好奇心の代償
鞄から無事、抜け出した雛は
抜き足、差し足、忍び足、でこっそりと全校集会をしている体育館の側までやって来たのだが、
猫なのでこっそりしなくとも足音も立たない事にここでやっと気が付いた。
それはさて置き、中に入る訳にもいかず、教師に見つかる前に体育館の脇を抜ける中庭から様子を見れそうな窓を探す。
確か体育館は足もとの20センチ、幅が1メートル位の長めの硝子が等間隔でついていて、後は二階の窓になるが、それは高すぎて無理なので問題外
と、言うわけで、比較的人に見つかりそうのない植木の下に隠れて中の様子を見てみよう。
ぐるっと体育館の中を見てみると、並び立つ生徒が教師の目を盗んで携帯電話をいじっていたり、前に並ぶ子にちょっかいを掛けていたりと、こうして見ていると少し不思議な気分がする。何日か前までは自分もあの中に居て、緊張感がある空気を肌で感じながらも側の友人達とひそひそ話をして長い校長の話をやり過ごしていたのだ。
改めて現実を思い知らされ、泣きたくなっても涙は流れずに低く喉が鳴る。「グ〜グ〜〜っ」
すると近くの生徒が此方を訝しむように見ているのに気が付き咄嗟に後ずさり、相手から見えないであろう場所まで移動して、胸を撫で下ろした。
(ふぅ、危なかった・・・。)
では、気を取り直してもう一度。
今度は違う場所の窓に近づき中を覗く。
(・・・あっ、いたいた。
むっ、田中の奴また兄さんに引っ付いてる!もう!アイツホント嫌い!いっつも兄さんと一緒にいるのよね。兄さんが優しいからって、図々しい・・構って欲しいだけなら他をあたればいいのよ・・・ふんっだ)
雛の目線の先では、田中善也が恵にちょっかいを出して笑っている所であった。お調子者の田中は何でも赦して仕舞う恵を知っている。
だから、恵の隣であれば安心して馬鹿な事が出来ると思っている為なのか雛には分からないが、校内で恵を見かけるともれなく田中が付いているので
いつも一緒にいる田中の事を雛はライバル視して勝手に毛嫌いしているのだ。雛が田中を嫌っていることに田中が気が付けば、少しは恵に離れてくれるのではないかと、少なからず期待して、会う度に冷たくあしらった筈が田中は意に介した風も無いので、終には田中の事は雛も諦めて仕舞ったのだ。
それでも、あれを見ると
つい、イライラして、またしても喉が鳴って仕舞う。今度は低く、くぐもった相手を威嚇する様に鳴っているのだが、どうにも猫になってからというもの、感情がそのまま表れるようで困る。
(・・・止めよう、こんな事してても仕方ないし、田中の顔なんてもっと見たくないし、せっかくだからもう少し見て回ろっと)
雛はこれ以上この場に居ても自分の気持ちが沈むだけだと考えて、気晴らしに校内の散策をしようと、歩きだす。
誰もいない校舎を歩き回っていた雛だったが、今は、何もなさ過ぎて飽きて仕舞ったのだと自分に言い訳をして、校庭裏辺りの木陰で昼寝に勤しんでいた。
グラウンドに木霊する生徒達の声に追いやられ
身体を丸め
いろんなものを見たくなくて。
硬く目をつむり、目蓋の裏からでも感じる太陽の光さえもいといながら
今はただ、なにも、なにもかんじたくなかった……。
見たもの全てから否定された雛の心は
淋しさで押し潰され、今にも千切れていくような感覚に襲われる。
暗闇に逃げ込んだはずが、散り散りになった欠片が突き刺さっては雛を苦しめていくのだ。
―−淋しい―−
欠片が刺さる度に心が痛む
―−辛い―−
と心が潰れるよう
―−淋しい―−
―−居場所がない―−
締め付けられるようにギリギリと軋む
―−誰も−−私を必要としていない―−
―−わたしは―−ひとりだ―
−淋しい―−淋しい―−さみしい―−
―−メグにい、淋しいよ、メグにいは淋しくないの?―−
―−ヒナは、いらないの?―−
今にも消えて仕舞いそうな暗闇の中で、思考がふと、包みこまれるような感覚と何かが雛の頭をなぞっていくのを感じ、少しだけ救われた気がする。
『・・・・本当に君たちは僕らにとても似ていて、それでいて、どこまでも遠い存在だね・・・』
雛の意識の外で呟かれたその言葉を雛が聞くことはなかった。