12章 躍動する衝動
魔族。
このレムリソン大陸に住む者でその名を知らぬ者はいないだろう。
遥か北、氷に閉ざされし神々の黄昏の地に封じられている異形の精神生命体。
彼のモノ達を縛る神々の呪縛が解けし時、世界は終末を迎えるという。
かつてあった魔族との大戦で、あやうく崩壊し掛けた人類社会。
神々の助力と、魔族に呼応するかのように現れた英雄達の活躍により、どうにか滅びは免れたものの、その戦禍は各地に重い爪痕を残した。
それなのにその実態は杳として知れず、交戦経験どころか姿を見掛けた者すら稀だ。
ただ、二つだけ皆知っている。
下級魔族でさえ、完全武装した熟練冒険者達か騎士一個小隊でなければ太刀打ちできない強さということ。
さらに……魔族の現れし所が取り返しのつかない悲劇に襲われるという。
ただその二つだけ。
「40秒ください。装備を取ってきます」
決意をすれば動きは早い。
二階へと掛け上がり昨日使用した部屋へ。
普段着を脱ぎ捨て、鎖が編み込まれている戦闘着を身に纏う。
矢筒を背負いながら手甲と弓手用の指貫を付け、弓の弦を引き具合を確かめる。
近接戦闘を強いられた先の戦いを思い出し、師より免許皆伝代わりに贈られた朱色の短刀を荷物袋より取り出す。
束の末端が輪を成している為、左に弓を持ち、右手に構えていても、指に引っ掛ける事で装備をしたまま矢を射る事が出来る優れものだ。
持ち前の俊敏さを活かした戦いなら、弓以外でもそこそこ自信がある。
いや、この「武具」を使う真価はもっと別なところにあるのだが。
瞬時に判断し後ろ腰へ携える。
(なんだろう、この気持ち……)
実戦を前に心が冷え、そして何処までも静かに澄み渡っていく感覚。
私の在り方が、そして認識が変わっていく。
日常から非日常へ。
人間から人形へと。
この数日、確かに平穏で楽しかった。
だが……何か満たされない渇望感が纏わりついていたのも確かだ。
サリアのいた村の悲劇。
ミラナさんの縁者が襲われたという事に対する哀感の意とは別に。
私は……胸の内から湧き上がる高揚と、蠢く黒い衝動を感じている。
月明かりに照らし出される私の影法師。
その口元に、歪んだ半月が浮かんでいる気がした。
「お待たせしました!」
「早いわね、シャスくん。
今この娘から村への転移座標を譲り受けたわ。
到着するなり戦闘になるかもしれないけど、準備は大丈夫?」
駆け降りた私に武装準備をしながら問いかけるミラナさん。
アメトリさんは既に詠唱補助用の魔杖を手にし、魔術師の防御結界でもあるローブを羽織っている。
「大丈夫です。いけます」
「そう……じゃあ「跳ぶ」わ。
サリア、不安かもしれないけど貴女はここで待ちなさい。
メルファリアを通して教会へ保護を頼んだから。
もしわたし達が戻らない時は、前に紹介したエメリアを頼りなさい。
決して悪い様にはしない」
「そんな姉さま! わたくしも一緒に!!」
「貴女は充分に与えられた責務を果たした。
きっと神もそれを認めて下さるわ。
今は休みなさい……これからは、わたし達の仕事よ」
労わりながらもサリアを見据え、宣言する。
「はい……姉さまも……皆さまも御無事で……」
床に跪いて祈りを捧げるサリア。
「じゃあいくわね。移送の扉よ!」
青霊石を取り出し聖印を切ると共に、床に光の円陣が浮かび上がる。
軽い酩酊感と浮遊感。
幾度経験しても慣れない特有の感じ。
そして私達は最北の村、ノースエンドへと転移する。
行く手に待ち受けるものが惨劇で無い事を望みながら。