第32話:意図的なクレームと、台本通りの激昂
「……おい!! どうなってんだこのギルドは!! 責任者を出せ!!」
時計の針が十六時四十五分を指した瞬間、ギルドの重厚な扉が乱暴に蹴り開けられた。
フロアに響き渡る、鼓膜を劈くような怒声。
声の主は、先ほど私の窓口で完璧な対応(パーフェクト・QA)を受けて逃げ帰ったはずの、あの地味な冒険者の男だった(変装はしていたがバレバレだった)。
彼は顔を真っ赤に紅潮させ、肩を怒らせながら、最も立場の弱そうなルークの窓口へと一直線にズカズカと歩み寄っていく。
「ひっ!? あ、あの、お客様、どうされましたか!?」
「どうされたもクソもあるか! お前らのせいだぞ! 事前のクエスト情報と、実際のモンスターの数が全然違うじゃないか! おかげで仲間が大怪我をしたんだ、どう責任とってくれるんだ!!」
男がカウンターをバンッ! と力強く叩く。
その剣幕に圧倒され、ルークは顔面を蒼白にさせた。周囲の冒険者たちも「なんだなんだ」と遠巻きに様子を窺い始める。
「えっ!? じ、情報が違った!? す、すみません! 大変申し訳ございません、すぐに治療費と慰謝料の手続きを……僕たちのミスですぅぅ!」
ルークがカウンターに頭を擦りつけるようにして、平謝りする。
(——あーあ。やっちゃったわね)
私は隣の窓口からその光景を横目で眺め、深く、深く溜息をついた。
コールセンターにおいて、クレームを受けたオペレーターが絶対にやってはいけない最大の禁忌。それは、事実確認をする前の『過失の不当な認定』だ。
相手がどれほど怒っていようと、原因がどちらにあるか確定していない段階で「こちらのミスです」と認めてしまえば、それは企業としての非を全面的に認めたことになり、不当な要求や法外な賠償を背負い込むことになる。
今回の相手は、サービス品質をチェックする『覆面調査員』だ。今のルークの対応は、文句なしの【QA評価:0点(致命的エラー)】である。
(……仕方ないわね。私の『特上海鮮丼』の鮮度を落とすわけにはいかないもの)
私は椅子から一歩も動かず、カウンターの下でルークの右足を革靴の先端で蹴り上げた。
「痛っ!?」
「ルーク。あなたは下がっていなさい。……これより本件は、私が上席対応として引き継ぎます」
私はルークを背後に下がらせると、立ち上がり、男の真正面へと視線を向けた。
『営業用スマイル・タイプB(親しみやすさと威厳の黄金比)』を顔に貼り付け、低く、しかしフロアの隅々まで通る澄んだ声で口を開く。
「お電話……いえ、窓口代わりました。王都支部・窓口責任者のアイラと申します。……この度は、お連れ様がお怪我をされたとのこと、心よりお見舞い申し上げます」
ここがポイントだ。
私は『怪我をしたことへの同情(クッション言葉)』は述べたが、『ギルドのミスに対する謝罪』は一言も発していない。
「おう! 責任者か! お前んとこの新人がミスを認めたぞ! さっさと治療費と、迷惑料として金貨百枚を出しなさい! 誠意を見せろ、誠意を!」
男がさらに声を張り上げ、身を乗り出してくる。
だが、私の【残響の波紋】は、彼の薄っぺらい演技を完全に見透かしていた。
通常、人が本気で激昂している時、声の波紋は燃え盛るような『真紅』に染まり、ノイズが混じる。
しかし、目の前の男が放つ大声の波紋は——先ほどと全く変わらない、感情の欠落した【無機質な灰色】のままだったのだ。
(怒ってすらいない。ただ『怒っている理不尽な客』という台本を忠実に演じているだけ。……本当に、つまらない三文芝居ね)
「誠意を出せと言っているのが聞こえないのか!!」
唾を飛ばさんばかりに喚く男に対し、私は一切の表情を崩さず、コールセンターの奥義『アイ・メッセージ(I Message)』を放った。
「お客様。お仲間のご無事を心配されるお気持ちは、私にも痛いほどわかります。ですが……」
私はあえて声を少し落とし、困惑と悲哀を絶妙にブレンドしたトーンで続ける。
「お客様がそのように大声を出されますと、【私としても】正確な状況をヒアリングすることが困難になり、結果的にお仲間への救済措置が遅れてしまうことを、【非常に悲しく(アイ・メッセージ)】思います」
「……っ!」
『あなたはうるさい』と相手を直接非難するのではなく、『私は悲しい・困る』と主語を自分に置き換えて伝える心理テクニック。
これにより、相手は「自分が加害者になっている」という無意識のブレーキを踏まされ、怒りのテンションを維持できなくなる。
案の定、男は毒気を抜かれたように一瞬言葉を詰まらせ、ゴホンと咳払いをして声を潜めた。
「……あ、ああ。わかればいいんだ。とにかく、情報を間違えたそっちの責任だろうが」
(よし、ペーシング(歩調合わせ)完了。ここからは私のターンよ)
「ご協力感謝いたします。では、迅速に対応するため、事実確認を行わせていただきます。お客様が受注されたのは、どのクエストでしょうか?」
「ひ、東の『迷いの森』のゴブリン討伐だ! 掲示板には三匹と書いてあったのに、実際にはホブゴブリンを含めて十匹以上いやがったんだ!」
男は自信満々に答えた。
調査員として、事前にしっかりと練り上げてきた『クレームの設定』なのだろう。
だが、その設定は、前世で一日百件のクレームを処理し、今世であらゆるクエストの帳簿を管理しているこの私からすれば、あまりにもお粗末すぎた。
「……なるほど。東の『迷いの森』ですね」
私は手元の羽ペンを指先でクルリと回し、冷徹な笑みを浮かべた。
時計の針は、十六時五十分。
海鮮丼の予約時間まで、あと十分。クロージングには十分すぎる時間だ。
「お客様。大変申し上げにくいのですが……貴方のそのクレームは、生態系ロジックと物理法則を根底から無視しています。……貴方の持ち込んだ台本は、設定が甘すぎますよ」
「な、なんだと……?」
男の顔から、ついに「調査員としての余裕」が消え失せた。
「今から、貴方のその嘘の矛盾を、三つの点から論理的に解体させていただきます。……ルーク、砂時計を回しなさい。三分で終わらせます」
私は窓口という絶対的な聖域から一歩も動かず、顔のない調査員を論理の処刑台へと引き上げた。
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次回お楽しみに。




