第46話:事後処理(フォローアップ)と、究極のクリスタル・タルト
翌朝。
王都の街は、早朝から飛び交う新聞配達の少年たちの声と、号外の紙面によって騒然としていた。
『辺境の村【霧の谷】、狂気の生贄儀式を摘発! 王都騎士団の急襲により地下の厄災級魔物を討伐!』
『悪徳冒険者パーティ【暁の剣】、詐欺および殺人未遂の共犯で一斉逮捕! 救出された新人冒険者たちは無事!』
私がいつも通り、始業の十五分前にギルドに出勤し、自分の窓口のカウンターを拭き上げていると、ギルドマスターのバーンズが号外を握りしめたまま、転がるように二階の執務室から降りてきた。
「アイラ君! アイラ君ッ! 見たかね今日の朝刊を! 君の……君のあのデータ分析が、数十人もの若者の命を救ったんだぞ!!」
マスターは私のカウンターの前に膝をつき、文字通り平伏するような勢いで叫んだ。
隣の窓口では、ルークが「アイラさん、本当にすごい……。ただの帳簿の数字から、あんな大事件を暴き出すなんて」と、尊敬と畏怖の入り交じった視線を向けている。
「おはようございます、マスター。ルーク」
私は『営業用スマイル・タイプA(省エネ・デフォルト設定)』を浮かべ、完璧な手つきで本日の業務日報をセットした。
「賞賛には感謝いたしますが、私はただ、当ギルドのシステムに生じた『顧客満足度(CSAT)一〇〇%』という異常なバグ(不正)を、マニュアルに従って修正しただけです。……それよりもマスター。救出された新人冒険者様たちへの、心的外傷のケアと補償金の手続きは完了していますか?」
「あ、ああ! もちろんだ! 王都の最高の治癒術師を手配し、ギルドの特別予算から見舞金を出す決裁(承認)を済ませたよ!」
「よろしい。コールセンター……いえ、サービス業において、重大なインシデント(事故)の後に最も重要なのは、迅速かつ誠実な【事後処理】です。これ以上の不満を生み出さぬよう、引き続き手厚いサポートをお願いします」
「うむ! 君の言う通りだ! 君は本当に、我がギルドの誇り……いや、女神だよ!!」
マスターが涙ぐみながら拝んでくるのを視界の端に追いやり、私は静かに息を吐いた。
(……女神、ね。そんな大層なものではないわ。私が昨日、あの村長どもを最速で強制解約(アカウント凍結)した本当の理由を知れば、マスターは卒倒するでしょうけれど)
私は手元の羽ペンを回しながら、前日の退勤後——私を包み込んでいた、あの圧倒的な『幸福の空間』へと意識を飛ばした。
* * *
時間を、前日の十七時三十分へと巻き戻す。
王都の中心にそびえ立つ、最高級の格式を誇る『王都ホテル』。
その最上階にある展望ラウンジは、選ばれた貴族や富裕層のみが足を踏み入れることを許される、優雅で静謐な空間だ。
床には分厚い絨毯が敷き詰められ、魔導シャンデリアの柔らかな光が、大理石のテーブルを照らし出している。
私は、窓際の見晴らしの良い特等席に案内され、極上の紅茶の香りに包まれながら『その時』を待っていた。
「お待たせいたしました。秋季限定・一日五食のみの提供となります、『洋梨のクリスタル・タルト』でございます」
純白の制服に身を包んだ給仕長が、うやうやしく銀のドーム型のカバーを開け、私の目の前に一つの皿を置いた。
「……っ!!」
私は思わず、感嘆の吐息を漏らした。
(……なんて、完璧な造形なの。これが、王都随一のパティシエが魂を込めた芸術品……!!)
皿の中央に鎮座するそのタルトは、まさに『宝石』と呼ぶにふさわしい輝きを放っていた。
土台となるのは、黄金色に香ばしく焼き上げられた、幾重にも層をなすサクサクのパイ生地と、濃厚なアーモンドクリーム(ダマンド)。
その上には、秋の味覚の女王たる『洋梨』のコンポートが、まるで大輪の薔薇の花びらのように、計算し尽くされた美しさで敷き詰められている。
洋梨は白ワインとバニラビーンズ、そして微かなシナモンの香りを纏い、艶やかな飴色の光を反射していた。
だが、それだけではない。
タルトの頂上には、極限まで薄く引き伸ばされた『透明な飴細工のドーム』が被せられており、その中には金箔と、朝露に見立てた透明なゼリーが煌めいている。
「……完璧な品質。あの血生臭い因習村のデータと、サクラ冒険者の汚い嘘で汚染された私の脳内を浄化するには、これ以上の特効薬はないわね」
私は誰にも聞こえない声で呟き、銀のフォークを手に取った。
まずは、タルトを覆う透明な飴細工のドームに、フォークの先を軽く当てる。
パリンッ。
微かな、しかし小気味良い音を立てて、飴のドームが砕け散り、中から洋梨の芳醇で高貴な香りが一気に解放された。
私は、飴の欠片と洋梨のコンポート、そして土台のタルト生地を一緒に切り出し、ゆっくりと口へと運んだ。
「……〜〜〜〜っ!!」
(……目標達成率、二〇〇〇%……!!)
口に含んだ瞬間、私の全細胞が歓喜の悲鳴を上げた。
最初に訪れたのは、洋梨のコンポートの驚くほど滑らかな舌触りだ。とろけるような果肉から、上品で高貴な甘さと、白ワインの奥深い風味がジュワッと溢れ出す。
それに続くのが、飴細工の『パリッ』とした繊細な食感と、タルト生地の『サクッ』という力強い歯応え。濃厚なアーモンドクリームのコクとバターの香りが、洋梨の瑞々しさを完璧なバランスで支え、味の階層を無限に深めていく。
甘すぎず、しかし決して物足りなさを感じさせない、計算し尽くされた究極のバランス。
噛めば噛むほど、口の中で異なる食感と香りがオーケストラのように響き合い、脳内の疲労という名のバグを、物理的に上書き保存していく。
(……美味しい。美味しすぎるわ。狂った老人や、初心者を食い物にするクズどもの声など、この洋梨の芳醇な香りの前では、一瞬でかき消されてしまう)
私は紅茶で口内をリセット(初期化)しつつ、無心で二口目、三口目とタルトを切り出していく。
怒りも、焦燥も、理不尽も。
ギルドの窓口で日々直面するありとあらゆるエラー(不具合)は、この定時退勤後の至福の数十分のために存在しているのだとすら思えてくる。
「……ごちそうさまでした。極上の対応だったわ」
皿の上に残った最後の一片を名残惜しく飲み込み、私は優雅に口元をナプキンで拭った。
窓の外には、王都の美しい夜景が広がっている。
私が今日、窓口から一歩も動かずに論理で村長たちを追い詰めたことで、今頃あの村の地下のバケモノは討伐され、若い冒険者たちは救出されているはずだ。
「……不正なデータは、必ず綻びを見せる。そして、悪質なアカウントはさっさと凍結して、美味しいものを食べるに限るわね」
私は夜景に向かってふふっと笑い、席を立った。
最高品質のタルトによる完全な浄化を終えた私の心は、明日への活力で満たち溢れていた。
* * *
「アイラ君? どうしたんだい、急に黙り込んで……」
マスターの声で、私は現実(現在のギルドの窓口)へと意識を戻した。
「いえ。何でもありません、マスター」
私は美しい所作で、本日の最初の冒険者を迎える準備を整えた。
「さあ、今日の業務も、一切の無駄なく捌かせていただきますよ。……私の、今夜の『特製ビーフシチュー』の予約を守るためにね」
私は誰にも聞こえない声で呟き、ギルドの重厚な扉が開く音とともに、完璧な『営業用スマイル』を起動した。
氷のSVによる、正確無比で容赦のない窓口業務が、今日もまた始まる。
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次回お楽しみに。




