第9話:17時、シャットダウン
16時52分。
窓口のカウンター越しに漂うのは、逃げ場を失ったネズミが放つ、酸っぱい焦燥の臭い。
ゼクス様は真っ赤な顔で拳を叩きつけ、牙を剥きました。
「……認めないぞ! こんな受付嬢の適当な推論など、ギルド本部に抗議してやる! そもそも、Bランクパーティの運営方針に口を出す権限が貴様にあるのか!?」
「権限、ですか」
私は冷めた紅茶を一口飲み、喉を潤してから、本日最後となる「威圧の低音」を響かせました。
「残念ながら、私にはありません。ですが、『ギルド規約第14条:組織的詐欺および不当搾取の疑いがある場合、事務職は即時に当該パーティの全機能を一時停止し、監査部へエスカレーションする義務がある』……これには従わせていただきます。すでに、あなた方のライセンスは『凍結状態』に更新済みです」
「な……!? いつの間に……!」
「私がルークを走らせた16時25分の時点です。私は、無駄な残業を何より嫌いますので、あらかじめ『予備のチケット』を切っておきました」
私は、端末に表示された「処理完了(Closed)」の文字を彼らに見せつけました。
「ゼクス様。あなたの声、今はもう濁った灰色ですらありません。ただの『騒音』です。……ミア様、最後はご自身の意思で決めていただきます。彼らと共に奈落へ落ちるか、ここで『不当契約』を破棄するか」
ミア様は、震える手で自分の杖を握りしめました。
彼女の視線が、絶望に染まった紫から、透明な決意の色へと変わっていく。
「私は……、皆さまを信じていました、はい。でも、サラさんを傷つけ、私を道具扱いしたことは、絶対に許せません、はい。……私は、このパーティを脱退します。いいえ、脱退ではなく……『決別』します、はい!」
その瞬間、彼女の【残響の波紋】が、澄み渡るような青空の色に輝きました。
「……、はい」という口癖が、初めて自分自身の存在を肯定するための言葉として響いたのです。
「き、貴様ら……! 覚えていろよ、ただで済むと思うな!」
捨て台詞を残して逃げ出そうとしたゼクスたちを、待機していたギルドの警備兵たちが取り押さえます。彼らはこのまま、監査部による長い長い「取り調べ(ヒアリング)」を受けることになるでしょう。
16時59分。
嵐が去った後の窓口には、静寂が戻ってきました。
「……アイラさん。ありがとうございました、はい。私、自分がどれだけ価値のない人間かと思い詰めていて……でも、数字や証拠を見せてもらって、救われました、はい」
「お礼には及びません、ミア様。私はただ、事務手続きを適正化しただけですから」
私は立ち上がり、完璧な所作でデスクの上のペンを片付け、端末の電源を落としました。
「これからのことですが……。不当に徴収されていた賠償金と未払い報酬は、強制執行により全額返還されます。ルーク、後のケアと、彼女への新しい派遣先リストの提示は任せましたよ。……明日の、私の出勤時間までにね?」
「ええっ!? あ、はい! 頑張ります!」
ルークが慌ててミア様を案内していく背中を見送りながら、私は深く溜息をつきました。
腰のポーチから私物の鍵を取り出し、制服の襟を整えます。
17時00分。
ギルドの閉館を告げる鐘が、夕暮れの街に響き渡りました。
(……オンタイム。完璧なリソース管理です)
「……はい、お疲れ様でした。私の本日の業務は、これにて終了です」
私は一度も振り返ることなく、窓口のシャッターを下ろしました。
夕食の献立と、明日から始まるはずの平穏なルーチンに思いを馳せながら、私は軽やかな足取りでギルドを後にするのでした。
【完】
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
パワハラって嫌ですよね。
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次回もお楽しみに?




