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リピート  作者: 羽越世雌
5/5

4話

 逆行する時間を生きるというのは、鏡合わせの世界を歩くような、得体の知れない気味悪さがあった。

 土曜日、金曜日、木曜日。

 周囲の人間は、私が「未来」を知っていることなど露ほども疑わずに、昨日(彼らにとっては明日)の話をしている。

 職場では、これから起こるであろうトラブルを未然に防ぎ、生徒たちの些細な変化を先回りして察知した。同僚からは「最近の先生は冴えている」と驚かれたが、私にしてみれば、一度観た映画の二回目を、台本通りに演じているに過ぎない。


 全知全能の神になったような万能感。しかし、それと引き換えに、私の心は急速に摩耗していった。

 昼休みに食べる弁当の味も、夕景に沈む生駒山のシルエットも、二度目(あるいは三度目)となると感動が薄れていく。何より、家族との会話が苦痛だった。長男がこれから話すこと、妻が今日経験したこと。それらをすでに「知っている」という事実は、会話という名の生命力を、私から奪い去った。


 夜、布団の中で私は自分の「結び目」について考え続けた。

 神職が言った言葉。私が解かなければならないもの。

 振り返れば、私の人生は「リピート」の連続だったのではないか。

 決まった時間に起き、決まったルートを走り、決まった雑誌を読む。教師という職に就き、波風を立てぬよう、無難に、正確に、定時を待つだけの日々。

 あの白い鹿は、そんな私をあざ笑うかのように現れたのか。あるいは、この終わりのない「日常」という監獄から、私を救い出すために現れたのか。


 カレンダーが逆戻りを続け、ついにその朝がやってきた。

 十二月五日、月曜日。私にとっての、再試合リマッチの日だ。

 五時二十分、自宅を出る。

 習慣の強さは恐ろしい。無意識のうちにコンビニに立ち寄り、昨日(私にとっては未来)読んだはずの『少年ジャンプ』を手に取ろうとする。私はその手を止め、代わりに棚の奥にあった一冊の旅雑誌を買い、車に乗った。

 小さな、しかし初めての「違う行動」だった。


 飛火野にさしかかる。

 雨はあの日と同じように、雪を交えて視界を遮っていた。

 ワイパーの往復運動が、私の鼓動と同期する。

 五時五十五分。

 「来るぞ……」

 私はアクセルから足を離さなかった。

 左前方から一頭の鹿が飛び出す。あの日と同じ。

 私は反射的にブレーキを踏みそうになる右足を押さえつけた。

 そして、直後。


 ヘッドライトの白光の中に、真っ赤な眼球が浮かび上がった。

 真白な毛並み。この世のことわりを超越した存在が、私の車の直前に現れる。

 あの日、私は回避しようとして、結果として時間に弾き飛ばされた。

 ならば、今日は逃げない。

 私は白い鹿の瞳を真っ向から見据えた。

「連れて行ってくれ。リピートではない、私の本当の場所へ!」


 次の瞬間、車体は衝撃ではなく、暴力的なほどの白い光に貫かれた。

 重力が消失し、私の体は車ごと、激しい潮流に飲み込まれるように回転した。

 意識が薄れゆく中で、どこからか、澄んだ鈴の音が聞こえた気がした。

 ——準備は、いいですか。


 次に目が覚めたとき、頬を撫でたのは冷たい雨ではなく、柔らかな冬の陽光だった。

 窓の外には、雲ひとつない青空が広がっている。

 時計を見る。

 十二月六日、火曜日。午前十時。

 だが、そこは職場の駐車場ではなかった。

 歴史の止まったような古い神社の境内。私の横には、大きなワンボックスカーではなく、あの「ちょっとおしゃれな軽自動車」が停まっている。


 私は震える手で、ダッシュボードのメモ帳を見た。

 そこには、私の筆跡ではない、しかし私にとってあまりにも馴染み深いレシピが書き込まれていた。

『十二月六日(火) カレー処「シカノヒ」開店初日』


 私は車を降りた。

 神社のすぐそばにある小さな町家から、食欲をそそるスパイスの香りが立ち上っている。

 使い込まれたエプロンを締め、店の中から誰かが顔を出す。

「マスター、何してるんですか。もうすぐ開店ですよ。江戸の町人……じゃなかった、お客さんが並び始めちゃいますよ」

 それは、私の学校の教え子によく似た、しかし全く知らない若者だった。


 私は自分の手を見た。

 チョークの粉で白くなった手ではなく、スパイスが染み込み、包丁だこのできた職人の手だ。

 

 リピートは終わった。

 ここが、私があの夜夢想した「カレー屋を開く江戸」の延長線上にある世界なのか、それとも全く別の時間軸なのか、それはまだわからない。

 

 ただ、店の軒先の影に、一頭の白い鹿が静かに座り、満足げにこちらを見守っていることだけが、すべてが「正された」ことを物語っていた。


(完)

最後まで読んでいただきありがとうございました。日向坂46 16thシングル表題曲な終わり方でした。

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