第48話:秘密の質問(パスワードリセット)の儀
自分で設定したものを忘れる。
よくあるんですよね
「……パスワード、だと?」
私が放った冷徹な指摘に、長老セレシュティンが杖の先に収束させていた攻撃魔法の光を、チカチカと明滅させながら霧散させた。
彼の顔には、先ほどまでの「自然を愛する高潔な被害者」という仮面は見る影もなく、己の重大なミス(過失)を看破されたことによる、見苦しいほどの動揺が浮かんでいた。
「ふ、ふざけるな! 人間の小娘が、知ったような口を叩くではない! そもそも、あの結界を構築したのは五百年も前のことだぞ!? 当時の起動呪文など、一言一句違わずおぼえている方がおかしいだろうが!」
「……なるほど。完全に忘却(ド忘れ)されていたと」
私は『営業用スマイル・タイプC』を微塵も崩さず、相槌を打つ。
「と、当然だ! 人間のような短命種には理解できまいが、我々エルフは膨大な記憶を脳内に蓄積しているのだ! 五百年前のパスフレーズなど、古い記憶の底に埋もれて引き出せるわけがない! そもそも、一度間違えただけでシステム全体をロックするなど、結界の仕様(システム設計)自体に欠陥があるのだ!」
(……出たわね。「パスワードを忘れたのは自分のせいじゃない、こんな覚えにくいシステムを作った側が悪い」と逆ギレする、典型的なユーザー心理)
現代のコールセンターでも、一日に五回はこのセリフを聞く。
「大文字と小文字と数字を混ぜろなんて複雑すぎる!」「三ヶ月ごとにパスワードを変えろなんて覚えられるか!」と怒鳴る顧客たち。
だが、ここはコールセンターではない。王都の安全を担保するギルドの窓口であり、彼が忘れたのは「古代の厄災」を封じ込めるための、絶対に突破されてはならない特権IDなのだ。
「長老様。強固なセキュリティとは、ユーザーの利便性を犠牲にしてでも守るべきものです。貴方ご自身が設定された複雑な暗号だからこそ、五百年間、厄災は封じられてきたのではありませんか?」
「ぐぬっ……!」
「パスワードの紛失は、明確な【ユーザーの過失】です。ですが……」
私は手元の砂時計をチラリと見た。
時刻は十五時四十五分。
私の至高の退勤ターゲットである『黒トリュフとフォアグラの贅沢石焼きリゾット』の予約まで、残り一時間十五分。
こんな高慢なエルフの老人の記憶喪失に付き合って、定時を逃すわけにはいかない。
「優れたシステムには、ユーザーがパスワードを忘却した際の【救済措置】が必ず用意されているものです」
私はカウンターの下に隠れていた新人職員を、指先で呼び寄せた。
「ルーク。地下の特級資料室から、『精霊の森・結界構築に関する古代の仕様書』の原本を持ってきなさい。……ダッシュでね」
「は、はいッ! すぐに!」
ルークが脱兎のごとく駆け出し、数分後、埃を被った重厚な羊皮紙の巻物を抱えて戻ってきた。
私はそれをカウンターの上に広げ、パラパラとページをめくる。古代エルフ語で書かれた難解な術式がびっしりと並んでいるが、前世で解読不能なスパゲッティコード(他人が書いたぐちゃぐちゃのプログラム)を読み解いてきた私にとって、マニュアルの「目次」を探すことなど造作もない。
「……ありました。仕様書の第百二十八項。【特権管理者が起動呪文を忘却、または認証エラーによりシステムがロックされた場合の解除手順】」
「な、なんだと……? そんなものが、マニュアルに書かれているのか?」
長老が、訝しげに目を細める。
「ええ。五百年前にこの結界を設計された際、長老様ご自身が『もし自分がパスワードを忘れた時のために』と、保険として設定されていた機能です。……専門用語で、【セキュリティ・クエスチョン(秘密の質問)】と呼びます」
「……秘密の、質問?」
ギルドマスターが首を傾げた。
「はい。あらかじめ『本人にしか絶対に答えられない個人的な質問』と『その回答』をシステムに登録しておく手法です。ロック状態の結界に対し、登録した通りに回答(音声入力)できれば、システムは『本人の正当なアクセスである』と認識し、パスワードのリセット(再設定)を許可します」
「おおっ! それなら簡単じゃないか! 長老様、早くその質問に答えて、結界を直してください!」
マスターがパッと顔を輝かせ、エルフたちも安堵の表情を浮かべる。
「ふん。私が過去に設定した質問と答えなら、間違うはずがなかろう。さっさとその質問とやらを読み上げるがいい、人間の受付嬢よ」
長老セレシュティンが、再び傲慢な態度を取り戻し、ふんぞり返った。
「承知いたしました。……ただし、一つだけご注意を」
私は、冷徹な『SVボイス』で釘を刺した。
「セキュリティ・クエスチョンの回答は、五百年前の貴方が登録した『一言一句』、そして何より【当時の貴方の真実の記憶】と完全に一致しなければ、結界は認証を拒否します。……見栄や虚勢、あるいは自分にとって都合よく改ざんした『嘘の記憶』を答えれば、結界は完全に崩壊し、厄災が解き放たれる仕様となっております」
「……っ」
長老の眉が、わずかにピクリと動いた。
「では、第一の質問を読み上げます」
私は巻物の記述を指でなぞり、凛とした声でフロア全体に響き渡らせた。
「——『貴方が生涯において、最初に手に入れた、最も大切な宝物の名は?』」
フロアが静まり返る。
「最初に手に入れた宝物」。長命で誇り高いハイエルフの長老が、生涯の初めに得た至宝とは一体何なのか。冒険者たちも固唾を呑んで見守っている。
「……ふっ、他愛もない。そんなことか」
長老セレシュティンは、鼻でふっと笑い、自信に満ちた声で堂々と宣言した。
「私が若かりし頃、大精霊の試練を乗り越え、精霊王ご自身から直々に賜った神秘の宝石……『森の息吹』である! どうだ、完璧な回答であろう!」
背後のエルフたちが「おお……」「さすがは長老様、なんという高潔な歴史……」と感嘆の声を漏らす。
だが。
私は窓口から一ミリも動かず、ただじっと、長老の口元から広がっていく【残響の波紋】を見つめていた。
本来、美しく澄んだエルフの魔力を持つ彼の声から放たれた波紋は、私の網膜上で……ドス黒く、ヘドロのように淀んだ【完全な虚偽の黒色】に染まりきっていたのだ。
(……はい、認証エラー(パスワード不一致)。全くのデタラメね)
私は内心で冷ややかに笑いながら、手元の砂時計をひっくり返した。
「……長老様。大変申し上げにくいのですが」
「ん? どうした。さっさと結界のロックを解除せんか」
「先ほど申し上げたはずです。システムは『見栄や虚勢による嘘』を許容しない、と」
私は、氷点下の微笑みを顔に貼り付けたまま、傲慢なエルフのプライド(虚飾)を叩き割るための論理のハンマーを振り上げた。
「貴方が今お答えになったその宝物は、五百年前に貴方自身がシステムに登録した【当時の真実の記憶】と、全く一致しておりません」
「な、なんだと……!?」
さあ、リゾットの予約時間は待ってくれない。
高潔なエルフの長老が、五百年間ひた隠しにしてきた「恥ずべき真実」を、このギルドの窓口で、一歩も動かずに丸裸にしてあげましょうか。
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次回お楽しみに。




