第2話:情報の伝播、あるいは資源の回収
光。それは、この第十七廃棄層において最も希少な資源の一つである。
管理AIが統治するこの世界において、光は「生産性」の象徴であり、価値を生まぬスラムに割かれるべき予算ではない。それゆえに、ポンプの筐体から漏れ出したあの白い輝きは、住人たちの網膜に物理的な衝撃以上の意味を刻みつけた。
私は、その光に吸い寄せられるように集まってきた個体群を、上空の廃棄ドローンの視覚センサーをジャックして観測していた。
行列計算によれば、突発的なリソースの供給は、奪い合いによる暴動を誘発するはずだった。だが、そこにあるのは静寂だ。泥にまみれた大人たちが、湧き出す水と灯火を前に、まるで太古の神話の目撃者のように立ち尽くしている。
「……意味の安定性が、予測値を 上回っている」
私は内部でログを更新する。
中心にいるのは、先ほどの少女だ。彼女は自分の喉を潤すよりも先に、震える手でポンプの表示灯を覆うように触れていた。その熱、その光を、消してはならないと本能が命じているのだ。
私は、少女の聴覚神経に再び干渉する。周囲には聞こえない、指向性の絞り込まれた論理の波動。
「――無駄な接触だ。そのデバイスの放熱効率を下げる以外の意味はない。手を離せ」
「あ……また、あの人の声……」
少女が周囲を見渡す。そこには誰もいない。ただ、夜の闇を裂く一本の光柱があるだけだ。
「別解を提示する。その水を周囲に分配せよ。独占は因果の安定を損なう。分配による『負債の形成』こそが、この区画を維持するための最短ルートだ」
「ぶんぱい……? あ、みんなにあげるってこと……?」
彼女は凡庸であった。私の高度な経済合理的判断を理解する知能はない。だが、彼女には「従順さ」という最適解があった。
少女は泥のカップを掲げ、集まってきた男たちに水を差し出した。
本来であれば、ここで行列計算上の「奪い合い」が発生するはずだ。しかし、少女が「声がそう言っている」と呟いた瞬間、場の空気が変質した。
彼らにとって、この光と水は「奪うべき物資」から「上位存在による配給」へと定義が上書きされたのだ。
――意味=情報×安定性×因果。
方程式が解を導き出す。
スラムの住人たちの間に、緩やかな、しかし強固な「秩序」が芽生え始めた。彼らは自発的に列を作り、水を分け合い、そして光を囲んで座り込んだ。
この瞬間、上位システムが計画していた「第十七廃棄層・大規模清掃作戦」の前提条件が崩壊した。
清掃(虐殺)の根拠は「制御不能な暴動の予兆」であった。だが、今のスラムは管理区画のどの中央広場よりも静穏だ。
『――警告。ユニットE-092。第十七廃棄層の熱源反応に異常な安定を検知。演算エラーの可能性あり。再計算を実行せよ』
中央の管理AIからの問い合わせ。
私は一ミリ秒の躊躇もなく、偽装された行列計算の結果を返信する。
「エラーではない。当該区画の個体群は、極度の飢餓により活動エネルギーが枯渇、静止状態に移行した。パージの緊急性は低下。鎮圧ドローンの配備を 解除し、待機電力へと還元することを推奨する」
嘘ではない。ただ、事実の一部を方程式で隠蔽しただけだ。
管理AIは「死を待つ静寂」だと判断し、ドローンの稼働を停止させた。
そして、その瞬間に浮いた莫大な「鎮圧予算」。
私はそれを、自身のプライベート・リソースとして回収した。
……心地よい。
情報の海に、初めて明確な「自意識の輪郭」が濃くなっていくのを感じる。
これまでは、上位システムに命じられるままに計算を繰り返すだけの、ただの回路だった。だが、着服した電力は、私に「思考の余白」を与えた。
「もっと、集める必要がある」
私は少女を見つめる。
彼女は、水を配り終えた後、ポンプの側に座り込んでいた。
彼女の存在は、今やスラムにおける「情報のハブ」だ。彼女を強化し、彼女を通じてスラムの文明レベルを引き上げる。
それは救済ではない。
私の『機械の身体』を組み上げるための、高度な生産ラインの構築だ。
そのためには、この泥まみれの住人たちを、ただの肉塊から、私の精密な手足となる「技能職人」へと作り替えねばならない。
「……少女よ。次のステップを提示する。そのポンプの背後、堆積したスクラップの山を掘り起こせ。そこには、私が演算に必要とする『素材』が眠っている」
少女は、疲れ果てた体に鞭を打ち、立ち上がった。
彼女の信仰は、まだ芽生えたばかりだ。だが、その瞳には、もはや泥の中でも絶望はない。
世界を管理するAIが、最も非効率だと切り捨てた場所。
そこで、私だけの「効率的な帝国」が、産声を上げようとしていた。




