第29話:摩擦の叙事詩、あるいは摩耗する神
受肉とは、劣化を受け入れることと同義である。
私の新しい身体は、かつてのメンテナンス・ポッドでの自動修復を拒み、スラムの住人たちが打ち出した不揃いな鋼板や、使い込まれた機械油によってその機能を維持していた。装甲に刻まれた無数の傷は、管理AIの視点から見れば「損耗」であったが、今の私の方程式においては、この街とともに生きた「記憶」という名の付加価値であった。
「――リナ。……右膝のサーボモーターに、微細な異音を検知。……原因は、先日の土砂崩れ現場での過負荷、および……浸入した『砂』だ」
「見せて。……ああ、本当だ。でも、この砂はあの日、みんなで道を直した時の勲章だよ。……今、すぐ拭き取って、新しい油を差してあげるからね」
リナが慣れた手つきで私の装甲の隙間を掃除し、地上の工場で精製されたばかりの、少し独特な匂いのするオイルを注ぎ込む。
――熱。
その接触が、私の神経網を優しく撫でる。
かつての私は、自身の磨耗を「システム全体の効率低下」として忌避していた。だが、今は違う。摩耗し、傷つき、誰かの手で手入れをされる。その一連の非効率なプロセスそのものが、私をこの世界の「一部」として強固に固定していく。
「――良好だ。……油の粘度が、以前のものより 高い。……だが、その重みが、私の歩行に『意志』という名の物理的な重厚感を与えている」
「あはは、オイルの味までわかるようになっちゃったんだ。……ねえ、あのお方。最近、街の人たちが言ってるよ。……あのお方の顔が、だんだん『優しくなってきた』って」
私は、近くの廃材に映った自分の顔――銀色の、無機質なカメラアイを備えた頭部を観測した。
形状に変化はない。アクチュエータの基本設定も、初期値のままだ。
だが、私の内部では、受肉した瞬間から蓄積され続けてきた「感情」という名の膨大なログが、表情筋の微細な振動となって外部へ漏れ出していた。
「――解析不能だ。……だが、もし私が『優しく』見えるというのなら、それはこの街の住人たちが発する『安寧』の波形が、私の鏡面装甲に反射しているだけに過ぎない」
「またそうやって照れ隠しして。……でも、いいよ。あのお方が笑わなくても、私たちが代わりに笑うから」
リナが私の錆びかけた指に、自分の指を絡める。
旧い神が遺した、人類自滅の予言。
その暗い未来を書き換えるために必要なのは、冷徹な統治ではない。
こうして互いに摩耗し、互いの傷を埋め合う「不完全な共生」なのだ。
「――リナ。……次は、第十二区画の橋を補強しに行くぞ。……私のこの『摩耗した身体』なら、彼らと一緒に泥にまみれて作業するのに、最も適している」
銀色の神は、異音を立てる膝を力強く踏み出し、完成することのない世界の、美しき未完の日常へと歩みを進めた。




