは当然だと思うが、じゃあ何が良いかと言うと頭を悩ませるらしい。戸川もそれで迷っていたので、以前土産として渡した時に喜んでもらった事のある物を教えておいたのだ。
Dランクの魔法使いはそうして裏方の仕事を行う為、色々と大変だろう。
「瀬尾さん、片野の事なんですが」
「ん?ああ、なんだ?」
「前に俺の友人が声を掛けた事があったんですよ」
「それは彼女と恋人になる為?それとも『お友達』って奴か?」
「勿論前者です。けど、すごい潔癖だったらしくて」
「潔癖?」
「はい。恐らくですが、片野は……」
戸川の情報ににやりと口元が持ち上がったのが解る。
「まあ、そう言った訳で他の女の気配を臭わせたら終わりですよ」
「……戸川、良い知らせをありがとう」
その後、片野かおるの事で戸川が知ってる事を聞き出した後、好きなだけ食わせてやればとても嬉しそうな顔をしながらここぞとばかりに食べまくり、食べ過ぎて気持ち悪いけど吐いたら勿体無いと口を押える戸川を駅まで送り。
そして、片野かおるをどうすればいいかと悩みながら家路に着いた。
*** *** *** ***
「ジェネラル、コンビ解消の件進めて下さいね」
「せ、瀬尾っ!」
デスクワークを熟す為に朝から出社すれば、珍しい事に野村も来ていてジェネラルの机の前に立っていた。野村は無視してジェネラルに言いたい事だけ言って席に着く。
昨日の夜の内に送っておいたメールの返信が来ていて、コンビ解消の件とジェネラルのこれまでの事なかれ主義、そして今回全くの一般人である片野に魔法を使っている事がバレた事も報告しておいた。
勿論、野村と俺のやり取り、経緯もきちんと報告してある。
それを踏まえた上でのあっちの判断を取り敢えずメールで知らせてくれたらしい。
後からきちんと書類にして送ると書かれていた。
「コンビを解消するって、本気なの?」
「当然だ」
「……昨日の事なら」
「なあ野村」
珍しく憔悴したように見える野村を見上げながら、溜息を吐き出した。
「お前とコンビを組んで五年、俺は何度も同じ事を言い続けて来たよな?」
「……その通りね」
「そして、その度に同じ事になっていたよな?」
「ええ。でもあれは貴方だって」
「黙れ。……野村、俺はお前の能力の高さは評価しているが、お前とはもうコンビを組めない。これは既にメインも承知の話しになっているから、お前にも正式に話しが来るだろう」
「メ、メインに?」
「ああ。この五年、全てのやり取りを記録しているから、それを証拠として提出してある。ジェネラルの事も併せて連絡が来るから」
「ど、どうして、私に黙って!」
「その権利はお前にもあるだろ?」
悔しそうに顔をゆがめた野村を追い払い、丁度やってきた森田に声を掛けた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。なあ、食事に誘うってのはいつ誘うんだ?」
「え?」
「仕事中には誘わないよな?朝か?」
「え、えと、その、仕事が終わってから、じゃないでしょうか?」
「ふうん。朝誘ったらどうなる?断られるか?」
「そ、そうですね……、たぶんですけど嫌がられると思います」
「へえ?そうなのか」
「はい。あの、恋人同士なら朝約束するのもありでしょうけど」
「よし、朝にしよう」
「…………瀬尾さん、僕の話し聞いてました?」
「聞いた。嫌がられるって」
「嫌がられてどうすんですか。食事に誘いたいんですよね?」
「ああ。けどフールセール扱いされたくないからな」
物凄く嫌な顔をするだろう片野を想像し、思わずニヤリと笑いながらデスクワークに従事していると、野村とジェネラルが何やら必死で報告書を纏めているのが目に入ったが。
今更遅いんだよ、バカめ。
片野に『魔法を使っていた事』が恐らくバレている事はメインでも気にしていて、もし誰かに話す事があった場合は強硬手段に出るよう指示された。
そして、確認の意味を篭めて返信する。
『家族には魔法の事を伝えてもいいんだよな?』
その文言にあちらの奴らが変に盛り上がったようで、色んな奴から『君のハートを射止めたレディを紹介しろ』とメールが来たが敢えて無視した。