第7話:濁った「……、はい」と窓口の違和感
驚く程反響があったのでもう1シリーズ追加です。
本当にありがとうございます。
16時10分。
冒険者ギルドの正面玄関に設置された大時計の針が、非情な角度を刻んでいます。
この時間は、コールセンター界隈では「魔の時間」と呼ばれていました。終業間際に飛び込んでくる、複雑で、粘着質で、処理に一晩かかるような……そう、「質の悪いチケット(案件)」が舞い込みやすい時間帯だからです。
私は羽ペンの動きを止め、指先でこめかみを軽く揉みました。
定時退勤まで、あと50分。このまま何事もなく、未処理の書類を片付けてシャットダウンしたかったのですが。
「……アイラさん。お手隙、でしょうか……はい」
重い扉を押し開けて現れたのは、Bランクパーティ『黄金の天秤』の面々。
その中心で、今にも消えてしまいそうなほど小さくなっている少女――ヒーラーのミア様が、私のデスクに一枚の羊皮紙を差し出しました。
それは、ギルド公式の「パーティ脱退届」……ではなく、さらに質の悪い「冒険者ライセンス返納および私的従属契約への移行申請書」でした。
「おや、ミア様。本日はどのようなご用件でしょうか。その書類は……事務手続き上の不備が、初見で三箇所ほど見受けられますが」
私は営業用のスマイルボイス――周波数を一定に保ち、相手に安心感と「これ以上の踏み込みは無駄である」という拒絶を同時に与えるトーンで応対します。
「私が……、あまりにも未熟だから、なんです、はい。パーティの皆さまに、取り返しのつかないご迷惑をおかけしてしまって……はい。だから、責任を取ってギルドを辞めて、これからはゼクスさまの『個人的な従者』として、一生をかけて贖罪をすることに決めたんです、はい……」
彼女の声は、私の【残響の波紋】を通すと、どす黒く濁った紫色に見えました。
「嘘」ではありません。彼女は本気で、自分がゴミクズ同然の存在だと思い込んでいる。ですが、その色の奥底には、本人さえ気づいていない「助けて」という悲痛なノイズが混じっています。
「アイラさん、そういうことだ。彼女の意志は固い。事務的に処理してくれないか?」
リーダーのゼクスが、ミア様の肩を抱き寄せながら、いかにも「慈悲深い保護者」といった顔で口を挟んできました。彼の声は、下卑た満足感が透けて見える、ぬらぬらとした灰色です。
(……やれやれ。これは「自発的な解約」を装った、悪質な「強引な囲い込み」ですね)
私は無表情のまま、書類をトレイに置きました。
「ゼクス様。恐れ入りますが、当ギルドのコンプライアンス規約により、Bランク以上のパーティにおけるライセンス返納には、詳細な理由の聞き取り(ヒアリング)と、過去三ヶ月の戦闘ログの照合が義務付けられております。……ミア様、バックトラッキング(オウム返し)で確認させていただきますね」
私はミア様を真っ直ぐに見つめました。
「『取り返しのつかない迷惑』。具体的には、本日のクエストでどのような失態を?」
「それは……、私が回復のタイミングを間違えて、ゼクスさまの、高価な鎧を壊してしまって……はい。私のせいで、パーティに金貨30枚もの損害が出たんです、はい……」
「金貨30枚、ですか。それは……中堅パーティの半年分の利益に相当しますね」
私は手元の端末(帳簿)を叩くふりをして、彼らの「過去のチケット」を検索しました。
すると、妙なログが引っかかります。
(……見つけました。半年前、このパーティを抜けた前任のヒーラー・サラ様。彼女の脱退理由も……『聖水の大量紛失による多額の損害賠償』。全く同じパターン(テンプレ)ですね)
コールセンターで言えば、これは「同じ手口で返金を要求し続けるクレーマー」と同じです。
「ミア様。その鎧の破損、本当にあなたの魔法のせいでしょうか? 物理的な衝撃によるものではなく?」
「ゼクスさまが、そう仰ったので……。私が、ぼんやりしていたから、はい……」
ゼクスの背後に立つ魔導師カレンと盗賊バルが、冷笑を浮かべてこちらを見ています。
「余計なことを聞かずに早く受理しろ」という無言の圧力。
時計の針は16時25分。
これを放置して受理すれば、私は5分で業務を終えられます。ですが、彼女が「私的従属」という名の奴隷に堕ちれば、後のギルド監査で私の「見落とし」が指摘され、再調査という名の最悪な残業が発生するでしょう。
「……承知いたしました。では、本件を『重要確認事項』として受理します」
私はペンを持ち直し、最高に冷ややかな笑みをゼクスに向けました。
「ただし、鎧の現物を確認させていただくまでは、手続きを完了することはできません。ルーク!」
「は、はい! アイラさん、お呼びですか!」
新人職員のルークを呼びつけます。彼は私の視線だけで、指示を察して背筋を伸ばしました。
「今すぐ『黄金の天秤』が今日利用した演習場の残留魔力をスキャンしなさい。それと、ゼクス様の鎧の『破片』が落ちていないか、一粒残らず回収してくること……定時までに、ね?」
「了解です! 走ってきます!」
ゼクスの顔色が、わずかに変わりました。
私はあえて彼から視線を外し、ミア様に向けて、最も柔らかなトーン――「同情の共鳴音」を響かせました。
「ミア様。事務職として一つだけ。数字というものは、感情(嘘)をつきません。……17時までには、真実の計算書をお出ししますから、それまで少々お待ちくださいね」




