同道巡りの臆病な心
「やっと、現実に辿り着いたみたいだね。どうだい?
君はまだ死んではいないけれど、このままだと、確実に死を迎える。
そこで、あの話しだよっ、どう?君はまだ生きたいだろう?なら、僕の名前を当てて御覧よ」
いつの間にか、この場所に来ていた悪魔は、嬉々とし話し掛けるその姿は正に悪戯を成功させた子供の様に無邪気に、そして、底が見えない邪悪さを感じさせる。
自分はまだ、死んではいない。だから、悪魔は断言したのだ。自分が絶対にこの話しに乗るということを
そして、この現実を目の前にした驚き惑う様を嘲笑う為に、この事実を隠していたのだろう。
(そんなこと言って、この身体でどうやって生きていくっていうのっ!?…無理でしょ!?)
ヒステリックになって雛は悪魔に向かって喰いかかったけれど、下手をすると泣き出して仕舞いそうなほど上ずったかな切り声は、威圧よりも憐れさを強く感じさせる。
そんな自分の声に思わず項垂れる雛に、追い討ちをかける悪魔の笑いを含んだ声は、秘密の隠し事を打ち明ける幼子のそれに良く似ていた。
「そうかなあ、だってさ、君が生きていればそれだけで、あの子は君の事を付きっきりで面倒みてくれるだろうし、そうなったら素敵だろ?君の、願いどおり、君だけを見てくれる。お兄さん」
(違うっ、違うっ、ちがうっ…)
「何が違うって言うんだい?君が長い間、願っていたことだろう?」
(だって、思っていただけっ…叶わない、それに、そんな事を考える私もキライだった…)
「でも、叶うチャンスがほら、此処に。」
(それでも、イヤよ!!そんなの、どんな顔して兄さんに顔向けするっていうのっ!?私には堪えられない…)
「そんなの、堪えれば良いじゃないか、傷つきたくないだけの言い訳は嫌いだよ。」
先程までと、うって変わって、悪魔は冷えきった瞳で雛を睨み付け、そう言い捨てる。彼は苛だたしさを隠す気もなく、「フンっ」と鼻を鳴らして消えて行った。
「・・・。」
雛は呆然と取り残され、悪魔が投げつけていった言葉にショックを受けた。果たして自分は本当に兄を思っていたのだろうか、もし、あの男の言う通り、自分が傷つきたくないが為に言い訳で塗り固めていただけなのだとしたら…
違うと否定したいけれど、それが、自分でも分からない
恵が好きで、傷付いて欲しくない、煩わせたくもない、でも、自分を見て欲しい
もし、生きることを選んだとしたら、確かに恵は自分だけを見てくれるだろう。
でも、きっとそれは恵を傷つけ続ける。そんな選択をした自分自身を許せないだろう。それが、あの男からすれば言い訳でしかない。
お互いが疲弊して、縛り続けるような結末を
本当に自分はそれを望んでいるのだろうか?
自分を見て欲しいだけで、傷つきたくない我が儘だとしたら、浅慮で愚昧な自己満足。それは本当に兄を好きだということになるだろうか?でも、今までの人生で兄以上に好きだと思える人はいなかったし、もし、これからがあったとしても、私にとって、兄以上の人は居ないと断言出来る。
私は本当に好きでいて、いいのだろうか?
この問は長い間、見ない振りをしていた。だから、恵には言うつもりもなく。
傍に居られる間まではと、自分に言い聞かせ続けてきた。
それなのに、あの男は全てを見透かしたようにいう。
いつも、突然に、突かれる
誘惑にしては些か醜い、雛の心の奥底にある。
ひた隠しにしてきた、願い
恋をしたならば誰もが一度は願う、ありきたりな想い。でも、雛にとっては切実なんて言葉は程遠い、一種の信仰に近い願望だった。
『兄に、自分だけを見ていて欲しい。』
そう思ったのは、いつからだろう?
自分がイヤになったのは?
兄を好きだと気付いたのは?
あれは、なんでもない夜に、唐突に感じる
隔絶された宵闇
静けさと、時折聞こえる色々な音
それらは私に届く前に、壁に阻まれる
聴こえて居るのに遠い、もどかしいよりも、やるせない
そんな、夜より暗い夜には
醜い私の心がジワジワと浸食して行き、胸が押し潰される様な圧迫感と競り上がる不快感に、息が詰まる。
言い知れない不安を抱えたまま次の日を迎えると、そんな時は必ず、兄が側に居てくれた。
静かに、大丈夫と言ってくれた。
その度に、兄の瞳に映る自分ならと…
兄がこんな私を必要としてくれたから
兄が必要としてくれる私なら、居てもいいんだと、そう思える。
兄も私も、誰かを必要としていた。
隣にいてくれる誰かが、必要だった
だから、兄が私を必要としたのは、当然のことだったのだろう。
私はそんな恵兄さんを利用する様に、恵兄さんを必要としたのだ。
きっと、それが間違いだったのだろう。
けれど、気付いた時には、もう遅かった。積み重ねた時間が大き過ぎて、今更、過去を正す勇気も持てず。
ひたすら見ない振りをして誤魔化し、恵兄さんが気づいたりしないように祈った。
臆病で、卑怯な私の独占欲…