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 イツキと名乗った青年の半歩後ろをついて歩きながら、ナギはどうにも居心地の悪い思いを感じていた。

 夜もすっかり更け、周囲には人っ子一人いない。時折遠くのほうで響く犬の声がなんとも侘しく不気味である。イツキは無防備に背中を晒してナギを先導している。体格はほぼ互角。となれば破落戸たちと喧嘩慣れしているナギのほうが圧倒的に有利であろう。

(……要するに、またしても好機、てことだよな)

 背後から心臓を一突き――いとも容易く彼を殺すことが出来るだろう。しかし今さらそうする気概は、ナギには残っていなかった。奮い立てていた殺意が萎えてしまったのだ。

(まぁいいか……先のことは、とりあえずこいつの邸に行ってから考えよう)

 やれやれとため息を吐いていると、「もうすぐです」とイツキが振り返った。改めて周囲を見渡してみれば、いつの間にか貴族の居住区域の中でもずいぶんと南のほうにまでやって来ていた。立派な塀や門に守られた邸がある一方で、あばら家寸前の粗末な民家も散見される。

 イツキの持つ提灯の明かりを頼りに二人は狭い路地を進んだ。そして「あそこです」とイツキが指差したほうを見れば、申し訳程度に塀に囲まれた小規模の邸宅が見えた。門前には小さな人影が立っている。不安げにうろうろと動き回っている様子にナギが不審に思っていると、人影がこちらに気づいた。ハッとしたように硬直し、提灯に照らされているであろうこちらを凝視した――人影は、少女だった。

「イツキ様……!」

 門前まで二人がやってくると、少女は震え声で叫んでイツキに飛びついた。

「お帰りが遅いから心配してたんですよ!? 最近は毎晩おひとりでお出掛けになるから、わたしは心配で心配で……」

 少女がイツキの着物を掴んで泣きそうに顔を歪めた。イツキは彼女の頭を撫でてやりつつ、「すまなかったね」と眉を下げた。

「実は夜盗に襲われてね……この方に助けて頂いたんだ」

 そう言ってイツキがナギを振り返る。少女が大きな瞳を更に見開いて絶句した。「だから危ないって申し上げたのに!」と嘆きつつ、ナギに向かって小さなおかっぱ頭をぴょこんと下げた。

「あの、どこの誰かは知りませんが、ありがとうございました」

「ん? ああ、おう」

 ナギは苦笑いをしつつ生返事をする。懐に隠した短刀の存在が重く感じた。

「そういうわけだから、ハルヤ、お持て成しの用意をしてもらえないかな。確か酒が一瓶だけあっただろう」

 ハルヤと呼ばれた少女はしばしナギを見つめていたが、「はい」と返事をすると足早に邸へと入っていった。

 イツキがナギに顔を向ける。

「ではナギ殿、狭苦しいところですが、どうぞお入りください」




 ナギは今まで貴族の邸など訪れたことがないが、イツキの住居があまり上等ではないということは一目瞭然だった。床板や柱はかなり古びて傷んでおり、廃屋だと思われても不思議はないくらい庭も荒れている。

(没落貴族ってところか)

 薄暗い回廊を歩くイツキの背中を見やりつつ、値踏みするようにナギは思った。

 やがて客間に到着した。調度品の類は破れかけた几帳が部屋の隅にひとつきりあるだけで、寂しげな燭台の灯りに浮かび上がる室内は陰気なことこの上ない。円座を勧められ、ナギはイツキと向かい合って座した。

「どうぞお寛ぎを。すぐに酒をお出しするので、身体も温まりましょう」

 ナギは遠慮なく足を崩すと、不躾に室内を見回した。イツキが苦笑する。

「むさ苦しいところでしょう。お恥ずかしい」

「ああ、本当にな」

 事もなげにそう答えれば、イツキは恥じ入るように目を伏せた。彼の憂いを帯びた目元にうっすらと苛立ちを感じつつ、ナギは「召使とか、いねぇのか?」と直截に尋ねた。見たところ邸に人の気配はしない。貴族の邸には大勢の使用人、というのがナギの認識だった。

 以前はいたんですが、とイツキは静かに笑った。

「私のような将来性のない主には仕えていたくないんでしょう。残ってくれているのはさっきの彼女……ハルヤだけ」

「ふぅん」

 ナギは先ほどの少女を思い返した。ナギにも同じ年頃の妹がいる。昔はよく遊びに付き合ってやったものだ。生意気で腹の立つこともあったが、所詮は子ども。癇癪を起こそうが拗ねて泣きわめこうが可愛いものだ――郷里の妹になんとなく思いを馳せつつ、あんな子どもしか居つかないとなるとこの貴族は相当駄目な部類だな、とナギはイツキを評した。同時に彼を殺そうとしていたことが馬鹿らしくなってくる。

(こんなウダツの上がらねぇ出来損ないの貴族を殺したって、意味ねぇな……)

 どうせならもっと憎らしい大物を始末しなければ溜飲も下がらぬ……そんなことを頭で思いつつ、「ところであんた」と斜に構えてイツキを見やった。

「なんであんな夜道をひとりでフラフラしてたんだ? 金持ち階級は破落戸どもの飯のタネだぜ。襲ってくださいって言ってるようなもんだ」

 実際自分にとってもカモだったわけだが――とは口には出さずに胸のうちで呟く。イツキは申し訳なさそうに視線を落とした。

「……本当に、あなたにはなんと感謝したものか……。その、私はこのところ毎晩あのように夜道を徘徊していたんです」

「ああ、あの子もそう言ってたな」

 ナギは泣きそうになっていた少女の顔を思い出す。

「まさか本当に襲われたかったわけじゃねぇよな?」

「それはもちろん……」

 イツキは首を振る。「変な話だが、」と前置きすると、気まずそうに話を続けた。

「誰かを、探していたような気がするのです。出会わなければならない、大切な人がいたような……そんな、気がしていて」

「はぁ?」

 ナギは呆けた。なにを言い出すのかと思えば……とんだ夢見がちな思考に呆れていると、イツキが顔を上げて初めてしっかりとナギの顔を見つめた。

「もしかしてナギ殿、あなたと私はどこかで会ったことがないだろうか?」

 今度こそナギは脱力した。一体この優男はなにを考えているのだろう?

「それってあんた、出会わなきゃならねぇ大切な人ってのが、俺だっていうのか?」

 イツキは答えない。しかし否定もしなかった。なにか考え込むように真剣な顔をしているだけだ。ナギはふんと鼻を鳴らす。

「そういう軟弱なことは歌物語の中だけにしてくんねぇかな。てめぇみてぇなお貴族様にそんなこと言われたって、こっちは嬉しくもなんともねぇんだ。女だったら浮かれてたかもしれねぇけどよ」

 刺々しく言い放ってやれば、イツキは一瞬だけ傷ついたような顔をした。しかしすぐに目を伏せ、「妙なことを言って申し訳なかった」と謝罪した。俯いた面にさっと影が差す。憂いを含んだ眼差し、悩ましげに顰められた眉、鬢のほつれは儚さを助長し――絵に描いたような彼の薄幸ぶりに、ナギの苛立ちは頂点に達した。舌打ちし、「やめてくんねぇかな」と上目でイツキを睨みつける。

「むかつくんだよ、そんなふうに不幸面されるとさ。召使もガキしかいなくて家もボロだっつっても、南に住む貧乏人よりはよっぽどマシな暮らししてるってこと、あんたちゃんとわかってんのかな」

 食うや食わずの生活が果たしてこの男に想像できるのだろうか。物乞いをし、飢えに苦しみ、寒さに震え、税を搾り取られ――きっと考えてみたこともないのだろう、彼のような人種は。

 イツキが顔を上げた。怒りの色は見られなかった。ただただ、悲しそうにナギを見つめるだけだ。憐れんでるのか、俺を――ナギの苛立ちは更に増していく。

「お可哀想だってか? 俺みてぇな貧乏人にだって矜持ってもんはあるぜ。没落貴族風情のあんたなんかにそんな目で見られる筋合いはねぇ。……はじめに言っときゃよかったな、俺はてめぇらみてぇな貴族様が大っ嫌いなんだよ!」

 なかばヤケクソのように吐き捨てたのと、ほぼ同時に――いきなり頭から酒が掛けられた。ナギは驚いて我に返る。振り返れば、ハルヤが盃を握り締めて震えていた。ぎゅっと唇を引き結び、瞳には涙が溜まっている。

「……イツキ様の悪口、言わないで!」

 涙声で少女が叫ぶ。野の獣が威嚇するように、ナギのことを精一杯の怒りをこめて睨みつけていた。

「あんたなんか……イツキ様のこと、なんにも知らないくせに!」

「……ハルヤ、やめなさい」

 イツキが驚いたように制するが、ハルヤは聞かなかった。「出てってよ!」と怒鳴る。

「出てってよ! もう一杯ぶっかけるわよ!?」

 左手に持った盃を振り上げ、ハルヤが威嚇する。ナギはしばし呆然としていたが、すぐに「言われなくてもそうするよ」と目を眇めた。

「……邪魔したな」

 年若い主従に一瞥もくれず、ナギは立ち上がるとさっさと客間をあとにした。呼び止めるイツキの声が聞こえたが、ナギは決して振り返らなかった。




 膝を突き合わせて座り込み、二人して床に伏せられた椀を睨みつける――根城にしているいつもの賭場で、ナギは賭け事に明け暮れていた。イツキの邸を訪れてからというもの、無性に苛々して仕方がない。ナギに残された時間は決して多くはない。ならば一刻も早く殺す相手を物色すべきだったが、ざわざわと怒りが空回りするだけで冷静に考えを巡らせることが出来なかった。結果、今まで通り博打をして数日間を無駄にしていた。

「丁」

 ぼそりとナギは呟く。視線だけで勝負相手を見て顎をしゃくれば、彼はおどおどと「は、半……」と声を搾り出した。

 ナギが椀を開ける。床に転がる二つのサイコロの目は、二と四。相手が呻き声を上げた。

「これで三連勝。俺の勝ちだな、ヤマ」

 見下しきった目で勝負相手のヤマを見やり、ナギは言い捨てる。彼は以前ナギを短刀で刺した張本人である。ナギにしてみればすべての元凶ともいえる男だ――忌々しさも露わに「さっさと金出せよ」と凄んだ。ヤマはしばし歯噛みしていたが、突然「イカサマだろ!」と食って掛かった。

「おまえ、このところ勝ってばっかじゃねぇかよ!? 見てたんじゃねぇか、椀の中!」

「はぁ? またかよ。だいたい椀伏せたのはてめぇじゃねぇかよ。俺が見れるわけねぇだろ、馬鹿」

 ナギは探るようにヤマを睨みつけると、懐に手を忍ばせた。あの日から、ここには常に短刀を仕込んでいる。殺しの機会はいつ訪れるのか分からないからだ。

「この前は不意打ちだったからヘマしたけどよ、今日はそうはいかねぇ。文句があるってんなら受けて立つぜ」

 ヤマは貧相な小男である。タイマンならばまずナギに軍配が上がるだろう。すっくと立ち上がって「やろうぜ」と見下ろしてやれば、ヤマはあからさまに怯えた。「冗談だよ」と媚びるように笑う。

「ま、マジになんなよ……ほら」

 懐から錆ついた銭を出し、ナギに差し出す。ナギはひったくるようにしてそれを受け取った。ふんと鼻を鳴らす。

「だったら初めからさっさと出しとけよ、腰抜け」

「なんだよ、おまえ……最近怖ぇよ」

 身の安全が確保されると分かると、ヤマは途端に不機嫌をむき出しにした。感じ悪いなどと文句を言われるものだからナギはこめかみを引き攣らせた。

(誰のせいだってんだよ、クソが)

 そもそもこの男が自分を刺したりしなければ間違えて三途の川を渡ることなどなかっただろうし、身代わりに殺す相手を探す必要もなく、そしてあの青年貴族や少女と関わることもなかっただろう――ナギは舌打ちする。しかし他人に事情を話すつもりはなかったし、話したとしても誰も信じはしないだろう。ナギはただ無言でヤマに背を向けた。

 このところ博打の調子はすこぶるいい。それなりの金額を巻き上げ続けているナギは、常連の破落戸どもから称賛と嫉妬の視線を浴びていた。けれどいくら賭けで勝とうとも苛立ちは収まらない。むしろ焦りが増してより不愉快になるばかりだった。

(……面白くもねぇ)

 賭場を見渡す。掘っ立て小屋の方々では、薄汚い男たちが酒を煽り、賭けに興じている。淀んだ空気で視界が濁って見えるようだった。

(なんてくだらねぇ連中だ)

 働くこともせず、ただ文句ばかりを吐き、弱い者を嬲り、日々を遊んで暮らす。同類同士つるんではいるが仲間意識はなく、賭けに負ければイカサマだと平気で相手を刺してくる――ナギは虫唾が走った。なによりも自分もその一員なのだということが忌々しくて仕方がなかった。

「……散歩でもするか」

 ため息を吐く。外の空気でも吸ってこようと、出入口に足を向けた。と、そのとき。なにやら騒がしい物音が外から聞こえた。ナギは首を傾げる。足早に外へ向かった。

 明るい日の光の下へ出てきたナギは、目の前の光景に目を瞠った。

「あんた……!?」

 そこには荒くれ者の男たちに小突きまわされるイツキの姿があった。なぜあの男がこんな場所に――呆然と突っ立っていると、ひときわ体格の良い破落戸がナギに気が付いた。この辺りの大将格の男、イワギである。

「よう、ナギ。こいつおまえの知り合いか?」

 そう言ってイツキの背中を蹴った。よろめきながらも寸でのところで踏みとどまったイツキの視線が、ナギを捉えた。

「こいつ、おまえを探してここらをフラフラしてたんだぜ。ナギさんはいませんか~って、なぁ?」

 イワギがイツキの襟首を掴んで顔を覗き込む。イツキの若草色の狩衣はすでに土埃で汚れていた。

 イツキは破落戸には目もくれず、ただナギに顔を向けるとすまなそうに眉を下げた。

「先日はあなたに不快な思いをさせて申し訳なかった……だから謝りたかったんです。だが、かえってご迷惑になったようだ」

 言い終わるや否やイワギがイツキの横っ面を殴った。弱弱しい青年貴族は呆気なく地に倒れ伏す。冠をかぶった頭を小突きながらイワギがナギに向かって笑った。

「いつの間にこんな御大層なお友達つくったんだ、おまえ? ナギさんの大切なお友達なんだからしっかりお持て成ししないとなぁ、みんな?」

「そうだそうだ!」

 周囲の取り巻きたちが面白そうに同調の声を上げる。虫でも苛めるように、倒れているイツキの身体を爪先で突っついた。

 イワギがイツキを引きずり起こした。ナギを見やり、せせら笑う。

「なぁ、ほんとにお友達なのかよ? 貴族嫌いで有名なおまえが」

「……」

 ナギはちらりとイツキを見た。一瞬だけ彼と目が合う。イツキの口から助けを求める言葉は一切出てこなかった。ナギは傷だらけの彼の顔から目を逸らす。拳を握り、「友達なわけ、ねぇだろ」と呟く。

 イワギが笑った。「だよなぁ!」と楽しそうに大声を出すと再びイツキを蹴倒した。

「なぁ若旦那、残念だったな、あいつはおまえのことなんて知らねぇってよ」

 イツキは答えなかった。ただ少しだけ哀しそうな影が表情に差した。その顔が破落戸どもの嗜虐心を煽るのか、弄ぶような暴力が再び彼を襲う。

 ナギは暴行から目を背けたまま棒のように突っ立っていた。あの男たちが彼をどうするのかは分かっている。鬱憤晴らしに嬲り殺しにし、着物を剥ぎ取り、死体は川にでも捨てるのだろう。なにも初めてのことではない。ナギは殺しに加担したことこそなかったが、奪い取った衣服や所持金は堂々と使っていた。

 今回も、それと同じだ。きっと彼は死ぬ。そして剥いだ着物を売って小金に替え、その金は博打に消えるのだろう――

(……そうだ、別にいつもと同じじゃねぇか)

 なにを心を痛める必要があるのだろう。今までだってそうしてきたではないか。それに今嬲られているのはどうせ憎き貴族なのだ、罰を受けて当然だ、そもそも自分も一度は彼を殺そうとしたではないか……ナギは湧き出そうになる嫌悪感を無理やり押し込めようとした。

「やめて!!」

 突然甲高い悲鳴が上がった。かと思うと小さな影が鉄砲玉のように男たちの輪に飛び込んできて、倒れるイツキの背中に覆いかぶさった。

「やめて、イツキ様を殺さないで……!」

 ナギは眉を上げる。小さな影はハルヤだった。幼い少女は泣きながらイツキにしがみついている。破落戸たちは闖入者に一瞬驚いたが、それが少女だと知ると見る間に下卑た顔をした。

「おい、どうしたぁ、お嬢ちゃん。こいつのお友達か?」

 イワギが軽々とハルヤを抱え上げ、怯えきった少女の顔を覗き込む。ハルヤは悲鳴を上げて暴れたが、男の腕力に適うはずもなかった。

「ハルヤ……」

 ぐったりと倒れていたイツキがぴくりと反応する。震えながら顔を上げ、破落戸に抱えられている少女を認めると蒼褪めて懇願した。

「やめてくれ……その子は関係ない、離してやってくれ」

「なんだ、まだ生きてたのかよ、旦那」

 イワギが嘲笑った。ひときわ強くイツキの腹を蹴飛ばす。イツキではなくハルヤの口から悲鳴が上がった。

「やめてよ! なんなのよあんたたち! 許さないんだから!」

「威勢のいい嬢ちゃんだなぁ。俺の好みだ」

 イワギは暴れるハルヤを腕の中に抑え込みつつ、イツキに向かって顎をしゃくった。

「嬢ちゃんは子どもだからまだわかんねぇだろうが、こいつら貴族様って輩は悪い奴なんだ。こいつらが贅沢三昧して税をがんがん徴収するから俺らみてぇな貧乏人が苦しむことになるんだよ」

 もっともらしく少女に世の中の不条理を説くならず者の言葉を、ナギは呆然と聞いていた。それは己が叫び続けてきた言葉と同じだった。貧しさを怨み、貴族を怨み、彼らこそが憎むべき存在なのだと――だが、知ったような口をきくその顔はなんと醜いことだろう。

(……俺は、今までなにやってたんだ?)

 村を飛び出して都に居つき、破落戸どもとつるんで賭け事や盗みの悪党三昧。文句を吐くのは一丁前で、そのくせ自らの役目はなにも果たさない。ナギには家業があった。家を支えなくてはならぬ義務があったはずだ。兄妹三人協力して両親を支えていこうと、幼い頃に約束していたではないか――

「あんたたちなんかただの悪者じゃないの!」

 鋭く響いたハルヤの声。ナギはハッとした。

「わたしは……捨て子で……ずっと宮中で下働きをしてたわ。確かに偉い人の中にはわたしを苛める人もたくさんいた。でもイツキ様はいつも優しくてわたしを大事にしてくれたわ。それに比べてあんたたちはここでグウタラしてるだけじゃないの! あんたたちなんかに、イツキ様を傷つける権利なんかないわ!」

 このロクデナシ! ――ハルヤが拘束されたまま男たちに啖呵を切った。しんと場が静まり返る。初めに反応をみせたのは、ハルヤを捕まえていたイワギだった。ぎろりと少女を睨みつけ、こめかみに青筋を立てている。

「……ずいぶん口達者じゃねぇか、嬢ちゃん。へっ、まぁいい、どうせあんたは人買いに売り飛ばすんだ。女の子は高く売れるんだぜぇ、知ってるか?」

「ひっ……」

 ハルヤが大きな瞳に涙をいっぱいに溜めた。縋るようにイツキを見下ろしたその拍子に、ころんと滴がこぼれ落ちていく。

「まずこの餓鬼を縛って――!?」

 イワギの言葉が途切れる。ナギが全体重をかけてイワギに体当たりしていた。不意打ちの攻撃に大きな体躯が倒れ込む。ナギはいち早く体勢を立て直すと素早くハルヤを助け起こした。次いでイツキを抱え起こす。イツキはうつろな目をしていたが、ナギの顔を見るとはっと瞳を開いた。

「走ってくれっ!」

 ナギがそう叫ぶや、ハルヤとイツキは慌てて走り出した。破落戸どもは突然のことに呆けていたが、逃げる二人の姿に我に返りあとを追おうとした。ナギは追手の背中を力任せに蹴り飛ばす。

「ナギ、てめぇっ……裏切るのかよ!?」

 罵声と共に総出で襲い掛かってくる。ナギは地面に落ちていた小石を握りこむと、勢いをつけてイワギの顔を殴った。男の身体が吹っ飛び、白い歯が飛んでいくのが見えた。

「一度でもお友達だったことが……あるかよ!?」

 怒鳴りながら次々に破落戸どもを殴り倒していく。ナギ自身も何度も殴られたが、不思議と痛みは感じなかった。ならず者を蹴散らしながら少しずつ前進し、怯んだ男たちの攻勢がゆるんだところで脱兎のごとく駆けた。前方には足を引きずりながら走るイツキと、彼に寄り添うハルヤの背中が見えた。

 ナギは全速力で彼らのもとまで走って追いつくと、二人の手を掴んだ。

「こっちだ! いま邸に帰ると、つけられるぞっ!」

 右手にイツキ、左手にハルヤの手を掴むと、ナギは路地を縫って人気の無い区域まで走った。都をやや北上し、賭場からはかなり離れた都のはずれに位置する社まで来るとようやく足を止めた。

「……ここなら、大丈夫だろ」

 社の裏手に回り、腰をおろす。社の周りは木々や岩で陰になっており、昼間だというのに薄暗かった。

 三人ともただ黙って呼吸を整えた。しかし落ち着くよりも前に、荒い息の中に嗚咽が混ざり始めた。ナギは顔を上げる。ハルヤが顔をくしゃくしゃにして涙をこらえようとしていた。

「ハルヤ……怪我は?」

 イツキがそっと少女に問いかける。そう尋ねる彼自身がもっとも傷を負っていた。顔には痣が浮き、着物は土で汚れあちこち擦り切れている。ハルヤはまじまじと主人の顔を見つめると、しがみついて堰を切ったように泣いた。イツキが優しく抱きとめて背中をあやしてやる。

 ナギは抱き合う二人のことを、顔を歪めて眺めていた。視線に気づいたのか、イツキが顔を上げる。ナギを見つめると、

「……また、助けられてしまった。ありがとう」

 淡く、けれど温かく微笑んだ。ナギの胸が痛む。俯き、ぎゅっと拳を握った。

「……悪かった……。俺は、ただの大馬鹿者だ。俺は……っ」

 唇を噛む。握りしめる拳が血の気を失って白んだ。と、イツキの掌がそっと拳を包み込んだ。

「あなたは悪くない。私は……先日のあなたの言葉に目が覚めたんだよ」

 ナギは上目でイツキを見る。なにか実のあることを言っただろうかと訝しんでいると、痣だらけの顔でイツキが笑った。

「不幸面するなと、もっと貧しい人がいるんだと、あなたは言っただろう。私は反省した。確かに、少し自惚れていたのかもしれない、自分の不遇に」

「……そんなの」

 気まずさを感じてナギは目を逸らした。

「餓鬼の戯言だよ、俺の言うことなんか」

 そう、我儘な子どもの癇癪だったのだ――ナギは己の行動を恥じ、悔やんだ。小悪党として都を汚していたことを。そして、その口でいっぱしの主義主張を叫んでいたことを。

 イツキは小さく笑み、息を漏らした。ハルヤの頭を撫でつつ、「とりあえず……」と提案する。

「私の邸へ戻ろう。あなたの手当をしなければ」

 ナギは窺うようにしてイツキを眺めた。少しだけ笑みが漏れる。

「あんたのほうがよっぽどボコボコだけどな」

「ああ、確かに」

 自らの着物を見下ろし、イツキが破顔した。




 私の父は今上帝です――静かに、イツキはそう言った。寝室の中はほのかに燭台が灯り、かすかな隙間風が時折炎を揺らしている。室内にはハルヤの寝息とイツキが語る穏やかな声だけが響いていた。

「父は軽率な人間でした――本来天皇の婚姻に恋愛などは認められないものです。しかし父は政略結婚には頑として反対していた。無論そんな主張が認められるはずもなく、有力者の娘と婚姻を結ばされました。父はそれに抵抗しようとでも思ったのか、あろうことか下働きの女性と関係をもち……私が生まれてしまった。しかも第一子の男です」

 宮中は大騒ぎになった。皇后とその父は激怒し、そんな女との子どもは認められぬと厳しく帝を糾弾した。帝としてはその息子や下女に対する愛情は並々ならぬものがあったが、所詮は権謀術数の蠢く宮中でのこと。権力をもった皇后側を説き伏せることはできず、不運な母子は宮中の片隅にひっそりと追いやられることになった。

「ですがやはりそう簡単に片付く問題でもなく……皇后との間に男子が生まれると、宮中のあちらこちらで妙な噂が立てられるようになったのです。帝は皇后との子を差し置いて後継に私を指名するのではないか、と」

 皇后とその父は恐れた。本音では目障りな第一子を殺してしまいたかったに違いない。だから宮中を追われただけですんだのは大変な温情だったといえるだろう――イツキはそう言って苦笑した。

「私は正式に皇位を剥奪され、市井に移されました。そのときに何人か使用人もつけて下さった。ハルヤもそのひとりです。残ってくれたのは、今では彼女だけ」

 ありがたいことです、とイツキは結ぶと、ハルヤの額をそっと撫でた。少女の瞼は泣き疲れて腫れていたが、寝顔は思いのほか穏やかだった。

「そっか……」

 ナギは呟いた。

「貴族にも、色々あるんだな」

 本来ならば国の中でも最も貴い位置にいるはずの皇子までもが、この都では虐げられている。ナギは複雑な思いに駆られた。親の仇のように憎んでいた貴族のはずなのに――それどころか更に地位のある皇族であるのに――同情の念が湧いてくるのが不思議でならなかった。

 彼もまた理不尽な理由で不自由な生活を強いられている。それはナギが生まれながらにして農民であったのと同じように、イツキ自身にも選択の余地のなかった定めだ。

(同じ……なのか)

 ナギは心中で呟く。分からなかった。盲信ともいうべき強さでナギは貴族を恨んでいた。しかしそれが揺らいだ今、己の立ち位置も揺らぎ始めていた。だが、確かに胸に芽生え始めている思いは、自分でも感じとることが出来た。

「なんか、その……雲の上の話すぎて、俺にはよくわかんねぇけどよ」

 ぼそぼそと、俯きながらナギは言葉を紡ぐ。じっと続きを待ってくれているイツキの気配を感じた。

「俺……にも、なにか出来たらって、思うよ」

 結局たいした言葉は浮かんではこなかった。しかしイツキが微笑んだことを、ナギは空気の揺れから察した。

「では、友人になってくれないかな。ハルヤも話し相手が私だけでは退屈だろう」

 ナギはイツキを見つめた。「そりゃ簡単だ」と言うと、気が抜けたように笑った。

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