第38話:逃亡貴族の言い訳と、督促(クロージング)スクリプト
一回言ってみたい
ファイナルアンサー?
『なっ……!? き、貴様、私を脅す気か! ただのギルドの受付嬢風情が、このヴァレリウス伯爵に向かって……!』
通信魔道具の向こう側から、伯爵の怒りに震える声が響いた。
だが、私の隠された視覚【残響の波紋】は、彼の声が放つ波紋が、怒りの赤ではなく、明らかな『動揺と焦燥の紫』に染まっているのを捉えていた。
「脅迫などとんでもございません。これは単なる『リスクの事前共有』です」
私は一歩も動かず、デスクの椅子に深く腰掛けたまま、極上の冷気を孕んだ『営業用スマイル』を浮かべていた。
隣でルークとギルドマスターが、固唾を呑んで私の対話を見守っている。
「伯爵家ほどの歴史ある名家が、冒険者への報酬金貨一万枚を出し渋り、居留守を使っている。……もしこの事実が王都の社交界に露呈すれば、貴家への信用は地に落ちます。私共としては、そのような悲劇を未然に防ぎたいと、心を痛めている次第でございます」
『くっ……! 減らず口を……!』
伯爵がギリッと歯軋りする音が聞こえた。
アウトバウンド(発信業務)において、相手が電話を切るという『最大の逃げ道』を塞いだ時点で、勝負の六割は決まっている。
ここからは、相手が繰り出してくるであろう【支払い拒否の言い訳】を、一つ残らず論理で潰していく作業だ。
『……ふん。いいだろう、話してやる。だがな、私が支払いを「保留」しているのには、正当な理由があるのだ!』
伯爵は咳払いをして、無理やり威厳を取り繕った声を出した。
『Sランクパーティの奴ら、確かにアース・ドラゴンは倒した。だが、その死骸の処理が甘かったのだ! 倒れたドラゴンの巨体のせいで、我が領地の貴重な果樹園が一部潰れてしまった! この損害賠償を相殺すれば、一万枚など払えるわけがない!』
(……来たわね。典型的な『サービス品質への後出しクレーム』)
商品やサービスを受け取った後になって、「ここが気に入らない」「だから全額は払わない」と難癖をつける。悪質な債務者が最もよく使う手口だ。
「左様でございますか。果樹園の被害につきましては、心よりお見舞い申し上げます」
私は『クッション言葉』を一つ挟み、手元に用意しておいた分厚い【契約書(SLA)】の束をパラリとめくった。
「ですが伯爵。貴方が当ギルドと結ばれた『特別討伐依頼契約書』の第五条、第二項をご記憶でしょうか。『本契約はドラゴンの【生命活動の停止】をもって完了とし、その後の死骸の解体・運搬・およびそれに伴う付随的被害の補償は、別途追加オプション契約とする』……」
『なっ……』
「当ギルドの記録によれば、伯爵は『一刻も早く倒せ! 金はいくらでも払うが、余計なオプションは不要だ!』と仰り、死骸処理のオプションを自ら外しておられます。……つまり、果樹園の被害は『契約範囲外』です。これを理由とした支払いの減額は、法的根拠を伴いません」
『ぐぬっ……! そ、それは……あの時は急いでいたからで……!』
伯爵の声の波紋が、さらに激しく揺れ動く。
論破された焦りが、ノイズとなって通信機から溢れ出している。
時計の針は、十六時。
私の脳裏には、来週のボーナスで食べる予定の『幻の雪蟹』の純白の身が、チラチラと幻覚のように浮かび上がっていた。
私の蟹を、私の冬の至福を、こんなケチな貴族の言い逃れで失うわけにはいかないのだ。
「……そもそもだ!」
伯爵が、ヤケクソ気味に声を張り上げた。
『私がギルドに正式に依頼を出してから、まだ八日目だぞ! 法務省が定めた【無条件解約】の期間内だろうが! 私はこの契約を、今この時点で白紙撤回する! だから支払いの義務はない!』
「…………は?」
私は思わず、完璧な営業用スマイルを崩し、素の低い声を出してしまった。
「クーリングオフ、ですか?」
『そうだ! 契約から八日以内なら、いかなる理由でも無条件で解約できるはずだ! 違うか!? ドラゴンは死んだが、契約はなかったことになる! 私の勝ちだ!』
あまりの法務リテラシーの低さに、私は深い、深いため息をついた。
隣で聞いていたマスターも「なんという無茶苦茶な理屈だ……」と頭を抱えている。
「伯爵。貴族ともあろうお方が、そのような法解釈の甘さで領地を治めておいでなのですか?」
私は哀れみすら込めたトーンで、氷のような事実を突きつけた。
「クーリングオフ制度とは、訪問販売などで『不意打ち的』に契約を結ばされた【情報弱者である一般消費者(B2C)】を保護するための特例措置です。……今回のように、貴方が自らギルドへ出向き、自らの意思で結んだ契約には一切適用されません」
『な、なんだと!?』
「さらに申し上げますと、アース・ドラゴンの討伐という『オーダーメイド(特注)の役務提供』であり、かつ、すでに役務(討伐)が完全に完了している場合、契約の性質上、解約は不可能です。……もしどうしても契約を白紙に戻したいと仰るなら、今すぐあのドラゴンを生き返らせて、領地の果樹園のど真ん中に再配置していただかなければなりませんが?」
『〜〜〜〜ッ!!』
伯爵が言葉に詰まり、喉の奥でカエルが潰れたような音を立てた。
逃げ道はない。論理の壁で四方を完全に包囲された状態だ。
(さあ。言い訳の弾はもう尽きたはずよ。観念して、さっさと金貨一万枚の送金手続きに入りなさい)
私がそう思い、クロージング(決済への誘導)のスクリプトを口にしようとした瞬間だった。
『……ふざけるな。ふざけるなァァァッ!!』
魔道具の向こう側で、伯爵が机を叩き割るような激しい音を立てて逆上した。
『たかが平民のギルドが、法律だの契約だのと偉そうに! 私はヴァレリウス伯爵だぞ! 王家に連なる血筋だ! その私が「払わん」と言っているのだ! ギルド風情に、私の領地に踏み込んで強制執行する権限などあるものか!』
完全な逆ギレ。
法と論理で勝てなくなった権力者が最後にすがる、みっともない『身分の盾』だ。
『わかったら二度と通信をかけてくるな! 借金の取り立てなど、王都の騎士団ですら私の領地では手出しできんのだ! ははははっ!』
「伯爵!! それはあんまりだ!! 冒険者たちは命を懸けて貴方の領地を守ったのに!!」
見かねたマスターが、横から通信機に向かって叫んだ。
だが、伯爵の醜悪な笑い声は止まらない。
私は、マスターを手で制した。
そして、これ以上ないほど冷たく、静かな声で問いかけた。
「……ヴァレリウス伯爵。確認いたしますが」
『なんだ! まだ言うか!』
「『払わない』。……それが、貴方の【最終回答】でよろしいですね?」
私の声に込められた異常なまでの冷気に、伯爵の笑い声がピタリと止まった。
『あ、ああ、そうだ! 絶対に払わん!』
「左様でございますか。……交渉決裂。承知いたしました」
私は、手元の通信魔道具の端にある、小さな【保留解除ボタン】に指を添えた。
「では、事前通告通り、次のフェーズ……『強制執行』へと移行させていただきます」
『だから! お前たちにそんな権限はないと言っているだろうが!』
「ええ。ギルド(私共)にはありません。……ですが、『彼ら』にはありますよ」
私は笑みを深め、保留解除ボタンを押し込んだ。
カチャリ、と。
通信回線に、それまでずっと息を潜めてこの会話を聞いていた『第三者』と『第四者』の音声が接続された。
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次回お楽しみに。




