第39話:三者間通話(カンファレンス)と、幻の雪蟹
無言でカニを食べる
「……ヴァレリウス伯爵。確認いたしますが、『払わない』。……それが、貴方の【最終回答】でよろしいですね?」
『あ、ああ、そうだ! 絶対に払わん! ギルド風情に私の領地で強制執行などできるものか!』
通信機越しに響く伯爵の勝ち誇った笑い声。
だが、それは彼自身が自らの首を括るための、完璧な証言となった。
「左様でございますか。……交渉決裂。承知いたしました」
私は一切の表情を変えることなく、手元の通信魔道具の端にある、小さな【保留解除ボタン】を押し込んだ。
カチャリ、と。
通信回線に、それまでずっと息を潜めてこの会話を聞いていた『第三者』と『第四者』の音声が接続される。
「——お聞きになりましたね、お二方」
『……ええ。大変遺憾ながら、一言一句、明確に聞き届けましたぞ』
『全くです。王家に連なる貴族として、あるまじき発言録でしたね』
魔道具から響き渡った、重厚で厳格な二つの声。
その声を聞いた瞬間、伯爵の笑い声がヒュッと不自然な音を立てて止まった。
『なっ……!? だ、誰だ!? 貴様ら、どこからこの通信に割り込んできた!!』
「おや、ご自身の最大のスポンサーの声もお忘れですか?」
私は極上の冷笑を浮かべ、彼らを紹介した。
「コールセンターにおける奥義の一つ、【三者間通話】です。……ご紹介します。王都最大の商業ギルド(銀行)の頭取であられる、ゴードン様。そして、王家直属の財務局より、特任徴税官のルイス様です」
『な、ななっ……!? ご、ゴードン頭取!? なぜあなたがギルドの通信に……!』
伯爵の震え上がる声に、通信の向こうでゴードン頭取が冷ややかに応じた。
『アイラ君から事前に「当行の大口融資先である伯爵家の信用調査(与信)に関わる重要な通信がある」と招待を受けておりましてな。……いやはや、驚きましたよ。金貨一万枚の正当な負債すら「払わん」と開き直る方に、これ以上の融資を続けるわけにはいきません』
『ひっ……! ちょ、待ってくれ! あれは冗談だ!』
『冗談で済む話ではありません』
今度はルイス徴税官が、氷の刃のような声で切り捨てた。
『法を無視し、自らの身分を盾に支払いを拒否する。これは重大なコンプライアンス違反です。財務局としては、伯爵家の資産凍結、および強制査察に向けた手続き(エスカレーション)を直ちに開始せざるを得ませんな』
『あ、あわわわ……っ!!』
伯爵の喉から、絶望のうめき声が漏れた。
これが、アウトバウンド業務の究極のクロージングだ。
逃げる債務者には「ギルドが怒っている」と伝えても意味がない。彼らが最も恐れるのは、自らの社会的信用と資金源が絶たれることだ。
だから私は、伯爵に通信を繋ぐ前に、あらかじめ彼の弱みである銀行と財務局を回線に待機させておいたのだ。
隣で見ていたギルドマスターが、ガタガタと震えながら私を見ている。
ルークに至っては、あまりの恐怖に拝むようなポーズで固まっていた。
時計の針は、十六時五十九分。
定時まで、あと一分。私の雪蟹が、王都の料亭で私を呼んでいる。
「さて、ヴァレリウス伯爵」
私は、最後の一押し(プッシュ)をかけた。
『あ、アイラ殿! ま、待ってくれ! 払う! 払うから、査察と融資の引き上げだけは勘弁してくれぇぇ!』
「おや。先ほどは『絶対に払わん』と仰っていましたが?」
『あれは通信のノイズだ! そう、魔力干渉で私の声が歪んで聞こえただけだ!』
「左様ですか。では、その『ノイズ』を帳消しにするための最終提案です」
私は手元の砂時計をひっくり返した。
「今から十秒以内に、魔導送金システムにて金貨一万枚を当ギルドの口座へ振り込んでください。確認でき次第、本日の通信ログは『正常な取引完了』として処理し、お二方にも査察の保留をお願いして差し上げます。……十、九、八……」
『わ、わかった! 今すぐやる! 魔法陣を起動しろ! 急げ!!』
通信の向こうで、伯爵が屋敷の使用人たちに半狂乱で怒鳴り散らす音が響く。
「五、四、三、二……」
『ピロローン!』
私の手元にあるギルドの入金確認魔道具が、眩い黄金色の光を放ち、軽快な電子音を鳴らした。
「……はい、金貨一万枚の着金、確かに確認いたしました」
私は羽ペンで『回収完了』のチェックボックスに美しいレ点を書き込んだ。
「ご入金、誠にありがとうございます。ゴードン頭取、ルイス徴税官、本日はご協力ありがとうございました」
『いやいや、鮮やかな手並みでしたな、アイラ君。それでは、我々はこれで回線を離脱しますよ』
『うむ、ご苦労だった』
二人の有力者の通信が切れ、回線には息も絶え絶えになった伯爵の荒い呼吸だけが残された。
「……本日のご案内は以上となります。ヴァレリウス伯爵、またのご利用(クエスト発注)を心よりお待ち申し上げております。……ごきげんよう」
『ま、待っ……』
ガチャリ。
私は、伯爵の言葉を最後まで聞くことなく、通信魔道具の電源を完全に切断した。
『カーン、カーン、カーン……』
同時に、ギルド内に十七時の終業を告げる鐘の音が鳴り響く。
「ルーク、マスター。未収金一万枚、完全回収いたしました。……これで、私の冬のボーナスに一切の懸念事項はなくなりましたね?」
私は一秒の遅れもなく立ち上がり、窓口のシャッターを下ろした。
「あ、ああ……! 素晴らしい、君は本当にギルドの救世主(女神)だよアイラ君! ボーナスは規定通り、いや、特別手当をつけて満額支給しよう!」
マスターが涙ぐみながら拍手をしている。
「当然の権利です。……では、私はこれにて退勤いたしますので」
私は踵を返し、足早にギルドを後にした。
背後で「アイラさん、怒らせたら絶対駄目な人だ……」というルークの震える声が聞こえたが、私の脳内はすでに、白銀の世界へと飛翔していた。
* * *
数日後の夜。
王都の一等地にある高級海鮮料亭『海神の宴』の完全個室。
「お待ちどおさまです。冬季限定・幻の雪蟹のフルコースでございます」
和装の仲居がうやうやしく運んできた大皿を見て、私は思わず感嘆の吐息を漏らした。
氷を敷き詰めた皿の上には、鮮やかな赤色に茹で上げられた巨大な雪蟹が鎮座している。その脚は私の手首ほどもある極太サイズだ。
「……完璧な品質ね」
私は専用の蟹割りバサミを手に取り、最も身が詰まっていそうな一番脚の殻に刃を入れた。
パキッ、という心地よい音と共に殻が割れ、中から溢れんばかりの『純白の身』が姿を現す。湯気と共に、極上の磯の香りが鼻腔をくすぐった。
私は箸でその身を綺麗にすくい上げ、特製のカボス酢に軽く潜らせて、そのまま口へと運んだ。
「……〜〜〜〜っ!!」
(……目標達成率、一〇〇〇%……!!)
口に含んだ瞬間、絹のようになめらかな蟹の繊維が、舌の上でハラリと解けた。
極寒の海で蓄えられた圧倒的な甘みと、上品な旨味が大津波となって味覚を蹂躙する。噛めば噛むほど、蟹のジュースが溢れ出して止まらない。
私はすかさず、お猪口に注がれた熱燗をきゅっと煽る。
冷えた蟹の身と、熱い日本酒のアルコールが胃の中で混ざり合い、全身の血肉が歓喜に震えるのを感じた。
「最高……。悪質な債務者を追い詰めた後の蟹は、格別の味がするわね……」
続いて、甲羅の登場だ。
七輪の上でグツグツと煮え滾る、濃厚な深緑色の蟹味噌。
私はそこに、ほぐした蟹の身をたっぷりとダイブさせ、味噌のコーティングを施して一気に口に放り込んだ。
(……濃厚っ!! 脳が溶けるほどのコクと塩気! これよ、私の冬のボーナスはこの一瞬の背徳感のために存在しているのよ!)
私は誰とも喋らず(そもそも蟹を食べる時は無言になるのがこの世の理だ)、ただひたすらに、目の前の赤い宝石と向き合い続けた。
アウトバウンド業務は確かに精神を消耗する。だが、その成果がこの雪蟹という絶対的な幸福に変換されるのであれば、どれほどの理不尽なクレーマーであろうと、私は笑顔で地獄の果てまで追い詰めてみせる。
「……ふぅ。ごちそうさまでした。極上のコール(対応)だったわ」
空になった甲羅を見つめながら、私は満足げに息をついた。
さあ、明日もまた、ギルドの窓口という戦場が待っている。
次のターゲット(夕食)は何にしようか。そんなことを考えながら、氷のSVは冷たい夜風の吹く王都の街へ、満面の笑みで歩き出した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。




