第47話:特権IDのロックと、エルフの責任転嫁
新シリーズ開幕です!
王都に本格的な冬の到来を告げる、凍てつくような北風が吹き始めた頃。
私は、隙間風の入り込むギルドの一階窓口で、手元の羽ペンを完璧なリズムで走らせながら、本日の【定時退勤後の絶対目標】に思いを馳せていた。
今夜の標的は、王都の貴族街に店を構える高級レストラン『ル・シエル』の冬季限定メニュー。
——『黒トリュフとフォアグラの贅沢石焼きリゾット』である。
熱々に熱された石鍋の中で、濃厚なチーズと特製のブイヨンをたっぷりと吸い込んだ米が、チリチリと香ばしい音を立てる。その上に、表面をカリッと焼き上げた極上のフォアグラが鎮座し、仕上げにギャルソンが目の前で、香り高い黒トリュフをこれでもかと削りかけてくれるのだ。
一口食べれば、フォアグラの暴力的なまでの脂の甘みと、黒トリュフの官能的な香りが口腔内を蹂躙し、冬の寒さなど一瞬で消し飛ぶ至福の時間が約束されている。
(……完璧ね。このリゾットを最高の状態で胃袋に流し込むためには、十七時ジャストの退勤は絶対に譲れない。今日のタスクはすでに九割完了している。イレギュラーさえ起きなければ……)
私が脳内でフォアグラにナイフを入れた、まさにその瞬間だった。
『バーーーンッ!!』
ギルドの重厚な扉が、乱暴な魔力の波動を伴って吹き飛ばされるように開かれた。
フロアにいた冒険者たちが一斉に武器に手をかけ、殺気立つ。
だが、吹雪と共に足を踏み入れた者たちの姿を見た瞬間、ギルド全体の空気が「敵意」から「畏怖」へと急変し、水を打ったように静まり返った。
「な、なんです……!? ハイエルフの軍団……!?」
隣の窓口で、ルークが震える声で呟く。
現れたのは、純白のローブを身に纏い、神秘的な魔力を全身から放つ十数名のエルフたちだった。
その中心に立つのは、長く美しい銀糸のような髪を持ち、杖をついた一人の老エルフ。
深い皺が刻まれているものの、その顔立ちは人間とは一線を画すほど整っており、瞳には何百年もの時を生きてきた者特有の、冷酷なまでの「知性」と「傲慢さ」が宿っていた。
二階の執務室から転がるように降りてきたギルドマスターのバーンズが、顔面を蒼白にしながら這いつくばるように進み出る。
「こ、これは……精霊の森の長老、セレシュティン様! い、一体どのようなご用件で、自らこのような下等な人間のギルドまで……!」
「黙れ、短命種(人間)の分際で」
長老セレシュティンは、マスターを一瞥すらすることなく、持っていた翡翠の杖を床にドンッと突き立てた。
「貴様ら人間の愚行のせいで、我が森の聖域に重大な危機が発生しておる! 今すぐ責任者を出し、事態の収拾と天文学的な賠償金を支払う約束をせよ!!」
その声は、魔法による共鳴が掛かっているかのようにフロア全体を震わせた。
マスターは「ひっ!」と悲鳴を上げ、「せ、責任者とは……私でございますが、一体森に何が……!?」とオロオロするばかりだ。
私は窓口の椅子から一ミリも動かず、手元の砂時計をチラリと見た。
時刻は十五時三十分。リゾットの予約まで残り一時間半。
(……出たわね。「自分は絶対的な被害者である」と高圧的に喚き散らし、窓口の人間を萎縮させることで要求を押し通そうとする、典型的な【ハード・クレーマー】。しかも、相手はエルフの長老。マスターでは一分も持たないわね)
私は一切の表情を消し、『営業用スマイル・タイプC(理不尽な要求に対する鉄壁の防衛形態)』を展開して、ゆっくりと口を開いた。
「いらっしゃいませ、精霊の森の長老様。当ギルドの窓口へようこそ。……責任者へのエスカレーションの前に、まずは事の経緯(インシデントの詳細)をヒアリングさせていただけますか?」
セレシュティンが、虫ケラでも見るような目で私を睨みつけた。
「……ただの受付嬢が、この私に口を利くか。よいだろう。貴様ら人間の罪の深さを教えてやる」
長老は杖を掲げ、空中に巨大な魔力ホログラムを投影した。
そこには、エルフの森の深部にある『巨大な石碑』と、それを覆う半透明のドーム状の結界が映し出されている。しかし、その結界は今、不気味な赤色に明滅し、今にも弾け飛びそうにひび割れていた。
「これは、森の最深部に封じられた『古代の厄災』を抑え込むための絶対結界だ。だが数日前から、この結界が突如として不安定になり、崩壊の危機に瀕している!」
「古代の厄災……っ!? それが解き放たれたら、森はおろか王都まで消し飛ぶじゃないか!!」
マスターが頭を抱えて絶叫する。
「その通りだ! そして、この異常事態を引き起こしたのは、貴様ら人間だ!」
長老は、ビシッとマスターを指差した。
「ここ最近、貴様らは森の境界線の近くに、大量の煙を吐き出す『魔導工場』をいくつも建設しただろう! あの薄汚い工場の煙(瘴気)が森の清らかなマナを汚染し、精霊たちの調和を乱したせいで、結界の術式にバグが発生したのだ! これは明確な環境破壊であり、条約違反だ!!」
長老の背後に控えるエルフたちも、「野蛮な人間どもめ!」「森を汚すな!」と一斉に非難の声を上げた。
ギルドの冒険者たちも「俺たちのせいなのか……?」「まずいぞ、エルフと戦争になる」とざわめき始める。
(……なるほど。「自分のPCが重いのは、そっちのサイトのウイルス(瘴気)のせいだ! 賠償しろ!」と乗り込んでくる高齢のユーザーと同じ論理ね)
私は心の中で深くため息をつき、手元の端末(魔導水晶)を起動した。
これは、王都周辺の広域マナ観測網にアクセスできる、ギルド管理職専用のダッシュボードだ。
「……長老セレシュティン様。一つ、ご確認よろしいでしょうか」
私は、怒り狂うエルフたちに向かって、氷のように冷たく、しかし透き通るような【SVボイス】を放った。
「その『結界の異常』とやらは、本当に我が人間の工場から排出された魔力残滓(排気ガス)が原因であると、断言なさるのですね?」
「当然だ!! 我々エルフの完璧な術式が、何の原因もなく綻ぶはずがない! 外部からの物理的な干渉以外にあり得ん!!」
「左様ですか」
私は、端末の水晶から引き出した『一枚のグラフ(ログ)』を、空中の魔力ホログラムに重ねて投影した。
「では、こちらの【魔力波長・監視データ】をご覧ください。……これは、森の境界線に設置された定点観測ポイントの、過去一ヶ月間のマナ濃度の推移です」
ホログラムに、平坦な青い線が浮かび上がる。
「ご覧の通り、人間の工場が稼働し始めてから現在に至るまで、森の境界におけるマナの汚染値は【規定値の〇・〇一%以下】の変動しかありません。結界という強固なシステムにバグを引き起こすような、外部からの物理的な干渉(外部要因)は、データ上、一切存在しないのです」
「なっ……!? そ、そんな人間の作った機械のデータなど信用できるか!」
「数字は種族を問わず、嘘をつきません」
私は容赦なく、二枚目のグラフを突きつけた。
「さらに、結界が赤く明滅し始めたという『三日前の午後十四時』のログ。……この時、結界のコアから【異常な魔力パルス】が一度だけ発信されています」
私は椅子から一歩も動かず、長老の顔を真っ直ぐに見据えた。
「長老様。これは外部からの干渉(環境破壊)などというスケールの大きな話ではありません。システム管理の初歩的な【内部エラー】です。……具体的に申し上げましょうか」
私は、誰もが聞き取れるはっきりとした声で、事象の真実を宣言した。
「誰かが、結界のコアシステムにアクセスしようとして、間違った魔力波長を入力した。それも、規定の回数を超えて連続でミスをしたため、防衛機構が作動し、システム全体が【特権管理者の認証失敗による、完全自動ロック(凍結状態)】に移行しているのです」
「————ッ!!」
長老セレシュティンの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「外部からの攻撃ではありません。内部の人間……いえ、結界の管理者権限(特権ID)を持つエルフのどなたかが、ご自身の【パスワード(合言葉)】を忘れ、適当に入力してシステムをロック(破壊)させただけです。違いますか?」
ギルド全体が、再び不気味な静寂に包まれた。
マスターが「え? つまり……工場のせいじゃなくて、エルフの自爆……?」とぽつりと漏らす。
「き、ききき、貴様ぁぁッ!! この私を愚弄する気か!!」
長老は顔を真っ赤にして激昂し、杖の先に危険な攻撃魔法の光を収束させ始めた。
だが、私の能力【残響の波紋】は、彼の怒鳴り声から「真っ黒な焦りと自己保身の波紋」が噴き出しているのを、残酷なまでに鮮明に捉えていた。
(……図星ね。自分でパスワードを忘れてシステムをロックさせた挙句、体面を保つために「人間の工場のせいだ」と責任転嫁をしに来た。……全く、迷惑な老害ユーザーだこと)
「魔法の無断行使は、当窓口の利用規約違反となりますが」
私は一切動じることなく、冷ややかに告げた。
「長老様。結界を元に戻す(リブートする)方法はただ一つ。システムの【パスワード・リセット(救済措置)】を行うしかありません。……本日は、その手続き(エスカレーション)のためにいらっしゃったのですよね?」
傲慢なエルフの老人に、自身の過失(パスワード忘れ)を認めさせ、隠された真実を吐き出させるための【秘密の質問】の儀式。
私の定時と至高の黒トリュフリゾットを守るための、極上の【カスタマー・サポート】が、今、静かに幕を開けた。
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次回お楽しみに。




