第35話:消費されないポーションと、ログの矛盾(クロスチェック)
「……はい、ご署名ありがとうございます。本件のクエスト報酬は銀貨五枚となります。次の方、どうぞ」
十四時四十五分。
私は『営業用スマイル・タイプA(機械的かつ隙のない微笑み)』を顔面に固定したまま、流れるような手つきで別の冒険者たちの事務手続きを処理していた。
窓口の端では、『銀の風』のリーダーであるガレスたちが「まだかよ」「システム(魔導回線)の遅延ってなんだ、ふざけんな」と舌打ちをしながら苛立ちを募らせている。
彼らをあえて待機状態にしたまま、他の顧客を並行して捌き続ける。
前世のコールセンター時代、クレーム客の電話を保留にしたまま、チャットサポートの画面を三つ同時に動かし、さらに新人オペレーターのヘルプ出しまで行っていた私にとって、この程度の『コンカレント処理(同時並行作業)』は息をするよりも容易い。
むしろ、彼らを待たせることで生じる「焦燥」が、後で彼らのボロを引き出すための極上のスパイスになるのだ。
「あ、アイラさん……っ! はぁ、はぁ……持ってきました! 第三書庫から、指定されたログ全部です!」
私の隣の窓口に、息を切らしたルークが分厚い羊皮紙の束を抱えて滑り込んできた。
相変わらず、パシリとしての機動力だけは一級品だ。
「ご苦労様。呼吸を整えなさい。窓口はお客様に疲労を見せる場所ではないわ」
私は目の前の冒険者に報酬を手渡しながら、視線を一切手元に落とすことなく、ルークが持ってきた二冊の分厚い台帳——【クエスト受注ログ】と、ギルド併設の購買部における【アイテム購入履歴】を自分の手元へと引き寄せた。
「あの、アイラさん。購買部の履歴なんて見て、どうするんですか? 幽霊の正体がわかるって……」
ルークが小声で尋ねてくる。
「ええ。人間は平気で嘘を吐くけれど、数字は絶対に嘘を吐かないのよ。……特に、『命に関わる消費財』の数字はね」
私は新しい冒険者の討伐証明書に承認印を押しつつ、周辺視と指先の感覚だけで、二冊の台帳のページを同時にめくっていく。
異なる二つのデータベースを照らし合わせ、情報の矛盾をあぶり出す『クロスリファレンス(相互参照)』の技術。
ターゲットは、中堅パーティ『銀の風』の過去半年間の稼働実態。
彼らのパーティ編成は、大剣使い(ガレス)、盾役、弓使い、そして……現在「宿で寝ている」と主張されている魔法使いのエルマ、の計四名だ。
私はまず、半年前から四ヶ月前までの購入履歴に目を通した。
ふむ。この時期の彼らは、三日から五日程度の討伐クエストに出る前、必ず購買部で以下のアイテムを購入している。
・標準的な野営食セット(干し肉と硬パン)……四人分
・体力回復ポーション……五本
・魔力回復ポーション……三本
至極真っ当な『四人パーティ』の購買行動だ。魔法使いがパーティにいる以上、長期のクエストにおいてマナポーションは生命線となる。
だが——。
私の指が、三ヶ月前に彼らが受注した『沈黙の谷』での討伐クエストのページでピタリと止まった。
その日を境に、彼らの購買ログに【致命的なバグ】が発生していたのだ。
「……ルーク。これを見なさい。三ヶ月前のクエスト以降の、彼らの購買履歴よ」
私は手元の台帳を、ルークの方へ少しだけずらした。
「ええと……野営食セットが三人分、体力回復ポーションが六本。そして……あれ? 魔力回復ポーションが、一本も買われていませんね?」
「その通りよ。それも、この三ヶ月間、計八回のクエストすべてにおいて、マナポーションの購入数が『ゼロ』になっているわ」
「で、でも、自分で調合しているとか、別の店で買っているとか……」
「いいえ、それは考えにくいわ。当ギルドの購買部は、所属冒険者に対してポーション類を市場価格の三割引で提供しているの。わざわざ外部の店で定価で買うメリット(インセンティブ)は存在しない。それに、魔法使いにとってマナの枯渇は死に直結する。三ヶ月間も補充なしで高難度クエストを連戦するなど、ロジックとして破綻しているわ」
私は冷ややかな目で、苛立っているガレスの背中を見つめた。
魔法使いがパーティに「存在」していないから、魔力回復薬を買う必要がない。これが一つ目の矛盾だ。
「で、でもアイラさん! 食料を見てください!」
ルークが台帳の別の行を指差した。
「野営食セットは『三人分』に減っていますけど、その代わりに毎回『王都の高級焼き菓子(クッキー缶)』を一つ買っていますよ! 金額で見れば、野営食一人分とほぼ同じです。きっと、エルマさんは少食で、甘いものが好きだから……」
ルークの人の良すぎる推理に、私は内心で深い溜息をついた。
……新人のQA(品質管理)担当がよく引っかかる、典型的な『ダミーデータによるカモフラージュ』だ。
「ルーク。少しは疑う(クリティカル・シンキング)ということを覚えなさい」
「えっ?」
「彼らは、ギルドの監査の目を誤魔化すために、あえて『四人分の食費』を維持しているだけよ。野営食を三人分に減らせば、購買記録からパーティが三人になったことがすぐにバレる。だから、金額の帳尻を合わせるために、日持ちのする高級焼き菓子を一つ買っているの。……でも、数日間の過酷なダンジョン探索を、クッキーだけで乗り切れる人間がこの世にいると思う?」
「あ…………っ!」
ルークの顔から、さぁっと血の気が引いた。
ようやく彼も、この数字が意味する「恐ろしい真実」に気付いたのだ。
魔法使いエルマのためのマナポーションは買われず、彼女の命を繋ぐはずの野営食は、男たちの口に入る甘いお菓子へとすり替えられていた。
三ヶ月前の、『沈黙の谷』でのクエスト。
おそらくそこで、魔法使いのエルマは命を落としたのだ。事故か、あるいは強力な魔物から逃げるための囮として見殺しにされたか。
ガレスたちは彼女の死をギルドに報告せず、遺品であるギルドカードだけを持ち帰り、彼女が「宿で生きている」ように偽装した。
目的は二つ。
一つは、四人パーティに支給される『二〇%の特別補助金』を不当に受け取り続けるため。
もう一つは、魔法使いを失ったことでパーティの総合ランクが降格するのを防ぐためだ。
どちらにせよ、救いようのない極悪非道な『ゴースト・アカウントの不正稼働』である。
「アイラさん……これ、どうするんですか……? もし本当に彼らが仲間を見殺しにして、カードを悪用しているなら、立派な犯罪ですよ……!」
ルークの声が震えている。
「どうするも何も、決まっているでしょう」
私は手元の台帳をパタンと閉じ、本日の通常業務のすべての書類に完璧な承認印を押し終えた。
時計の針は、十六時四十分。
私の頭の中には、香ばしく焼かれた極太の粗挽きソーセージと、その上でマグマのようにとろける濃厚なチェダーチーズの映像が、かつてないほど鮮明に浮かび上がっている。
この胸糞の悪い詐欺師どもに、私の神聖な「十七時」をコンマ一秒たりとも侵食させるわけにはいかない。
「……私の定時を脅かす『不正アクセス』は、論理のファイアウォールで完全に焼き尽くす」
私は席を立ち、窓口の端で「まだか!」と怒鳴り散らそうとしていたガレスたちに向かって、氷点下の微笑みを向けた。
「ガレス様。大変長らくお待たせいたしました。報酬の承認プロセスが完了いたしました」
「チッ、遅えんだよ! さっさと金を出せ!」
ガレスがカウンターに身を乗り出してくる。
私は銀貨の入った袋を手元に置いたまま、彼の目を見据えて、低く、しかしフロア全体に響き渡る『SV(管理者)ボイス』を起動させた。
「ええ、すぐにお渡しいたします。……ですがその前に。貴方たちのパーティの『不自然な稼働実態』について、少々ヒアリング(事実確認)をさせていただきたいのですが。……よろしいですよね?」
私の言葉に、ガレスの顔がピクリと引きつった。
さあ、窓口から一歩も動かずに、幽霊の仮面を剥ぎ取るお時間の始まりだ。
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次回お楽しみに。




