第31話:無色の冒険者と、QAチェックリスト
「……本日の私の胃袋は、完全に『海』の気分ね」
時刻は十五時。
午後の気怠い空気が漂うギルドのカウンターで、私は姿勢を1ミリも崩すことなく、脳内に極上のビジョンを描き出していた。
今日の退勤後のターゲットは、王都の南区に新しくオープンした海鮮料理屋『波間の宝石箱』だ。港町から魔法の氷室で直送された、鮮度抜群の魚介たち。どんぶり飯の上に敷き詰められた、ルビーのように輝く大粒のイクラ。舌の上で瞬時にとろける、脂の乗った大トロ。そして、甘みと弾力が弾ける特大のボタンエビ……!
想像しただけで、口内に唾液が溢れてくる。
十七時の定時の鐘が鳴った瞬間、私は一秒の遅滞もなくシャッターを下ろし、あのどんぶりという名の『宝石箱』をこじ開けに行くのだ。
「あ、アイラさん……っ。ど、どうしよう、僕、すっごく緊張してきました……!」
私の完璧なシミュレーションを遮るように、隣の窓口からルークが震える声で話しかけてきた。
見れば、彼は手元の書類を揃える手までガクガクと震わせている。他の受付嬢たちも同様だ。誰もが顔を強張らせ、ギルドの扉が開くたびにビクッと肩を跳ねさせている。
無理もない。今朝、王都本部から恐ろしい通達が裏ルートで回ってきたのだ。
『近日中に、各支部の窓口サービス品質を極秘に採点する、覆面調査員が放たれる』と。
「落ち着きなさい、ルーク。緊張は声帯の筋肉を硬直させ、発声の周波数を不快な音域へと歪ませるわ。深呼吸して、基本のスクリプト(台本)通りに動けばいいのよ」
私は営業用スマイルを維持したまま、唇をほとんど動かさずにルークをたしなめた。
覆面調査員。前世のコールセンター業界でも、オペレーターたちが最も恐れる存在だった。
普通の顧客を装って窓口を訪れ、「挨拶の角度」「言葉遣い」「共感の姿勢」、そして「規約の正確な説明」などを細かく採点(QA評価)し、本部に報告する冷酷なスパイ。減点が多ければ、ボーナスのカットや再研修という地獄が待っている。
だが、私にとってそんなものは「日常業務の延長」でしかない。
何せ前世の私は、スーパーバイザー(SV)として、その『QAチェックリスト(採点表)』を作成し、調査員に指示を出す側の人間だったのだから。
「……来客よ。姿勢を正しなさい」
ギルドの重厚な扉が開き、一人の男が入ってきた。
使い込まれた革鎧に、特徴のない地味な長剣。背格好も平均的で、顔立ちも驚くほど記憶に残らない。まるで「背景」に溶け込むためにデザインされたような、究極のモブ冒険者だ。
彼が、迷うことなく私の窓口へと歩み寄ってくる。
「すみません、少しお尋ねしたいのですが」
男が口を開いた瞬間、私の視界に彼の【声の色】が広がった。
……なるほど。
冒険者の声は通常、クエスト前の「緊張の青」か、報酬目当ての「強欲の黄」、あるいは「虚勢の赤」など、何らかの強い感情の色を帯びている。
しかし、彼の声から波紋となって広がる色は、一切の感情が削ぎ落とされた【無機質な灰色】だった。
(完全にスクリプト(台本)を暗記して読んでいるだけの声……。ビンゴね。貴方が今回の調査員というわけだ)
私は、相手が発した『すみません』という第一声のトーンと速度から、瞬時に相手の求めている「正解」を計算した。
コールセンターにおける『キャリブレーション(認識合わせ)』。相手の採点基準に、私の対応レベルを100%合致させる作業だ。
「はい、いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
私は『営業用スマイル・タイプS(一切の隙を与えない、慈愛とプロフェッショナルの完全融合)』を展開し、黄金比の角度で会釈した。
男の目が、微かに光った。
「実は、Dランクの討伐クエスト中に、ギルドからレンタルした魔導剣を紛失してしまいまして。……ただ、クエストボードに記載されていなかった『突発的な天候異常(酸の雨)』が原因で剣が溶けてしまったんです。この場合、ギルドの免責事項はどう適用されるのか、正確な負担割合を知りたくて」
非常に嫌らしい、重箱の隅をつつくような質問だ。
新人なら確実にパニックになり、「少々お待ちください」と規約集をめくり始めるだろう。保留時間が長引けば、それだけで大幅な減点対象となる。
だが、私は窓口から一歩も、一ミリも動かなかった。
「左様でございますか。ご不便をおかけしており、大変申し訳ございません。また、酸の雨の中でのご帰還、お怪我はございませんでしたでしょうか?」
まず、相手の労をねぎらう『クッション言葉』と『共感』を提示する。これで【ホスピタリティ項目】は満点。
「結論から申し上げますと、お客様の過失割合は『ゼロ』となり、弁済の義務は生じません」
次に、相手が最も求めている答えを『結論ファースト』で提示。【わかりやすさ項目】満点。
男の眉がピクリと動いた。
「ほ、本当ですか? でも、レンタル規約には『紛失・破損時は全額負担』と……」
「ええ、基本規約の第七条にはそう記載されております。しかし、今回のように『ギルド側の事前調査から漏れていた突発的な環境要因』による破損は、特例免責事項の第十二条、第三項『不可抗力による装備の喪失』に該当いたします。よって、お客様に負担を強いることはございません」
私は手元の引き出しから、あらかじめ用意してあった特例免責の申請用紙を、滑るような手つきで差し出した。
「こちらの用紙に当時の状況を簡潔にご記入いただければ、私の方で即時、免責の決済を通させていただきます。……その他に、ご不明な点はございますか?」
完璧なクロージング。
相手が反論する隙も、疑問を差し挟む余地もない、文字通りの『100点満点の応対(パーフェクト・QA)』だ。
「あ……いや……その、大丈夫、です。とても、わかりやすかったです」
男の声の色が、灰色から微かな「動揺の紫」へと変化した。
彼は私が差し出した用紙を受け取ると、逃げるように窓口から離れていった。
(ふふっ。私から減点を奪おうなんて、百年早いわ。出直してきなさい)
私は心の中で勝利のガッツポーズを決め、壁の魔導時計を見上げた。
時刻は十六時三十分。定時まで残り三十分。
よし、このまま何事もなければ、私の特上海鮮丼は完全に守られる——。
だが、私の前世のSVとしての経験則が、不吉な警報を鳴らしていた。
『マニュアル通りの質問』で粗探しができなかった調査員は、次にどう動くか。
答えは一つだ。
(……理不尽な状況を強制的に作り出して、ストレス耐性(エスカレーション対応)を見る気ね)
時計の針が十六時四十五分を指した時、案の定、ギルドの扉が乱暴に蹴り開けられた。
先ほどの地味な男が、今度は顔を真っ赤に(演技で)紅潮させ、わざとらしい大声を上げながらズカズカとフロアに入ってきたのだ。
「おい!! どうなってんだこのギルドは!! ふざけるな!!」
フロアの空気が一瞬で凍りつく。
ルークが「ひっ!」と短い悲鳴を上げた。
男は一直線に、最も立場の弱そうなルークの窓口へと向かっていく。
なるほど。完璧な私を避け、新人の対応を潰すことでギルド全体の評価を下げようという腹か。
……なんて姑息で、面倒くさい手口。
「……私の海鮮丼への道を、これ以上邪魔するなら容赦しないわよ」
私は小さく溜息をつき、静かに『上席対応』の準備を始めた。
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次回お楽しみに。




