五
恭しく拝跪する黒づくめの男の冠を眺めながら、「お顔を上げてください」とイツキは静かに告げた。男は――オリベだと名乗っていた――イツキの言葉を無視し、慇懃無礼に挨拶の口上を述べる。
「親王様にはご機嫌麗しく……。このたび不躾にも尊宅を訪れましたこと、まことにお詫び申し上げます」
イツキは苦笑いをする。
「私はもう親王ではありません。ただの市井の民です。それに帝が崩御なされたというのにご機嫌麗しくはないでしょう。……そんなことを言いにいらしたのではないでしょう、お顔を上げてください」
「確かにそうでしたな」
オリベはあっさりとうなずくとすっと面を上げた。爬虫類のような感情のこもらぬ双眸がじっとイツキを見やる。市場に出ていたハルヤが血相を変えて帰宅するなり帝の崩御のことを伝えたときから、イツキには厭な予感がしていた。そして次の日にはもうこうして宮中からの使者が邸に訪れている。いい知らせのはずがないだろう、とイツキはすでに覚悟を決めていた。
ではイツキ殿、とオリベは口調を砕けさせると、単刀直入に言った。
「私と共に宮中へお出で願いたい。すでに牛車は用意してあります」
「……用件くらい、お聞かせ頂きたいものです」
「それは出来ませんな、ここでは」
オリベは首を傾げると、ちらりと部屋の外に視線をやった。恐らくそこにはハルヤが息を潜めて隠れているはずだ。オリベが薄ら笑いを浮かべる。
「可愛らしい子鼠が聞き耳を立てているようですからな。それにこれはヒルミ様の命です。貴殿はあの方にお会いしたくはないので?」
「ヒルミ……」
ふとイツキの胸に懐かしい切なさが去来した。蔑まれていた宮中での少年時代、弟のヒルミは外聞を気にすることなくイツキの宮を訪れてくれていたものだ。
彼は今どうしているのだろう。立派な風格を備えた青年へと成長しているのだろうか――イツキは一度だけ目を伏せると、「わかりました」とうなずいた。
「……伺いましょう」
「さすが親王様。話が早い」
オリベは笑うと、さっさと腰を上げた。イツキも静かに彼のあとに続く。部屋を出ると、「イツキ様……!」とハルヤが駆け寄ってきた。
「だめ、行っちゃだめですよ! 宮中でいじめられたこと、お忘れですか!?」
ハルヤの顔は焦燥感に溢れていた。イツキの着物を握り締め、泣きそうに顔を歪めている。イツキは身を屈めて彼女と目線を合わせた。
(苛められるだけなら、いいんだけどな)
口には出さず、そう苦笑する。帝の崩御後に再び宮中に召し出されるなど、よい知らせのはずがない。もしかすると、もうこの邸には帰って来られないかもしれぬ――そう思うと、この少女が不憫でならなかった。そして数日前に別れたきりの、少々荒っぽいあの友人も――
ハルヤの髪を撫で、イツキはゆるく微笑した。「すまなかったね」と囁きかける。
「ハルヤには本当に助けられた……結局最後までなにも恩返しが出来なくて、申し訳ない」
「イツキ様……なにおっしゃるの?」
幼い瞳が揺れる。「だめだめ、行かないでください」とイツキにしがみ付いた。
「……お別れの挨拶は、もうよろしいですかな」
オリベが冷たく言い放つ。
「場合によっては強制送還という手もありますが……」
そう言って顎をしゃくると、数人の衛士が素早くイツキたちの周りを取り囲んだ。ハルヤが怯えて震える。
「……いいえ、もう参りましょう」
イツキはそっとハルヤの手をほどき、最後に微笑みかけると、オリベのあとに従って邸を出た。
門前には二台の牛車が控えていた。そして牛車の前に立ちすくむ茜色の人影――イツキは思わず笑みを浮かべた。よかった、間に合ったと、彼に再び会えたことを喜んだ。
しかしナギの顔は驚きに歪んでいた。止める衛士を振りほどきながらイツキに近づいてくる。オリベはうんざりしたようにナギを見ていたが、制止するのももう面倒だと思ったのか黙って様子を窺っていた。
「どこ行くんだよ、あんた」
鋭い眼光で睨みつけてくる。威勢のよい青年の表情は、茜色の着物によく映えていた。やはり自分の見立てに間違いはなかったと、イツキは場違いにそんなことを思う。
「皇太子様からのお召しです。……私は、宮中に参内します」
ナギの顔が険しくなる。その荒っぽい表情が、今の自分にはとても頼もしく映った。
「ハルヤを、頼みます」
「……ふざけんなよ」
ナギがイツキに迫る。乱暴に胸倉を掴むと、イツキの顔を覗きこんで破落戸さながらに凄んだ。
「あんなうるせぇガキを、俺に丸投げするんじゃねぇ。あいつにはあんたがいねぇと、駄目なんだ……絶対、戻って来い」
絶対だぞ――ナギが念押しする。イツキは答えられなかった。ただ眩しいものでも見るように目を細め、「ありがとう」と小さく礼を言う。
ナギはしばし黙っていたが、やがて力無くイツキから手を離した。オリベと衛士が寄ってきて、イツキを牛車へと促す。
俯いたナギが、「畜生」と悪態をつく声が、イツキの耳に入った。
数年ぶりの宮中は記憶の中と変わっていなかった。きらびやかな一方で、水面下では醜い権力争いが繰り広げられている――オリベに連れられて渡殿を進むイツキのことを、すれ違う官吏たちは忌々しげに見やっている。その視線がかつてのものより更に攻撃的なのは、きっと帝の崩御と無関係ではないだろう――そんなことを考えているうちに宮中の中でも奥まった辺りにまで至り、御簾で覆われた室の前でオリベが立ち止まった。
「ヒルミ様、イツキ殿が参られました」
ああ、と低い声が御簾の向こうから返ってくる。イツキはオリベと共に御簾をくぐった。
「兄上。お久しぶりです」
室にはヒルミがたったひとりで座していた。鮮やかな黄赤色の直衣を身にまとい、ゆったりと脇息にもたれかかっている。まだ幼さの残る顔立ちだが、全身からは鷹揚とした余裕のようなものを感じた。
「どうぞ、お掛け下さい」
ヒルミが眼前の円座を勧めた。イツキは一礼し、皇太子の前に座す。オリベはイツキの数歩後ろで拝跪した。
「お元気そうでなによりです……思い出話でもしたいところですが、生憎あまり時間がない」
ヒルミは回廊に続く御簾をちらりと見やった。まるで人がいないのを確認するかのように。
「兄上をお呼びしたのは他でもない。実は兄上には死んで頂かなくてはならないのです」
「……そうですか」
静かにイツキは応じる。きっとそうだろうとは思っていた。少しも驚かぬ兄の様子に、ヒルミは少し落胆したようだった。「兄上は相変わらずですね」と口を尖らせる。
「兄上は皇位を剥奪されていますから、一応私が皇太子ということになっています。ですが亡くなる直前、父が馬鹿なことを言い出して……あなたを後継にするなどと遺言してしまったのです」
イツキは肩をすくめる。本当に父はどこまでも軽率な人間だった……「それは大問題でしょう」と他人事のように告げれば、「大問題ですとも」とヒルミが応じる。
「別に私は兄上が即位してもいいのです。他の間抜けな弟たちがそうなるというなら、別ですが」
「ヒルミ、またあなたはそういうことを……」
思わず昔のように窘めるが、弟は悪びれた様子もなく続けた。
「しかし私が良くても周りが良くない……私の傍に仕える側近たちです。本当なら、皇太子付きであったのがそのまま無条件で帝の側近になれたのですから、それは怒ります。兄上はすでに市井の身ですが、それでも遺言は遺言……私と敵対する勢力にはまたとない好機でしょう。あなたを担ぎ上げようとするかもしれません。まぁ要するに、私には意外と敵が多いのです」
ヒルミは淡々と説明する。イツキは思わず苦笑いをする。確かに彼の言う通り、ヒルミに対抗するには自分はまたとない餌となるだろう。宮中を追いやられたという過去もある。皇太子側を攻撃するには嬉しい材料だ。
「そこで私の側近たちは、兄上を殺してしまおうと考えたわけです……そこのオリベもその意見には大賛成のようで」
イツキは背後の黒い男を振り返る。オリベは跪いたままなんの反応も示さなかった。
ヒルミが言葉を切る。じっとイツキの顔を見つめた。淡々と語っていた表情が、わずかに歪んで揺れた。
「ですが……私は、兄上を殺したくはない。けれど、殺さなくてはならない」
わかってください――語尾を霞ませて、年若い皇太子は眉を寄せる。イツキは目を伏せた。脳裏にはハルヤとナギの顔が浮かぶ。きっと、少しは悲しませてしまうだろう。けれどあの二人なら、きっと大丈夫……ハルヤはナギによく懐いているし、ナギはしたたかで強い青年だ。二人で逞しく生きていけるだろう――「わかりました」と首肯すると、ヒルミが片眉を上げた。
「兄上はなにか勘違いしていそうですね。私は殺したくないと言ったはずです」
「え?」
イツキは首を捻った。この奔放な弟にはどこか読めないところがある。ヒルミは姿勢を崩して脇息に身体を預けると、はぁとため息をついた。
「兄上を助けるためにはこうするしかないのです……私には、一滴の血も流さずに万事解決させるだけの技量はありません。あの者たちと兄上を天秤にかけるしか、ないのです」
「……ヒルミ?」
彼はなにを言っているのだろう? イツキは訝しげに弟の名を呼ばわったが、彼はそれには答えなかった。
「残念ながら兄上に説明することはできません。これは極秘の、裏切りなんです」
呟くようにそう言うと、ふとヒルミは恨みがましくイツキを見つめた。その眼差しは幼いときのそれと、よく似ていた。
「兄上がいけないのですよ。さっさと鬼神にならないからこんなことになるのです」
「また懐かしい話ですね」
イツキは思わず目を細めた。ヒルミはなおもイツキを睨んでいたが、やがてふっと笑みを見せた。「兄上、」と慕わしげに呼ぶ。
「あなたは、絶対に生き抜いてください。こんな息苦しい宮中からは解放されて、兄上の人生を歩むんです……それが、あなたの定めだ」
一瞬だけ強い力でヒルミの視線が注がれる。そして「いま私が決めた定めです」と、しれっと言い放った。
「兄上は定めがお好きなようなので。そう言えばやる気になるかと」
「あなたは幾つになっても突拍子がないですね」
イツキは眉を下げる。屈託のない弟の言葉が、胸に重く響いた。
その後、ヒルミの私室で二人だけの語らいをし、日も暮れると、イツキは再び牛車に詰め込まれた。オリベの姿はない。牛飼い童と従者の二人だけに伴われ、イツキは暗くなった都の大通りを邸まで運ばれていた。
宮中ではなにも害は及ばなかった。ヒルミがなにを考えているのかはわからない。しかし自分の命を消そうとしている者たちがいるのは確実だろう――イツキには彼らの動きがなにも読めなかった。けれど。
(生き抜くことが定め、か……)
牛車に揺られながら弟の言葉を噛み締める。不遇ではあった。しかしイツキのそばには常にハルヤがいてくれた。なんの見返りも期待できぬ自分などのために、幼い少女は精一杯尽くしてくれている。そして不思議な縁に引き寄せられるように出会った、ナギ――
(ハルヤ、ナギ……)
二人の名を、胸のうちでそっと呼ぶ。無性に切ない痛みに襲われた。二人に、会いたい。そして共に人生を歩んでいきたい――かつてないほどに強く、イツキはそう思った。
「!?」
突然牛車が揺れた。がたんと大きく音を立てて屋形部分が傾く。イツキは驚いて腰を上げた。前面の御簾をめくって外の様子を窺うと、息を飲む。
牛車の周りを十数人もの破落戸たちが取り囲んでいる。月明かりに目を凝らしてみれば、見覚えのある顔も何人かいた――かつてナギを探しに南へと赴いたときに襲ってきた、あのならず者たちである。
牛飼い童と従者の姿はすでにない。逃げたのか、破落戸どもに始末されたのか、それとも――
(みな計画ずくということか?)
イツキの身体に緊張が走る。破落戸たちはイツキを疎む宮中の人間に依頼されたのかもしれない。だからイツキはわざわざ日が暮れてから帰されたのだ、不運にも帰宅中に破落戸に襲われて命を落としたのだと、表向きはそう公表するために――
ヒルミの顔が脳裏によぎる。しかし首を振った。今はそんなことに気を回している場合ではない。どうにかしてこの場を切り抜けねば……イツキが牛車の中で身を潜めていると、せせら笑う声が響いた。
「よう、中にいるのはわかってるんだぜ、おとなしく出てこいよ」
聞き覚えのある声だ。イツキはゆっくりと牛車から降り立つ。破落戸たちの真ん中で大柄な男が仁王立ちしていた。歯の欠けた口で笑いながら男はじろじろとイツキを眺め渡して鼻を鳴らした。
「……こいつぁ面白ぇ。いつぞやのナギのお友達じゃねぇか? よう、あの餓鬼は元気にしてるかよ?」
「……」
イツキは無言で男を見つめた。凛とした眼差しを受け、男が忌々しそうに舌打ちする。
「けっ、てめぇもナギの野郎も気に入らねぇ……。てめぇを始末したら、次はナギをぶっ殺してやる。ついでにあの嬢ちゃんもだ」
「……そんなことはさせない」
イツキは目を眇めて男を見やる。
「あの二人に手を出したら、私はあなたを許さない」
男が呆けた。が、すぐに声を立てて笑い飛ばす。
「てめぇみてぇな貧相な貴族様になにが出来るってんだよ、生意気ぬかしやがって。……糞面白くもねぇ」
やっちまえ、と怒号が響く。没落貴族など全員でかかるまでもないと思ったのか、数人の破落戸たちがイツキに襲い掛かってきた。刀や短刀を振りかぶった荒くれ者たちが一斉にその凶刃を向けてくる――が、イツキは無意識のうちに身体を引いて攻撃を躱していた。幾つもの太刀筋が虚しく空を切る。
「なにぃっ?」
まさか避けられるとは思っていなかったのだろう、破落戸たちはたたらを踏んで狼狽の視線をイツキに向けた。しかしイツキ自身も驚いていた。
(……どうして避けられたんだ?)
疑問を浮かべながらも、イツキの身体は動いていた。手近にいた破落戸の腕を捻り上げて短刀を落とし、そのまま背負い投げで地面に打ち据えた。わけが分からぬ顔をしたまま、投げられた男がぐ、と呻いて気絶する。
遠巻きに眺めていた破落戸たちがどよめいた。歯の欠けた大男がこめかみを引き攣らせる。
「てめぇ……やるんじゃねぇかよ。前はおとなしくボコされてたクセに」
イツキにもなにがなんだか分からなかった。生まれてこの方、喧嘩などしたことはないし他人を殴ったこともない。それなのに身体が勝手に動いたとしか言いようがなかった。襲い掛かってくる男たちの動きの先を読み、最小限の動作で相手を捻じ伏せる――まるで他人が自身の身体を操縦しているかのようだった。
「油断したのが間違いだったな……もう手加減なんざしてやらねぇ」
大男の言葉を合図に、取り囲んでいた破落戸たちが総出で向かってくる。さすがに多勢に無勢だ。イツキは迎え撃つことはせずに逃げ出した。しかし喧嘩慣れしている男たちとの脚力の差は如何ともしがたい。逃げ切れはしないだろう――イツキは駆けていた足を軸に素早く振り返ると、反動をつけて背後に迫っていた男を殴り倒した。続いてもう一人、そして三人目……しかし三人目を撃退したところですぐに息が切れた。どう動けば良いのかわかってはいても、体力の無さには打つ手がない。
「死ねぇ!」
小刀を逆手に持った男が悪鬼の形相で迫りくる。駄目だ、もう躱せない――イツキが覚悟を決めようとしたとき、突然赤い影が間に割って入った。
「よう、元気だったか、ヤマ」
影――ナギは口元だけで笑みを浮かべると、繰り出された小刀をひょいと避けてヤマの腹を蹴り飛ばした。小男は呆気なく後ろへ吹っ飛んでいく。
「逃げるぜ!」
ナギはそう叫ぶとイツキの腕を引っ張って走り出した。イツキは息を上げながらも「どうして……」と呟いた。ナギは駆けながらちらりと振り返り、ニッと口角を上げる。
「きっとなんかあるに違いねぇと思って、ここらで張ってたんだ……そしたら日が暮れてからイワギたちがぞろぞろ集まってくるじゃねぇか。アタリだったな」
ナギは息を弾ませながら軽く笑った。
「あんた、意外にやるんじゃねぇか。あいつらとやり合ってるの見て、俺は嬉しかったぜ……ちゃんと、戻って来てくれようとしたんだな」
「ナギ……」
イツキはなにか語りかけたかったが、走りながらでは口が回らなかった。すでに心臓も破裂しそうだ。やはりもっと体力をつけておくべきだったかと苦笑しつつ、ただひたすら駆ける。
「ナギ、こっちこっちっ!」
甲高い声が前方から上がった。大通りから脇へと入る狭い路地の入口に、ハルヤが立っていた。小さな身体を精一杯に伸ばして手を振っている。ナギの速度が上がった。イツキは彼に引きずられるようにしてあとに続く。
「イツキ様! よかった……!」
「挨拶はあとだ。奴らが追ってきてる。早く撒いちまわねぇと……」
ナギが後ろを振り返って舌打ちする。建物の陰に身を隠しつつ、「俺が足止めする」と追ってくる破落戸たちを睨みつけながら言った。
「あんたらは先に逃げてろ。俺もあとから行くから」
「だめよそんなの!」
ハルヤがナギの腕を引いた。
「あんな大勢で勝てるわけないでしょ! 一緒に逃げるのよ!」
「それじゃ追いつかれて一網打尽だから言ってんじゃねぇか!」
「だって……!」
「ぴぃぴぃ泣いてないで黙って言うこと聞けよバカ!」
ナギとハルヤが言い合いをする中、イツキは後方の様子を窺っていた。じっと目を凝らし、顔を顰める。ナギの袖を引いた。
「なにか様子が変です」
「なに?」
二人で見やってみれば、大通りでは破落戸たちが仲間割れをしていた――いや、そうではない、大勢の衛士たちに斬りかかられて右往左往していたのだ。「なんだありゃ」とナギはぽかんとする。
「あいつら……宮中の連中に頼まれてあんたを殺そうとしてたんじゃねぇのか?」
「……その、はずですが……」
「だったらなんで衛士にやられてんだ?」
イツキは眉を寄せた。どういうことだと考え込んでいると、ふと背後で物音がした。同時にハルヤの悲鳴が響く。
イツキとナギは驚いて振り返る。と、そこには衛士を伴った黒ずくめの男――オリベが立っていた。
「生きておられましたか……」
オリベが残念そうに肩をすくめる。ナギが掴みかかろうとするのを、イツキは手で制した。
訝しげに見つめるイツキの視線を受け、オリベは大通りの喧噪をちらりと見やりつつ薄ら笑いを浮かべた。
「ああ、気になりますか、やはりあれが」
「彼らに私を襲わせたのは、あなた方なのでしょう? それなのになぜ私を助けるような真似を?」
オリベがため息をついた。「ヒルミ様のお計らいですよ」と胡乱な眼差しをイツキに向ける。
「私どもとしてはあなたを殺すほうが手っ取り早く万事解決すると思っているんですが、あの方はどうしてもあなたを死なせたくないご様子……ですから、表向きはならず者に依頼してあなたを殺すように仕向けつつ、裏では衛士を派遣してあなたの命を救い、秘密裏に都の外へ逃がす……まったく物好きなお方だ」
大通りからいくつもの断末魔が聞こえた。ハルヤが怯えたようにイツキの袖にしがみ付く。オリベが目を細めた。
「あの破落戸どもも憐れですな。実際はただ処刑されるだけの役目とも知らず……あなたを殺せば金が貰えると馬鹿正直に騙されてくれました。明朝には首が晒されるでしょうよ、親王様弑逆の罪としてね」
ナギが大通りを振り返った。その表情は歪んでいるが、どういった感情によるものなのか、イツキには分からなかった。だが、胸のうちで小さく彼に謝罪の言葉を述べる。どんな関係であろうとも、数年間共に過ごした同類が無残にも殺されているのだ、心中複雑ではあるだろう……
イツキは一度だけ目を伏せると唇を噛んだ。しかしすぐに顔を上げ、オリベをまっすぐに見つめた。
「ヒルミに……よろしくお伝えください」
簡潔にそれだけを告げると、ナギとハルヤに向き合った。眉を下げ、「私は都を去ります」と口を開く。
「ですから、その……」
語尾を滲ませると、ふと手を握られた。ハルヤがじっとイツキを見上げつつ「お供します」と小さく、けれど力強く言った。ナギはオリベを睨んだまま、「もちろん俺もだ」と賛同する。
「よう、おっさん」
ナギは静かに瞳を燃やしながらオリベに向かって吐き捨てた。
「あいつらの首、せいぜい綺麗に飾ってやってくれよな」
「……それはどういう意味ですかな」
「別に意味なんかねぇよ。ただ最期くれぇは人並みにしてやりてぇだろ」
オリベが片眉を上げた。そして薄く笑みを浮かべながら「もちろんきちんと供養する所存ですよ」と応じた。ナギが舌打ちする。
「……じゃあ、行こうぜ」
ナギが先導するように一歩を踏み出した。イツキとハルヤは彼に続く。オリベと衛士たちが道を開けた。すれ違いざま、オリベが恭しくイツキに向かってこうべを垂れる。それが本心によるものなのか皮肉なのか分からなかったが、イツキも彼に会釈を返した。
頭の中にはならず者たちの断末魔が未だ濃く残っている。ナギのあとに従いながら、イツキは強く、胸に刻んだ。
自分の命は多くの死の上に成り立っている。だから生き抜くことは己の使命なのだ――と。