診断書くらいで、どうしてこうなった 〜新入社員ヒデアキの悪夢〜
衝動的に書きました
「公欠公欠。公欠にしときゃいいんだよ」
大学時代の友人の声で目が覚める……それがヒデアキが繰り返し見る悪夢だ。
◆◆◆
「なあ、来週の火曜日、東京に遊びに行こうぜ」
ヒデアキに話しかけてきたのは悪友のショウタだった。
火曜日は必修の経済工学の授業がある。この授業は何度か欠席していたが、まだ、欠席日数は大丈夫だろう。
「いいね。どこ行く?」
「決まりだな。お前、数に入れておくぜ」
◆
(やっべ、どうしよう……)
久々の東京を満喫したヒデアキは、ホンマ先生からのメッセージに気付いた。
『経済工学の欠課回数が4回となりました。事情があるならすぐに説明に来てください』
この授業の欠席日数の上限は3日だ。必修科目なので、何とかしなければ即、留年である。ホンマ先生は厳しいので、言い訳は聞いてもらえないだろう。既に授業を休んでしまった以上、公欠ということにするしかない。苦労して内定をゲットした企業への就職も、できなくなってしまう。
(誰か身内が死んだことにするしか……でもマズいな)
ショウタとヒデアキは一昨年一緒に留年した。ヒデアキのそれは単なる学力不振が理由。それに対し、ショウタは「祖父が亡くなった」と公欠手続きをしようとしたところ、証拠書類(カイソーオンレーとか言っていた)を提出できずに欠席扱いとなり、授業日数が不足して留年となったのだった。
(証拠、証拠……そうだ、いいことがある)
ヒデアキは散らかった机の周囲をゴソゴソと探し回り始めた。
◆
ヒデアキが卒業した年の6月、ホンマ先生は呼び出した学生に説教をしていた。
「この診断書では公欠届を受け取ることはできないよ。どう見ても君が自分で書いたものだろう」
学生は黙って下を向いている。
「見なかったことにしておくから、この書類は取り下げなさい。病院に行ったのなら、後日でも診断書は発行してくれるはずだからちゃんと手続きをしなさい」
「……先輩は、自分で書いたら通ったって……」
「誰だそんなことを言った先輩は?」
学生は当初、先輩の名を明かすことを拒んだ。だが、ホンマ先生が『口を割らないなら不正な届け出を学生処分委員会に付託する』と告げるとその名を口にした。
(ヒデアキ……あのバカ者め)
マメなホンマ先生は公欠届をきちんと保管していた。昨年、ヒデアキが届け出た公欠は2回。その診断書を比較すると、2度目の公欠に使われた診断書は、1度目に使われた診断書の日付部分を修正テープか何かで消し、自筆で書き直したもののようだった。診断書は写真撮影したものを提出すれば良いことになっているので、それが悪用されたのだ。
これは明白な不正である。だが、ヒデアキは既に今春卒業してしまった。ホンマ先生は対応を協議するため学科長の元へ相談に向かった。
◆
「サクラマチ警察署刑事課のヒラハラです。こちらはヤマダヒデアキさんの電話で間違いないですね?」
警察からの電話。ヒデアキには青天の霹靂だった。
「はいそうです……って、け、警察ですか?」
「はい。刑事課のヒラハラです。あなたの卒業されたチュウニチ工業大学での事務手続きに関係して、確認したいことがありまして。近く署まで来ていただきたいのですが?」
(事務手続き……何だろう?)
「ええと、土曜日でもいいですか?」
「はい、結構ですよ。休日ですから、午後が良いでしょう。13時に署の受付に来てください。担当は刑事課のヒラハラです」
「分かりました」
「ではよろしくお願いしますね、失礼します」
「おーい、ヤマダ!休憩時間は終わりだぞ!研修室にもどれ!」
「は、はーい!」
ヒデアキは先輩に呼ばれ、今切られた電話のことを深く考えることはなかった。
◆
「これに見覚えはありますね?」
土曜日、サクラマチ警察署に出頭したヒデアキを迎えたのは、ヒデアキの父と同年代とみられる腰の低い警察官だった。その態度は丁寧だったが、どういうわけか、逆らってはいけないと思わせる圧力がある。ヒデアキは終始居心地の悪さを感じていた。
差し出されたOA用紙は、大学の公欠届を印刷したものだ。
「はい、確かに僕の出した公欠届です」
ヒラハラ警部補は、もう1組の公欠届も取り出した。
「では、こちらもあなたの提出したもので間違いありませんね?」
「はい、間違いありません」
ヒラハラ警部補は何やらノートPCに打ち込むと、公欠届に重なっていた診断書をヒデアキに見せた。
「これらの診断書も、あなたが提出したものですね?」
「はい」
その返事を聞いた警部補の目がスッと細くなったことに、ヒデアキは気付かなかった。
「これが、どうしたんですか?」
警部補は「うーん、まだちょっと言えないんだけど、大事なことなんで」と言いながら3度も似た質問を繰り返した。
「だから、間違いないですって。何なんですか!」
腹を立てたヒデアキがイラついた声を出したが、警部補は顔色も変えずまた何かノートPCに打ち込むと、ヒデアキに別の書類を見せた。
「なるほど、間違いないということですね。ところでこれは、診断書を発行したことになっているチュウダイ病院にお巡りさんが問い合わせをした回答なんだけど、読んでみてもらえるかな?」
その簡素な書面を目にしたヒデアキは顔面蒼白となった。昨年、ホンマ先生に提出した診断書が自分で変造したものだったことは、完全に忘れていた。全く罪の意識がなかったので、先ほどまで何度もそれを見せられたが、思い出しもしなかったのだ。
『令和✕年12月15日、およびその前後1月の間にヤマダヒデアキという患者にいかなる診断書も発行したことがないことを証明します。 チュウダイ病院長 印』
警部補は黙ってヒデアキの様子を観察している。ヒデアキはやっとのことで声を絞り出した。
「こんな、診断書くらいで……」
ヒラハラ警部補は努めて優しく言った。
「ヤマダさん、軽い気持ちで、単位欲しさにやってしまったのでしょう?」
ヒデアキは黙って頷いた。
「これ、1枚目の診断書のコピーなのかな?それとも原本?」
じっとヒデアキの目を見る警部補。ヒデアキは記憶をたどり、口にした。
「原本です。小さい紙を貼り付けて、上からボールペンで」
「どうして原本が手元に?1枚目はコピーを出したの?」
「うちの大学、写真に撮ったのをメッセージで先生に送ることになってたんで」
「あー、そういうこと。それ、まだ持ってる?」
ヒデアキは記憶をたどったが、思い出すことはできなかった。
「捨てたと思うんですけど……」
「そっかー、まあ、そうだよねえ。でも念のために、調べさせてもらってもいいかな?」
「はい」
取り調べは続き、やはり何度も同じことを聞かれた。すっかり疲れ切ったヒデアキは最後に調書にサインをし、拇印も押した。
帰宅したヒデアキは心配になり、アンインストールしていなかった大学のメッセージアプリと、ショウタとのSNSのやり取りを消去した。
◆
ピンポーン、ピンポーン
3日後の朝、寝ていたヒデアキは繰り返し押されるインターホンの音で目を覚ました。
(……なんだよ、また宗教か?ここ、オートロックじゃないのマジでクソだよな)
「はい」
「おはようございます、ヤマダさん。私、ヒラハラです。覚えてます?」
モニターに映っていたのはヒラハラ警部補だった。
「どうしたんですか」
「ほら、先週、診断書の原本を探させてくださいって約束したでしょう」
ヒデアキは急に恐ろしくなった。
「嫌です。入らないでください」
「そうはいかないんですよ。これ、裁判所からの令状。素直に従った方が、あなたのためですよ」
モニター越しに示された紙の内容は、解像度が粗くて読むことはできなかった。だが、ヒデアキは観念してドアを開けた。
ヒラハラ警部補は玄関先で令状を読み上げると、同行していた若い警察官2人と一緒にヒデアキの部屋を漁り、ノートパソコンや少しだけ残っていた大学時代のプリント類を持ち帰った。スマートフォンも取り上げられたことは痛かった。
そして彼は、階下にパトカーが止まり、自分の部屋の前で警察官が長時間インターホンを鳴らしていたことを、複数の先輩に見られていたことには気付いていなかった。彼が暮らすマンションの一室は会社が借り上げたもので、同じように暮らす先輩・同僚が何人もいたのだ。
◆
その後、遅刻して出社したヒデアキは、周囲の態度がよそよそしいことに気付いた。違和感を感じながら過ごしていると、昼過ぎ、部長から声がかかった。
「午後の研修はいいから、第3会議室に行きなさい」
会議室に待っていたのは人事部長と法務部の社員だった。不機嫌そうな態度の人事部長は開口一番こう切り出した。
「ヤマダさん、今朝、社宅にパトカーが来て警察の方が部屋に入ったみたいだけど、君、何やったの?」
「たいしたことは……学生時代に公欠届に古い診断書を書き換えたものを出したことがあって、それで調べを受けているのですが、会社には絶対迷惑かかりませんので」
ヒデアキは未だに自分のやったことは大したことではないと思っていたので素直に状況を説明した。警察に取り調べをされ、家宅捜索までされたというのに「犯罪」という意識がない……彼の頭はそれほどまでに軽かったのだ。
それを聞いた法務部社員が人事部長と小声で何事か話し合い、さらにヒデアキに聞いた。
「ヤマダさん、その診断書、病院の先生のサインや印鑑はありましたか?」
「……あったと思います」
「なるほど、有印私文書変造および同行使という罪状で捜査されているわけですね。大学の公欠の手続きでそれをしたからといって、捜査が入るとは普通は考えにくいのですが……どうしてこんなことになっているか、心当たりは?」
『有印私文書変造および同行使という罪状』……その言葉にヒデアキの頭は真っ白になった。警察の取り調べに家宅捜索、どちらでもはっきり告げられた罪名だったが……社内の人間から告げられて始めて、自分の行為が犯罪であると、ようやく実感したのだ。
「分かりません。どうしてこんなことをされるのか本当に分からなくて……」
ヒデアキは戸惑い恐怖を感じてポロポロと涙を零した。人事部長は突き放すように告げる。
「ともかく、警察の捜査を受けている人がいては他の社員が動揺するからしばらく謹慎しなさい。君も警察が来たことが噂になっているから居づらいだろう。入社したてでも有給は22日付与しているから、まずはそれを使うのが良いと思うがどうかね?」
それは事実上の命令だった。
◆
「ヒデアキ?……ヒデアキじゃん!お前、こんなところで何してんの?」
深夜、実家近くのコンビニでアルバイトをしているヒデアキは、しゃがみこんで商品の入れ替えをしていた。声をかけられ見上げると、大学時代の悪友、ショウタだった。明らかに仕立てのいいスーツを身につけ、彼女だろうか、可愛らしい女性を連れている。
「何って、バイトだよ」
そう答えると、ショウタは目を逸らし慌てた様子で言った。
「そうか、大変そうだな……まあ、がんばれよ」
手をひらひらと振り、踵を返してレジに向かう。事情を聞かずに立ち去ろうという彼なりの優しさだったのだが……この時間、他に店員はおらずヒデアキはレジに入ると無言で会計をした。お互い、目は合わさなかった。
(どうしてこんなことに……)
◇
検察での取り調べで知らされたのは、ヒデアキは大学に刑事告発されたということだった。
そして、大学はヒデアキを決して許す気がないらしかった。
曰く、不正な公欠により単位を取得し卒業したことは大学という制度そのものへの重大な挑戦であるが、卒業してしまったものを取り消すことは事務的に困難であるから、せめて正しく社会的制裁を受けるべきだという。
それは、ホンマ先生からの報告に端を発し、苛烈な性格の学長が示した大学としての意思だった。
結局、ヒデアキは不起訴処分となった。だが、取り調べでは、押収されていたスマートフォンが解析されており、『東京に遊びに行きたいという身勝手な動機で授業をサボり、欠席日数をごまかすために書類の変造に手を染めた』という事実を突きつけられ、彼の心はボロボロに叩きのめされた。
さらに彼は、会社に居続けることもできなかった。
送検された段階で大学から「本来卒業すべきでない学生を採用させる形になり申し訳ない」という「お詫び」の連絡が会社に入ったのだ。会社は、それを経歴詐称に準じる状況と解釈した。自主的に退社すれば懲戒解雇にはしないと言われ、泣く泣く受け入れるしかなかったのだ。
彼は次の職場を求めて何度も面接を受けた。しかし、前の会社を辞めた理由をうまく言うことができず、数日後にお祈りの連絡を受けることを繰り返している。
事件から3年、再就職先は見つかっていない。




