第41話:消えたノイズ(不満)と、サクラの冒険者
「……はい、薬草採取クエストの報告ですね。規定の重量を満たしておりますので、報酬は銅貨十枚となります。お疲れ様でした。次の方、どうぞ」
十五時三十分。
私は『営業用スマイル・タイプA』を顔面に固定したまま、流れるような手つきで目の前の冒険者から受け取った素材の検品を行い、報酬を支払っていた。
だが、私の脳の処理領域の八割は、目の前の業務ではなく、手元に広げた分厚い台帳のデータ分析へと割かれている。
前世のコールセンターにおいて、顧客と通話しながら同時に複数の顧客データベース(CRM)を検索し、過去の対応履歴を読み込むのは、SVにとって息をするのと同じくらい自然な【コンカレント処理(同時並行作業)】だ。
それに比べれば、目の前の簡単な事務手続きと、台帳の文字を周辺視で追うことなど造作もない。
私の手元には、過去一年間に辺境の村『霧の谷』がギルドに依頼した全クエストの【受注ログ】と、帰還した冒険者が提出した【顧客満足度(CSAT)アンケート】の原本が積まれている。
「アイラさん……本当に何かおかしいんですか? アンケートの束、どれを見ても『村の料理が美味しかった』『報酬が高くて最高』って、満点(五・〇)の評価ばっかりですよ?」
隣の窓口で暇そうにしているルークが、身を乗り出してアンケート用紙を覗き込んでくる。
「ええ、ルーク。表面的な数字だけを見ればね」
私は新しい冒険者の受付をしながら、声のトーンを落として答えた。
「データ分析の基本は、全体を俯瞰した後に、必ず『属性の偏り(バイアス)』を疑うことよ。ルーク、この百二十枚の満点アンケートの【提出者の名前】を読み上げてみなさい」
「ええと……。Aランクパーティの『暁の剣』、Bランクの『鉄の盾』、それからまた『暁の剣』……あれ? アイラさん、このアンケート、同じパーティが何度も提出してます!」
「その通りよ」
私は、赤インクのペンで台帳の特定の行にチェックを入れた。
「百二十枚のアンケートのうち、実に九割が特定の四つの『ベテランパーティ(常連)』によって提出されている。彼らは月に何度もこの村のクエストを受注し、その度に満点の評価をつけているわ」
「な、なるほど……。村の居心地が良くて、すっかりリピーターになったってことですね!」
「おめでたいわね、ルーク。コールセンターでは、特定の少数顧客だけが異常な高評価を連発する現象を【サクラ(ステルスマーケティング)】と呼ぶのよ」
「サ、サクラ……!?」
「ええ。現代……いえ、この世界においても、業者が裏で報酬を渡し、意図的に評価を釣り上げる手口は存在するわ。ギルドからの『最優秀クライアント賞』という信用を得るためにね」
私はさらに台帳のページをめくり、最も不自然な【空白】を指差した。
「問題は、残りの一割よ」
「残りの一割……?」
「『霧の谷』が提示するクエストは、辺境という立地を考慮しても、相場の三倍近い高額な報酬が設定されている。当然、一攫千金を狙う中堅や新人のパーティも、この一年間で十数組が受注しているわ。……でも、彼らが提出したアンケートは、この束の中に一枚も存在しない」
ルークが首を傾げた。
「アンケートを書き忘れたんじゃないですか? ギルドへの報告が面倒で……」
「いいえ。ギルドの規約では、クエスト完了の報告とアンケートの提出はセットよ。これを怠れば、報酬は支払われず、ペナルティとして違約金が発生する。……お金に困っている新人たちが、高額な報酬を受け取らずに消えるなんて、論理的にあり得ないわ」
「そ、そう言われれば……! じゃあ、その新人たちはどこへ行っちゃったんですか!?」
「そこが、最大の『バグ』よ」
私は、台帳の奥から別のファイル——『冒険者移籍手続きログ』を取り出した。
「ギルドの記録上では、彼らはクエストを完了した後、王都へは戻らず、そのまま隣国のギルドへ『拠点を移した(移籍した)』という処理になっているわ」
「移籍……。でも、それなら辻褄が合いますよね? 辺境の村から王都へ戻るより、そのまま国境を越えた方が近いなら……」
「本当にそう思う? ルーク、この移籍届の原本をよく見なさい」
私は、十数枚の移籍届を扇状に広げてルークの目の前に突きつけた。
「あっ……!」
ルークが小さく息を呑む。
十数組の異なるパーティ、異なる冒険者たち。しかし、彼らが提出したとされる移籍届のサイン(署名)は、どれも酷似した流れるような筆跡で書かれていた。
「筆跡が、全部同じ……? まさか……」
「ええ。これは本人のサイン(直筆)じゃないわ。すべて、『霧の谷の村長』による【代理提出】よ。……辺境の村の特例措置として、村長が書類を預かって郵送できる制度を悪用したのね」
私は冷ややかな声で、これまでに集めたデータ(ログ)から導き出された、唯一にして最も恐ろしい仮説(結論)を口にした。
「……彼らは、移籍なんてしていない。王都へ帰ることも、アンケートで不満を書くことも、物理的に不可能な状態にされたのよ」
「物理的に……不可能……?」
ルークの顔が青ざめ、声が震えている。
「村の闇に気付いたか、あるいは高額報酬の理由(裏)を知ってしまったか。とにかく、新人の冒険者たちは村で『消去(抹殺)』された。そして村長は、ギルドに怪しまれないように、彼らの移籍届を偽造して提出した。……一方、事情を知っているベテランパーティたちは、村長と結託して『サクラ』となり、定期的に村へ出向いては、満点のアンケートを書き続けている」
「そ、そんな……! じゃあ、あの村は……!!」
「完璧な数字(CSAT一〇〇%)を維持するための、血塗られたマッチポンプというわけね」
私は手元の台帳をパタンと閉じた。
コールセンターにおいて、隠蔽されたデータほど雄弁に不正を語るものはない。
不満が存在しないのは、不満を言う人間がすでにこの世にいないからだ。
時計の針は、十六時を指そうとしていた。
私の愛する『幻の和栗の生絞りモンブラン』の受け取りまで、あと一時間半。
この薄汚い不正データ(ゴミ)をギルドの正式な記録として残しておくことは、私の完璧なファイリング美学が許さないし、何より後日の監査で私の残業が増える原因となる。
「……ルーク。証拠の輪郭は掴めたわ。あとは、この不正の実行犯から、直接『言質』を取るだけよ」
私がそう言って、冷たい笑みを浮かべた、まさにその時だった。
「おおーい! 受付のお姉さん! 『霧の谷』のクエスト、終わらせてきたぜ! 相変わらず最高の村だったから、アンケートも満点で書いといたぞ!」
ギルドの重厚な扉が開き、四人組の身なりの良い冒険者たちが、大声で笑いながら入ってきた。
彼らの胸元には、銀色に輝く剣のエンブレム。
「……噂をすれば、というやつね」
私は微かに目を細めた。
彼らこそ、この一年間で最も多く『霧の谷』の満点アンケートを提出し続けている常連パーティ——『暁の剣』。
血の匂い一つさせず、綺麗に磨かれた防具を身に纏った彼らが、私の窓口へと真っ直ぐに向かってくる。
「さあ。いらっしゃいませ、サクラの皆様」
私は『営業用スマイル・タイプS(獲物を逃がさない絶対的捕食者の微笑み)』を展開し、一歩も動かずに彼らを迎え入れた。
極上のモンブランを味わう前に、まずはこの偽りの冒険者たちに、地獄の【抜き打ち品質監査(QAヒアリング)】を味わわせてあげよう。




