第34話:幽霊アカウントと、不自然な稼働率(アクティブ・レート)
「……現在の時刻、十四時三十分。ギルド全体の呼量は一時的な凪に突入」
私は手元の書類に美しいサインを書き入れながら、誰にも聞こえない声で呟いた。
午後の柔らかな日差しが差し込むギルドのフロアは、朝の喧騒が嘘のように静まり返っている。冒険者たちの多くはすでにクエストへ出払い、夕方の報告ラッシュまでは、この平和な『待機時間』が続くはずだ。
私は完璧な姿勢と『営業用スマイル・タイプA(省エネ・デフォルト設定)』を維持したまま、脳内のメインメモリを本日の最重要課題へと割り当てた。
すなわち——定時退勤後の、夕食のシミュレーションである。
本日のターゲットは、王都の裏路地にひっそりと店を構える屋台『灼熱の豚亭』が提供する、極太粗挽きソーセージの熱々チーズ・ホットドッグだ。
羊の腸にパンパンに詰め込まれた、肉汁たっぷりの粗挽きオーク肉。それを鉄板で焦げ目がつくまで豪快に焼き上げ、外側はサクサク、内側はふんわりとした焼きたてのコッペパンに挟み込む。
だが、それだけではない。仕上げとして、ソーセージの姿が見えなくなるほど大量の、マグマのようにとろける濃厚なチェダーチーズの滝を上からぶちまけるのだ。
一口かじれば「パリッ!」という小気味よい音と共に、凶悪なまでの肉の旨味とチーズの塩気が口内で大爆発を起こす。そこにマスタードの酸味が加われば、もはや理性を保つことなど不可能に近い。
(……ああ、想像しただけで胃酸の分泌が止まらないわ。今日は絶対に、一秒の遅延もなく十七時ジャストにシャッターを下ろす。私のチーズ・ホットドッグへの道を阻む障害は、物理的であれ論理的であれ、すべて排除する)
私が脳内でホットドッグに大量のマスタードをトッピングしていた、まさにその時だった。
「おい、受付嬢。クエストの報告だ。さっさと報酬を出してくれ」
ギルドの重厚な扉を開け、三人の男たちが私の窓口へと歩み寄ってきた。
中堅ランクの冒険者パーティ『銀の風』。
リーダーである大剣使いのガレス、無精髭を生やした盾役の男、そして神経質そうな弓使い。彼らの防具には泥と魔物の血がこびりついており、数日間のクエストから帰還したばかりであることが窺える。
「おかえりなさいませ、ガレス様。本日は『嘆きの谷』でのワイバーン討伐クエストですね。ギルドカードと討伐部位の提出をお願いいたします」
私は営業用スマイルを崩さず、流れるような手つきで対応を始めた。
ガレスは「ああ、これだ」と無造作に、血のついた麻袋と、パーティメンバーのギルドカードをカウンターに投げ出した。
カチャリ、と音を立てて重なったカードは【四枚】。
私は手元のデータベース(台帳)と照合する。
「……ガレス様、シールド様、ボウ様。そして、魔法使いのエルマ様ですね。討伐証明の確認が取れました。規定の報酬に加え、当ギルドの『四名以上のパーティに対する特別活動補助金』を付与して計算いたします」
ギルドでは、バランスの取れたパーティ編成を推奨するため、四名以上でクエストを達成したパーティには、基本報酬に二〇%の特別補助金を上乗せする制度がある。
私は銀貨を数えながら、三人の背後をさりげなく確認した。
「ところで、本日は魔法使いのエルマ様のお姿が見えませんが……?」
私がそう尋ねた瞬間。
ガレスの後ろに立っていた盾役と弓使いの肩が、ビクリと不自然に跳ねた。
「あ、ああ。エルマの奴は体力がなくてな。数日の野営で疲れ切っちまって、今は宿屋で寝てるんだ。だから俺がカードだけ預かってきた。……別に、本人がいなくても報酬の受け取りに問題はないだろう?」
ガレスは腕を組み、横柄な態度でそう言い放った。
「ええ、委任の確認さえ取れれば、規定上は問題ございません」
私はそう答えながら、ガレスの【声】を観察した。
私の隠された能力【残響の波紋】は、他者の声に込められた感情や「嘘」を、視覚的な色の波紋として捉えることができる。
通常、この手の「仲間が宿で寝ている」という嘘の多くは、税金対策や、補助金を騙し取るための頭数合わせ(架空請求)だ。その場合、声の色は『強欲と小狡さ』を示す、濁った黄色に染まる。
前世のコールセンターでもよくあった。家族のフリをして契約を変更しようとする、セコい小悪党の嘘である。
だが——私の視界に広がったガレスの声の波紋は、黄色ではなかった。
(……何、この色)
それは、ヘドロのようにドス黒く、底なしの沼を思わせる淀んだ暗紫色だった。
嘘をついているというレベルではない。極度の『恐怖』、そして拭い去れない『重篤な罪悪感』。彼らの足元から、文字通り死臭すら漂ってきそうなほどの、圧倒的な闇の色。
私の前世、SVとしての経験則が、脳内で最大級の警報を鳴らした。
コールセンター業界には『ゴースト・アカウント(幽霊顧客)』と呼ばれる恐ろしい不正が存在する。
すでに死亡している、あるいは存在しない人間の名義を悪用し、不当にサービスや利益を吸い上げ続ける悪質な詐欺行為だ。
そして今、目の前にいる男たちが放つ声の色は、単なる「ズル」の色ではない。「隠蔽」の色だ。
(……エルマという魔法使いは、宿で休んでいるんじゃない。すでに『死んでいる』。それも、この男たちに見殺しにされたか、意図的に囮にされた可能性が高い。彼らはその事実を隠蔽し、エルマのカードを悪用して四人分の補助金を不正受給し続けているんだわ)
もし、このゴースト・アカウントの存在を私が見逃し、後日ギルド本部の監査が入った場合どうなるか。
「なぜ窓口で気づかなかったのか」という責任問題に発展し、過去に遡っての膨大な書類作成、状況報告書の提出、そして……終わりの見えない『サービス残業』が確定する。
(私の、熱々チーズ・ホットドッグを……極太ソーセージの肉汁を奪うリスクは、今ここで完全に摘み取る(クローズする)必要があるわね)
私は一切の表情を変えることなく、銀貨の乗ったトレイをカウンターの端にそっと寄せた。
「ガレス様。申し訳ございません。システム……いえ、魔導帳簿の承認プロセスに少し遅延が生じているようです。報酬のお渡しまで、今しばらくお待ちいただけますでしょうか?」
「ああん? なんだよそりゃ。早くしろよ、こっちは疲れてんだ」
「ご不便をおかけして申し訳ございません。当ギルドの『品質保証(QA)』のための必須手順でございますので」
私は『クッション言葉』で彼らをその場に縫い止めると、隣の窓口で暇そうに欠伸をしていた相棒のルークの足を、カウンターの下で思い切り蹴り飛ばした。
「ぐふっ!? あ、アイラさん、いきなり何を……」
「ルーク。今から言うものを、一秒でも早く第三書庫から集めてきなさい」
私は唇をほとんど動かさず、彼にのみ聞こえる周波数で指示を飛ばす。
「『銀の風』の過去半年分の【クエスト受注ログ】。それから、ギルド併設の購買部における、彼らの【ポーション類および野営食の購入履歴】をすべてよ」
「えっ? 購買部の履歴ですか? なんでそんなものを……」
「いいから走りなさい。……姿の見えない幽霊の正体を、今から『数字の矛盾』で暴いてあげるから」
私は営業用スマイルを完璧に保ったまま、目の前の男たちを観察した。
彼らはまだ気づいていない。
自分たちが今、前世で数千の不正を暴き、顧客の嘘をデータで切り刻んできた『ログ分析の鬼』の前に立っているということに。
定時まで残り二時間半。
私の愛するホットドッグのチーズが冷める前に、この不快なゴースト・アカウントを完全凍結してやる。
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次回お楽しみに。




