第5話:スペックと『バグ』の特定
「まだか! 私の時間は金貨よりも貴重なのだぞ!」
ボルドー卿が苛立たしげに、磨き上げられた指でカウンターをリズムよく叩く。
この「貧乏揺すりの指版」は、コールセンターで受話器越しに聞こえる「ペンをカチカチ鳴らす音」と同じだ。相手の焦燥が限界に近いことを示すシグナル。
(……はいはい、お急ぎですね。ですが、急がば回れ。仕様の確認を怠ると、結局は手戻りが発生するのですよ)
私は窓口の椅子に深く腰掛けたまま、ボルドー卿に「共感の微笑み」を向ける。
「ボルドー様、お待たせして申し訳ございません。ですが、貴方様のような真の美食家を納得させるには、単なる言い訳ではなく『完璧な証明』が必要であると考え、現在全力を尽くしております。……あと二分だけ、お時間をいただけますでしょうか?(交渉のテクニック:具体的な数字の提示)」
「……ふん。二分だぞ。二分過ぎたら、ギルドマスターの首を洗っておけ」
ボルドー卿が少しだけ毒気を抜かれたように腕を組む。
そこへ、背後の廊下からドタドタと慌ただしい足音が響き、ルークが顔を真っ赤にして滑り込んできた。手には数枚の羊皮紙と、小さな魔導機器が握られている。
「ア、アイラさん! 走ってきました! ぜぇ、ぜぇ……ハァ、これ、言われた通りのデータです!」
「お疲れ様、ルーク。一五秒で呼吸を整えて、内容の要約を報告して」
私はルークからひったくるように資料を受け取ると、目にも止まらぬ速さで斜め読み(スキャニング)を開始する。
前世で、顧客の怒鳴り声を聞きながら、同時に別の画面で数千行の履歴を検索していた私にとって、この程度の「情報の切り分け」は朝飯前だ。
「ええと……はい! まず冒険者のシド君が納品時に使った『運搬箱』ですが、アイラさんの予想通りでした! 結界の魔力残滓を調べたところ、サラマンダーの熱気ではなく、微かな『氷結属性』の反応が出たんです!」
「氷結属性……?」
後ろで聞いていた冒険者のシドが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で声を上げた。
「そんなバカな! サラマンダーを氷結属性の箱で運ぶ奴なんていない! 脂が固まって味が落ちちまうだろ!」
「その通りね。……ではルーク、次の資料。シド君がギルドから借りた『解体用魔法具』のリストは?」
「これです! ……あれ、変なんです。シド君が借りたのは『炎熱のナイフ』のはずなのに、貸出台帳の控えには『極氷の剃刀』のシリアル番号が登録されていました。しかも、その横には……」
ルークが指差した箇所を見て、私の目が冷たく細まる。
そこには、ギルドの食肉管理官――通称「肉の門番」と呼ばれるベテラン職員の捺印があった。
(……なるほど。バグの正体が見えてきたわね)
私は窓口の下から、一本の羽ペンを取り出した。
この状況を整理(ロジック展開)すると、答えは一つしかない。
「ボルドー様、お待たせいたしました。……原因が特定されました」
私の声が、事務的な「トーン」から、真実を宣告する「絶対の響き」へと変わる。
ボルドー卿が身を乗り出す。
「ほう。……言ってみろ。なぜこの肉は、これほどまでに『冷たい』のだ」
「結論から申し上げます。その肉は、間違いなく本物のサラマンダー・ドラゴンのものです。しかし、解体の手法に『致命的な欠陥』がありました。……シド君。君、解体する時に『極氷の剃刀』を使ったわね?」
「えっ!? い、いや、俺はいつもの熱気ナイフのつもりで……でも、そういえば。いつもよりサクサク切れるな、とは思ったけど……」
「当然よ。サラマンダーは火の魔物。火の属性を持つナイフで切れば反発するけれど、氷の刃なら抵抗なく通る。……でもね、その瞬間に『魔力の相殺』が起きるの。ドラゴンの肉に宿る炎のエネルギーが、氷の刃によって中和され、ただの『冷えたタンパク質の塊』に成り下がった。……それが、ボルドー様が感じた『芯の冷たさ』の正体です」
ボルドー卿が目を見開く。
「……魔力の相殺だと? それは、解体の基本中の基本ではないか。なぜそんな初歩的なミスが起きたのだ!」
「そこが、この案件の『最も悪質なバグ』なんです。……ルーク、食肉管理官を今すぐここへ呼んできて」
私は窓口から一歩も動かず、カウンター越しにシドをじっと見つめる。
「シド君。君が道具を借りる時、『このナイフが最新型で、ドラゴンも楽に切れるぞ』って、誰かに勧められなかった?(誘導尋問)」
「えっ……。あ、ああ! 食肉管理官のザックスさんが、俺が新人だからって親切に……『これを使えば、サラマンダーも豆腐みたいに切れる』って……」
(……はい、クロ。欲の黄色が、ギルドの奥の方から漂ってくるわ)
私の【残響の波紋】が、遠くから近づいてくる「足音」に反応した。
ザックス。ギルドの食肉部門を牛耳る男。
彼はシドに「あえて間違った道具」を渡し、肉を劣化させた。
その目的は、ただの嫌がらせか? ……いいえ、前世の「不正検知」の経験が、もっとドス黒い動機を囁いている。
「ボルドー様。……貴方様がこの肉を『偽物だ』と断じて突き返した後、この肉がどう処理される予定だったか、ご存知ですか?」
「……廃棄、ではないのか?」
「いいえ。ギルドの規定では、『鑑定上は本物だが、品質不良で突き返された高級肉』は、管理官の判断で『格安で秘密裏に売却』できることになっているんです。……ねぇ、ザックスさん?(不意打ち)」
廊下の角から、恰幅のいい男――ザックスが顔を出した。
彼の顔は、突然自分の名前を呼ばれたことで、見苦しく引きつっている。
窓口から一歩も動かない。
けれど、私の言葉という「不可視の糸」が、ザックスの首にゆっくりと巻き付いていく。
「さあ、ザックス管理官。ボルドー卿の夕食を台無しにし、新人の将来を潰そうとしたその『仕様外の挙動』……たっぷりと説明していただきましょうか?」




