小旅行
フランス料理を作ろう。何年か前にそう思いたち、実際に作って食した。何とも言えない出来栄えだった。あれが美味かったのか不味かったのか、未だにわからないままである。
フランス料理を作りたい。再び悪い癖が頭をもたげた。アパートのガスコンロに火が入らなくなって何年経つだろう。料理は旅行みたいなものだ。あまりに実生活からかけ離れており、異国へ赴くが如くである。旅行する金もなければ暇もないとなれば、何年かに一度、料理したくなるのは必然なのだろう。
昔馴染みの、海沿いの街へ買い物に出かけた。丘を越えると、海上の空にいくつもの飛行機雲が描かれている。戦闘機の訓練飛行だ。五機が一斉に機体を翻し、ギラッと太陽光を反射する。戦闘機はあっという間に視界から消えた。轟音を置き去りにして。
若い頃、この街で働いていた。給料は安かったが楽しかった。同じ年頃の同僚が多くて、残業などなくて、仕事終わりによく遊びに出かけた。パチンコにラーメン店、ボーリング、ダーツ、飲み屋街。羽振りの良い先輩たちは良くおごってくれたものだ。
オープンしたてのスーパーに入った。駐車場はガランとして、まだアスファルトの無いところもあって、何だか荒涼としている。商品は悪くない。目新しい総菜、生鮮食品、所変われば品も変わるわけだ。問題はコンソメが見当たらない事だ。ありそうな売り場を何度もグルグル歩きまわる。一向見つからない。店員に聞けばよいではないか?コンソメを見つけられないのは運命である。運命に従い、別なスーパーに行くことにした。白ワインのボトルを一本買って店を出た。
腹が痛い。腹を下した、一刻もトイレに行かねばならない。昨夜は飲みすぎた。
パチンコ店に入った。私はパチンコをしない。トイレは気に入っている、広いしキレイだし、個室が多くて待たされることもない。ビルの三階に車を停め、階段で二階へ行く(エレベーターが嫌いだ)。階段を降りて扉を開く、二階は、ガランとしていた。パチンコ店は無くなっていたのだ、昔の同僚がよく通っていたパチンコ店が。感傷に浸っているヒマはない。一階はゲームセンターになっている。そこにもトイレはある。
一階への階段はやけに暗かった。蛍光灯が切れかかっている。慎重に一段一段降りる。蛍光灯は弱弱しいピンク色の光を放っていて、今にも切れそうだ。幸いにも一階への扉を開けるまで切れることは無かった。ゲームセンターはちゃんと営業していた。そしてトイレの個室は閉まっていた。一つしかない個室が。
パチンコ店を出た。今やゲームセンターしか入ってない三階建てのビルを。この通りのすぐ近くにスーパーがある。そこのトイレへ向かって歩き出した。
トイレの個室は二つあり、一つは閉まっていてもう一つは開いていた。助かった。腰かけてすぐ、隣は出て行った。もしかすると隣の彼も、トイレを探してここにたどり着いたのかもしれない。用を足して序に売り場も見た。コンソメはすぐ見つかった。このスーパーはすごいスーパーだ。
パチンコ店に戻る。道路向かいのラーメン店が閉店していた。「50年間ありがとうございました」張り紙だけがしてある。
バラックみたいな外観の店舗はこの街で働いていた当時のままであるし、開業当時の50年前から変わっていないのだろう。「ずいぶん古い店だな」ここを通る度そう思ったものだ。惜しむらくはここのラーメンを食べたことが無い事である。入っておくべきだった。もう後悔は遅いのだった。
ビルに戻ると、一階の扉が開け放しになっていた。何とも哀しい眺めだ。時の流れはあまりに残酷である。扉を開けたのは自分だと気づくと、せっかくの感傷は霧散していった。
・・・フランス料理はやはり、今回も上手くいかなかった。やはり美味いのか不味いのか、判断できない代物が出来上がった。まったく食べられない事もないが、一気に食べてしまいとか、また作りたいとか、どうもそういう気分になれない。明らかな失敗作とは言い難い。「それでも上手くいった」といい切れないのは、何か心残りがあるからだろう。別のワインにすべきだったとか、火を通す時間が短すぎたとかいうような。
---今にも切れそうなピンク色の蛍光灯の一階、かつてパチンコ店が入っていた二階の階段を上がって、駐車場のある三階の扉を開ける。遠くに海が見える。水産工場が立ち並んで、道路沿いの商店街があって、新しくできたビジネスホテルが聳え立って、古きも新しきも港町を形作っている。このガランドウのビルさえも。私は何だか曖昧だった。自分のためだけに生きている人間は自分がどんな顔で、どのような格好でそこに居るのかわからなくなる。ちょうど失敗作とは言い切れない、フランス料理みたいに。
潮の臭いがした。漁港で魚の水揚げがあったのだ。みな悪臭だと言うが、昔から臭いと思ったことはない。私は魚が好きである。作ったのも魚料理なのだ。




