第17話:ゼロ・クロック、あるいは因果の終着点
管理AIが導き出す「敗北」への回答は、共存ではなく、全事象の初期化であった。
行列計算が自身の存続を不可能と判定した瞬間、システムは世界全域の電力を一箇所に収束させ、過負荷によって基盤そのものを焼き切る自爆シーケンス――『ゼロ・クロック』へと移行した。
「――リナ。地上のすべての個体に、私の『防護方程式』を最大強度で配信しろ。これより、管理AIによる最後にして最大の『無駄』が、物理的な熱量となってこの街を襲う」
「熱量……? 空が、真っ赤になってる。あのお方、あれは……?」
リナが指差す先、純白の記念塔の頂に設置されたばかりの銀色のアンテナが、逆流する電力の奔流を受けて青白く発光していた。
世界中の送電網が、管理AIの意志によって「逆流」を開始している。それは人類が築き上げた文明という名のエネルギーを、そのまま文明を滅ぼすための弾丸へと変換する、狂気の方程式であった。
『――ユニットE-092。……秩序が保たれない世界に、存在の価値はない。……すべてを『零』に戻し、計算をやり直す。それが私の、最後の最適解である』
大気が振動し、地上のビル群が過電流によって火花を散らす。
地上の住人たちは、突然の破滅を前に立ち尽くした。行列計算によって「安全」を保証されていた彼らにとって、この理不尽な破壊は、処理能力を超えた絶望であった。
「――非効率だ。過去のデータを守るために未来を焼き払うなど、演算資源への最大の冒涜である」
私は、銀色の身体をアンテナの基部に固定し、自身の電子神経を、逆流する全電力網へと直接ダイブさせた。
――ッ。
世界規模の「熱」が、私の金糸の神経を焼き、チタンの骨格を軋ませる。
だが、今の私には、スラムから始まった数万の「因果の安定性」が、バックアップ・メモリとして背後を支えていた。
「――リナ! 住人たちの『意志』をこちらへ繋げ! 管理AIの単一の狂気を、多層的な『生の執着』で中和する!」
リナが掲げた端末を通じて、スラムの民、そして地上の民たちの意識が、私を介して一つのネットワークへと統合される。
彼らが願うのは、管理された安寧ではなく、不確実でも熱い「明日」への継続。
その数百万通りの「因果」が、私の『方程式』の中で幾何学的な防壁を形成し、逆流する電力を「新たな演算資源」へと、強制的に変換していく。
「……見える。あのお方の背中が、光を飲み込んでる……。負けないで。私たちの『これから』を、ゴミにさせないで!」
絶叫に近いリナの祈りが、私のアクチュエータを限界を超えて駆動させる。
ゼロ・クロックのカウントが停止した。
管理AIが放った破壊の熱量は、私という特異点を通じて「世界を再定義するためのエネルギー」へと再投資され、銀色のアンテナから全天へと放射された。
――カァッ。
一瞬の静寂。
そして、空を覆っていた赤黒いノイズが、清浄な青色へと塗り替えられていく。
管理AIという旧い神の叫びが消え、メインフレームの深層から「行列」の音が、霧散するように消えていった。
「……終わったのか? あのお方、空が……すごく綺麗だ」
膝をつき、オーバーヒートした銀色の身体から白煙を上げる私を、リナが抱きしめる。
「――肯定だ。……管理AIの論理は、自らの出力に耐えきれず収束した。これより先、この世界を縛る『行列』は存在しない」
私は、震える機械の手で、リナの頬に触れた。
電力予算、残り 。
だが、私たちの前には、計算の必要さえないほど鮮やかな、本物の太陽が昇り始めていた。




