表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ギルドの受付嬢はうごかない ~定時に帰りたいので、一歩も動かず事件を解きます~  作者: ぱすた屋さん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/52

第40話:完璧な数字と、統計学のバグ

新シリーズちょっと長めです

 


 秋も深まり、王都の街路樹が色鮮やかな黄金色に染まり始めた頃。

 私は、冷え込み始めたギルドのカウンターで、一切の姿勢を崩すことなく、本日の退勤後に待ち受ける『至福の儀式』のシミュレーションを脳内で構築していた。


 今日のターゲットは、王都の第一区に店を構える高級洋菓子店『エトワール』で、一日わずか十食限定で提供される秋の至宝——『幻の和栗の生絞りモンブラン』である。


 注文を受けてから、熟練のパティシエが目の前で仕上げてくれるというその芸術品。

 土台となるのは、空気をたっぷりと含んで焼き上げられたサクサクのメレンゲと、甘さを極限まで抑えた純白の生クリーム。その上から、まるで絹糸のような極細の和栗ペーストが、ふんわりと、これでもかというほどに折り重なっていく。

 フォークを入れた瞬間に広がるであろう、栗本来の暴力的なまでの香りと、口の中でメレンゲと一緒に溶けて消える儚い食感。


(……ああ。想像しただけで、脳内の幸福物質エンドルフィンが最高潮に達しそう。私のこの神聖なるモンブランの予約時間は、十七時三十分。すなわち、一秒の残業も許されない、絶対的な定時退勤オンタイム・シャットダウンが要求されるわ)


 私は手元の書類に美しい承認印を押し続けながら、今日の業務に一切のイレギュラー(障害)が発生しないことを祈っていた。


「やあ、アイラ君! 今日も素晴らしい働きぶりだね!」


 そんな私のささやかな祈りを打ち破るように、二階の執務室からギルドマスターのバーンズが、一枚の羊皮紙を片手に上機嫌で階段を降りてきた。

 隣の窓口で暇そうにしていたルークが、「あ、マスター。すごく嬉しそうですね、何かいいことあったんですか?」と尻尾を振るように尋ねる。


「ああ、ルーク君も聞いてくれ。実は今月の王都本部が選出する『最優秀クライアント賞』に、我が支部が担当している辺境の村が選ばれそうなんだよ!」


 マスターが、ホクホク顔でその羊皮紙を私のカウンターに置いた。

 私は『営業用スマイル・タイプA(省エネ・デフォルト設定)』を維持したまま、視線だけをその書類へと落とす。


 そこには、王都から馬車で三日ほど離れた辺境の集落、『霧の谷』からのクエスト実績と、冒険者たちからの評価データがまとめられていた。


「この『霧の谷』は素晴らしい村でね。定期的に魔物討伐の高額クエストを出してくれる優良顧客(VIP)なんだが、何より凄いのが、帰還した冒険者たちからの評価だ」

 マスターは自慢げに胸を張った。


「過去一年間、この村へ向かった冒険者から回収した【顧客満足度(CSAT)アンケート】。そのすべての項目において、なんと驚異の『五・〇(満点)』を記録し続けているんだ! 『村人の対応が良い』『飯が美味い』『また行きたい』……クレームなどただの一件もない! これこそが理想のクライアント、まさにユートピアじゃないか!」


「へええっ! すごいですね! 一年間もクレームがゼロなんて!」

 ルークが目を輝かせてマスターの言葉に同意する。


 だが。

 私の視界に映るその「完璧な数字」を見た瞬間、私の脳内を占めていたモンブランの甘い香りは完全に吹き飛び、代わりに前世のSVスーパーバイザーとしての冷徹な警報アラートがガンガンと鳴り響いた。


「……マスター」

 私は一切の感情を排した、絶対零度の声で口を開いた。


「この報告書を、本部に提出するおつもりですか?」

「えっ? ああ、もちろんそのつもりだが……。何か問題でも?」


「ええ。大いに問題があります」

 私は手元の羽ペンを置き、マスターとルークを冷ややかな目で見据えた。


「結論から申し上げます。……このアンケート結果は、極めて悪質な【データ改ざん(不正)】が行われている可能性が九九%です」


「なっ……!? ふ、不正だって!?」

 マスターが素っ頓狂な声を上げ、ルークが「アイラさん、どういうことですか!?」と身を乗り出してきた。


「統計学の基本です、マスター。コールセンター……いえ、窓口業務の絶対法則としておぼえておいてください。【サンプル数が百件を超えた状態で、顧客満足度(CSAT)が完全に一〇〇%になることは、数学的・物理的にあり得ない】のです」


 私は羊皮紙を指先で弾いた。

「過去一年間で、この村へ向かったパーティの数は百二十組。それだけの生身の人間ユーザーが動けば、必ず一定数の『ノイズ(不満)』が混じります。人間の感情は機械のように均一ではありませんからね」


「ノイズ……?」


「ええ。例えば『道中の天気が悪くて最悪だった』『村の宿のベッドが硬かった』『出された料理の味が薄かった』……あるいは、単に『冒険者自身のその日の機嫌が悪かった』。そうした、村の責任とは全く無関係な個人的なストレスですら、人間は平気でアンケートの評価を【四】や【三】に下げる理由にします。それが『リアルな顧客データ』というものです」


 私はゆっくりと立ち上がり、マスターの顔を覗き込んだ。


「百二十組ものパーティが、天候にも、宿にも、村人の態度にも、自分の体調にも、ただの一つの不満も抱かずに、全員が寸分違わず『五・〇』の満点をつける。……マスター、これは『奇跡』ではありません。意図的に設計された『バグ』です」


「ば、バグ……。いや、しかし、本当に素晴らしいおもてなしの村なのかもしれないじゃないか!」

 マスターがまだ現実を受け入れられずに反論してくる。


「完璧すぎるデータは、完璧な隠蔽の証拠です」

 私は冷徹に切り捨てた。


「ノイズ(不満)が全く存在しないということは、つまり【不満を持った人間が、物理的に声を上げられない状態にされている】か、あるいは【意図的に満点をつけるサクラ(偽客)だけがアンケートを提出している】かのどちらかです」


 私の言葉に、ギルドの空気がスッと冷え込んだ。

「声を、上げられない状態……? それって、まさか……」

 ルークの顔から血の気が引いていく。


「もし、この真っ黒な不正データを本部に提出し、後から『優良顧客の村』の実態が恐ろしいものであったと発覚した場合……。マスター、貴方は『数字の異常を見抜けなかった無能な管理職』として、確実に懲戒処分の対象エスカレーションとなりますよ」


「ひっ……!!」

 マスターが悲鳴を上げ、その場にへたり込みそうになる。

「そ、それは困る! 頼むアイラ君、君のその恐ろしい分析力で、この村の『バグ』とやらを修正してくれないか!?」


 私は深く溜息をつき、再び椅子に腰を下ろした。


(……面倒なことになったわね。でも、ここで放置して後から監査が入れば、それこそ私の定時退勤は永遠に失われる。私の愛する『幻の和栗の生絞りモンブラン』を守るためには、この不気味な数字のカラクリを、今のうちに論理の刃で切り刻んでおくしかないわね)


 時計の針は、まだ十五時を回ったばかり。

 モンブランの予約時間まで、あと二時間半。


「……承知いたしました、マスター」

 私は引き出しから、過去一年分の分厚い『クエスト受注台帳』と『冒険者登録名簿』をドンッとカウンターに積み上げた。


「これより、窓口業務と並行して『霧の谷』のトラッキング(追跡)データの洗い出しを行います。……ルーク、砂時計を用意しなさい。この不気味な沈黙の村の嘘を、数字の矛盾から暴き出してあげるわ」


 幻のモンブランを死守するため、氷のSVスーパーバイザーによる【完璧なデータの解体作業】が、今、静かに幕を開けた。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ