第40話:完璧な数字と、統計学のバグ
新シリーズちょっと長めです
秋も深まり、王都の街路樹が色鮮やかな黄金色に染まり始めた頃。
私は、冷え込み始めたギルドのカウンターで、一切の姿勢を崩すことなく、本日の退勤後に待ち受ける『至福の儀式』のシミュレーションを脳内で構築していた。
今日のターゲットは、王都の第一区に店を構える高級洋菓子店『エトワール』で、一日わずか十食限定で提供される秋の至宝——『幻の和栗の生絞りモンブラン』である。
注文を受けてから、熟練のパティシエが目の前で仕上げてくれるというその芸術品。
土台となるのは、空気をたっぷりと含んで焼き上げられたサクサクのメレンゲと、甘さを極限まで抑えた純白の生クリーム。その上から、まるで絹糸のような極細の和栗ペーストが、ふんわりと、これでもかというほどに折り重なっていく。
フォークを入れた瞬間に広がるであろう、栗本来の暴力的なまでの香りと、口の中でメレンゲと一緒に溶けて消える儚い食感。
(……ああ。想像しただけで、脳内の幸福物質が最高潮に達しそう。私のこの神聖なるモンブランの予約時間は、十七時三十分。すなわち、一秒の残業も許されない、絶対的な定時退勤が要求されるわ)
私は手元の書類に美しい承認印を押し続けながら、今日の業務に一切のイレギュラー(障害)が発生しないことを祈っていた。
「やあ、アイラ君! 今日も素晴らしい働きぶりだね!」
そんな私のささやかな祈りを打ち破るように、二階の執務室からギルドマスターのバーンズが、一枚の羊皮紙を片手に上機嫌で階段を降りてきた。
隣の窓口で暇そうにしていたルークが、「あ、マスター。すごく嬉しそうですね、何かいいことあったんですか?」と尻尾を振るように尋ねる。
「ああ、ルーク君も聞いてくれ。実は今月の王都本部が選出する『最優秀クライアント賞』に、我が支部が担当している辺境の村が選ばれそうなんだよ!」
マスターが、ホクホク顔でその羊皮紙を私のカウンターに置いた。
私は『営業用スマイル・タイプA(省エネ・デフォルト設定)』を維持したまま、視線だけをその書類へと落とす。
そこには、王都から馬車で三日ほど離れた辺境の集落、『霧の谷』からのクエスト実績と、冒険者たちからの評価データがまとめられていた。
「この『霧の谷』は素晴らしい村でね。定期的に魔物討伐の高額クエストを出してくれる優良顧客(VIP)なんだが、何より凄いのが、帰還した冒険者たちからの評価だ」
マスターは自慢げに胸を張った。
「過去一年間、この村へ向かった冒険者から回収した【顧客満足度(CSAT)アンケート】。そのすべての項目において、なんと驚異の『五・〇(満点)』を記録し続けているんだ! 『村人の対応が良い』『飯が美味い』『また行きたい』……クレームなどただの一件もない! これこそが理想のクライアント、まさにユートピアじゃないか!」
「へええっ! すごいですね! 一年間もクレームがゼロなんて!」
ルークが目を輝かせてマスターの言葉に同意する。
だが。
私の視界に映るその「完璧な数字」を見た瞬間、私の脳内を占めていたモンブランの甘い香りは完全に吹き飛び、代わりに前世のSVとしての冷徹な警報がガンガンと鳴り響いた。
「……マスター」
私は一切の感情を排した、絶対零度の声で口を開いた。
「この報告書を、本部に提出するおつもりですか?」
「えっ? ああ、もちろんそのつもりだが……。何か問題でも?」
「ええ。大いに問題があります」
私は手元の羽ペンを置き、マスターとルークを冷ややかな目で見据えた。
「結論から申し上げます。……このアンケート結果は、極めて悪質な【データ改ざん(不正)】が行われている可能性が九九%です」
「なっ……!? ふ、不正だって!?」
マスターが素っ頓狂な声を上げ、ルークが「アイラさん、どういうことですか!?」と身を乗り出してきた。
「統計学の基本です、マスター。コールセンター……いえ、窓口業務の絶対法則としておぼえておいてください。【サンプル数が百件を超えた状態で、顧客満足度(CSAT)が完全に一〇〇%になることは、数学的・物理的にあり得ない】のです」
私は羊皮紙を指先で弾いた。
「過去一年間で、この村へ向かったパーティの数は百二十組。それだけの生身の人間が動けば、必ず一定数の『ノイズ(不満)』が混じります。人間の感情は機械のように均一ではありませんからね」
「ノイズ……?」
「ええ。例えば『道中の天気が悪くて最悪だった』『村の宿のベッドが硬かった』『出された料理の味が薄かった』……あるいは、単に『冒険者自身のその日の機嫌が悪かった』。そうした、村の責任とは全く無関係な個人的なストレスですら、人間は平気でアンケートの評価を【四】や【三】に下げる理由にします。それが『リアルな顧客データ』というものです」
私はゆっくりと立ち上がり、マスターの顔を覗き込んだ。
「百二十組ものパーティが、天候にも、宿にも、村人の態度にも、自分の体調にも、ただの一つの不満も抱かずに、全員が寸分違わず『五・〇』の満点をつける。……マスター、これは『奇跡』ではありません。意図的に設計された『バグ』です」
「ば、バグ……。いや、しかし、本当に素晴らしいおもてなしの村なのかもしれないじゃないか!」
マスターがまだ現実を受け入れられずに反論してくる。
「完璧すぎるデータは、完璧な隠蔽の証拠です」
私は冷徹に切り捨てた。
「ノイズ(不満)が全く存在しないということは、つまり【不満を持った人間が、物理的に声を上げられない状態にされている】か、あるいは【意図的に満点をつけるサクラ(偽客)だけがアンケートを提出している】かのどちらかです」
私の言葉に、ギルドの空気がスッと冷え込んだ。
「声を、上げられない状態……? それって、まさか……」
ルークの顔から血の気が引いていく。
「もし、この真っ黒な不正データを本部に提出し、後から『優良顧客の村』の実態が恐ろしいものであったと発覚した場合……。マスター、貴方は『数字の異常を見抜けなかった無能な管理職』として、確実に懲戒処分の対象となりますよ」
「ひっ……!!」
マスターが悲鳴を上げ、その場にへたり込みそうになる。
「そ、それは困る! 頼むアイラ君、君のその恐ろしい分析力で、この村の『バグ』とやらを修正してくれないか!?」
私は深く溜息をつき、再び椅子に腰を下ろした。
(……面倒なことになったわね。でも、ここで放置して後から監査が入れば、それこそ私の定時退勤は永遠に失われる。私の愛する『幻の和栗の生絞りモンブラン』を守るためには、この不気味な数字のカラクリを、今のうちに論理の刃で切り刻んでおくしかないわね)
時計の針は、まだ十五時を回ったばかり。
モンブランの予約時間まで、あと二時間半。
「……承知いたしました、マスター」
私は引き出しから、過去一年分の分厚い『クエスト受注台帳』と『冒険者登録名簿』をドンッとカウンターに積み上げた。
「これより、窓口業務と並行して『霧の谷』のトラッキング(追跡)データの洗い出しを行います。……ルーク、砂時計を用意しなさい。この不気味な沈黙の村の嘘を、数字の矛盾から暴き出してあげるわ」
幻のモンブランを死守するため、氷のSVによる【完璧なデータの解体作業】が、今、静かに幕を開けた。
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次回お楽しみに。




