第33話:逆・品質評価(フィードバック)と、定時の海鮮丼
「今から、貴方のその嘘の矛盾を、三つの点から論理的に解体させていただきます。……ルーク、砂時計を回しなさい。三分で終わらせます」
十六時五十三分。
私は手元のカウンターを指先で軽く叩きながら、目の前の男——怒り狂う客を演じている覆面調査員を冷ややかに見据えた。
「な、なんだと……? 矛盾だと?」
男が怪訝な顔を作るが、その声の波紋はすでに「無機質な灰色」から「動揺の紫」へと濁り始めている。自分の用意した完璧な台本に泥を塗られ、焦っている証拠だ。
「ええ。まず第一の矛盾。『時間と距離』です」
私はギルドのカウンターに常備してある王都近郊の地図を広げ、東の『迷いの森』をペン先で指し示した。
「貴方は『今日』そのクエストに向かい、今戻ってきたと仰いましたね。ですが、迷いの森までは片道で馬車を使っても半日かかります。現在時刻と、貴方が当ギルドの窓口を最初に訪れた時刻(十五時)を計算すると、貴方は森に『一秒も滞在していない』ことになります」
「あ……そ、それは……! 転移のスクロールを使ったんだ!」
男が慌てて後付けの理由を捻り出す。コールセンターで言うところの『苦し紛れのアドリブ』だ。
「なるほど、金貨二十枚もする高級魔法具を、報酬銀貨三枚のゴブリン討伐に使ったと? 圧倒的な費用対効果の欠如ですね」
私は容赦なく言葉の刃を突き立てる。
「続いて第二の矛盾。『生態系ロジック』です。貴方は『ホブゴブリンを含めて十匹以上いた』と仰いましたが、現在、迷いの森は高位の霊樹が活性化する周期に入っており、魔力に当てられやすいホブゴブリンは森の深部へ避難しています。森の入り口付近で群れを作ることは、生態学的にあり得ません」
「うっ……!」
「そして最大の致命的エラー。第三の矛盾は『手続き上の破綻』です」
私は男の目を真っ直ぐに射抜いた。
「お仲間が大怪我をしたのなら、なぜ貴方は治癒院へ同行せず、血の匂い一つさせずに単独でギルドへ乗り込んできたのですか? 通常、治療費の請求には治癒院の発行した『診断証明書』が必須です。……まさか、怪我で苦しむ仲間を道端に放置して、クレームを優先させたわけではないですよね?」
「…………っ!」
男は完全に言葉を失い、パクパクと口を開閉させている。
反論の余地がない。彼の持ち込んだクレームの台本は、事前のリサーチ不足により、プロの事務職の前では穴だらけのボロ布同然だったのだ。
時計の針は、十六時五十六分。
よし。完璧なファクトチェック(事実確認)による論破だ。あとはクロージングを残すのみ。
私は引き出しから、一枚の真新しい羊皮紙を取り出し、スッと男の前に差し出した。
「な、なんだこれは……」
「当ギルドの『窓口サービス・アンケート用紙』です」
私は『営業用スマイル・タイプA(慈愛に満ちた絶対的勝者の微笑み)』を浮かべた。
「ですが、今回は特別に私から貴方への『逆・品質評価(QAフィードバック)』を記入させていただきました」
男が震える手で羊皮紙を受け取る。そこには、私が直筆で書き込んだ辛辣な評価が並んでいた。
【覆面調査員(クレーマー役)としての評価:40点】
・良かった点:大声を出す際の発声の良さ、初期の威圧感。
・改善点:クレームの背景設定の甘さ。アドリブへの対応力の欠如。声に「本物の怒り」の感情が乗っていないこと。
・総評:事実確認に対する防御力が低すぎます。次回の調査では、より緻密なシナリオ構築(スクリプト作成)を推奨します。
「なっ……! き、君は……私が本部からの調査員だと、気づいていたのか……!?」
男が顔を真っ赤にして——今度は演技ではなく、本物の羞恥と屈辱で——私を睨みつけた。
「当然です。貴方の声は、最初から最後まで『採点表をなぞるだけの無色』でしたから。……さて、私からのフィードバックは以上です。本部の皆様には、当支部が『いかなる悪質なクレームに対しても、論理的かつ適切に処理できる品質』を備えているとご報告ください」
「くっ……! 覚えていろよ!!」
男はアンケート用紙を握りつぶし、逃げるように背を向けてギルドから走り去っていった。
完璧な撃退だ。
覆面調査員が「自ら不正なクレームを捏造し、それを論破された」という事実があれば、本部はもう二度とこの支部に無茶な採点など仕掛けてこないだろう。
『カーン、カーン、カーン……』
男が扉を出たのと完全に同時。
ギルドの魔導時計が、十七時を告げる鐘を鳴らした。
「……本日の業務は、これにて終了です」
私は一切の無駄なき動作で立ち上がり、ルークが「アイラさん、すごいです……!」と感動しているのを完全に無視して、窓口のシャッターをガラガラと下ろした。
さあ、仕事は終わった。
私の思考はすでに、完璧な事務処理モードから『特上海鮮丼受け入れ態勢』へと切り替わっている。
王都南区の『波間の宝石箱』。
私は暖簾をくぐり、予約していたカウンター席へと滑り込んだ。
「お待ちしてましたぜ、嬢ちゃん。一番いいとこ、仕入れといたよ」
板前の威勢のいい声と共に、私の目の前に重厚な漆塗りの丼が置かれる。
蓋を開けた瞬間、磯の香りと共に、文字通り『宝石箱』が姿を現した。
「……っ!」
私は思わず息を呑む。
酢飯の上に敷き詰められた、キラキラと輝くルビーのような大粒のイクラ。その横には、見事なサシが入った薄紅色の『大トロ』が、花びらのように何枚も重なっている。さらに、身の透き通った特大のボタンエビ、黄金色に輝くウニ、そして炙られた香ばしいホタテ。
これぞ、海の恵みの暴力。
私は迷うことなく、箸で大トロを一切れ持ち上げ、少しだけワサビ醤油をつけて口へ運んだ。
「……〜〜〜〜っ!」
(……KPI(重要業績評価指標)、二〇〇%達成)
舌に触れた瞬間、大トロの極上の脂が、体温でジュワリととろけ出した。
濃厚な旨味と甘みが口いっぱいに広がり、鼻へ抜けるワサビの爽やかな刺激がそれを引き締める。噛む必要すらない。
すかさず、イクラと酢飯をかき込む。
プチプチと弾ける食感の中から、濃厚な海の出汁が溢れ出し、酸味の効いたシャリと完璧なマリアージュ(融合)を果たす。
(美味しい……! 今日一日の理不尽な調査員の相手も、クレーム処理の疲労も、このイクラの一粒一粒がすべて浄化してくれる……!)
私は誰とも言葉を交わさず、ただひたすらに海鮮丼と向き合った。
ボタンエビのネットリとした甘みを堪能し、濃厚なウニを舌の上で転がし、温かいアラ汁で胃の腑を温める。
完璧な一杯。最高品質(QA満点)の夕食。
「ふぅ……。ごちそうさまでした。今日も、完璧な一日だったわ」
空になった丼を見つめながら、私は温かいお茶をすする。
明日もまた、窓口という名の戦場が待っている。理不尽な客も、面倒なルークもいるだろう。
だが、この定時後の至福の時がある限り、私は『動かない受付嬢』として、世界を完璧に回し続けてみせる。
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次回お楽しみに。




