第29話:業務妨害の裏側と、帳簿のタイムスタンプ
内部監査ってぶっちゃけうざいんですよねー
「……はい、ご署名ありがとうございます。当ギルドは規定に基づき、本件のクエスト報酬を間違いなくお支払いいたします。次の方、どうぞ」
十六時十五分。
私は『営業用スマイル・タイプA(機械的かつ隙のない微笑み)』を維持したまま、流れるような手つきで銀貨を数え、冒険者に手渡した。
長すぎる同意書の読み上げにも完全に慣れた。今や私は、脳の処理領域の二割を窓口業務に、残りの八割を『特大ドワーフ牛ハンバーグの肉汁をいかにこぼさずパンに吸わせるか』というシミュレーションに割いている。
「あ、アイラさん……取ってきました。第三倉庫の帳簿ログです」
隣の窓口から、ルークが息も絶え絶えに薄いファイルを差し出してきた。
彼は私が命じた通り、フロアの大混乱に乗じて裏の倉庫へ潜入してきたのだ。額には汗が張り付いている。
「ご苦労様。……少し呼吸を整えなさい。窓口はお客様に疲労を見せる場所ではないわ」
私は冒険者から受け取った討伐証明書を処理するフリをして、ルークが持ってきたファイルを自分の手元に滑り込ませた。
視線は目の前の顧客に向けたまま、書類をめくる指先の感覚と、視界の端の周辺視だけで文字列を拾い上げていく。
前世のコールセンター時代、クレーム対応をしながら同時に五つのマニュアル画面を操作していた私にとって、この程度の『マルチタスク』は造作もない。
(さて、答え合わせと行きましょうか)
私がルークに指示したのは、本日の【搬出記録】と【魔物素材の在庫帳簿】の照合だ。
ページをめくると、案の定、特異なデータが浮き彫りになった。
時刻:十四時三十分から十五時。
まさに先ほど、同意書の導入によって窓口が最も混乱し、警備員たちがフロアの対応に総出で駆り出されていた『魔のピークタイム』だ。
その時間帯の搬出記録に、不可解な処理が三件も集中している。
『赤竜の火炎袋:規定の保存状態を満たしていないため、コンプライアンス第十二条に基づき【廃棄処分】』
『ミスリル・ゴーレムの核:微小な欠けあり。品質保証(QA)基準未達につき【廃棄処分】』
そして、それらの処理項目すべてに、見慣れない真新しい承認印が押されていた。
——『王都本部・内部監査官フィデル』。
(なるほど。……綺麗な手口ね)
私は心の中で冷たく嗤った。
赤竜の火炎袋も、ゴーレムの核も、本来なら金貨数十枚で取引される最高級の素材だ。それが一日で、しかも立て続けに『基準未達』で廃棄されるなど、確率的にあり得ない。
フィデルは、自分が持ち込んだ『ゼロ・トレランス(例外なき規則適用)』という厳しいコンプライアンスを逆手にとったのだ。
わざと窓口に大混乱を起こして裏の警備を手薄にし、その隙に高価な素材を「基準に満たないから廃棄する」という名目で帳簿上から消し去る。そして、廃棄業者を装った裏社会の商人に横流しして、莫大な利益を懐に入れているのだろう。
ルールを守るふりをして、ルールで組織の目を塞ぐ。
前世の企業にもいた。社内規定を振りかざして部下を萎縮させ、自分の経費の横領(不正)を隠蔽する小賢しい管理職が。
「アイラさん……これって……」
ルークも帳簿の異常に気付いたのか、小声で震えている。
「シーッ。……声に出してはいけないわ。証拠は揃ったけれど、決定打にはまだ弱いわね」
フィデルが「本当に廃棄しただけだ」と言い張れば、監査官という権力の差で押し切られる可能性がある。彼を完全に詰ませるには、彼自身の手で『不正な決済』を実行させ、その瞬間を叩き潰す必要がある。
時計の針は、十六時四十五分を指そうとしていた。
定時まで残り十五分。私のハンバーグが、遠くで泣いている。
「ふうむ、諸君。なかなかどうして、混乱しながらも新しい規定に順応してきたようじゃないか」
その時、フィデル監査官が執務室からフロアへ戻ってきた。
その手には、一枚の真新しい羊皮紙が握られている。彼はそれを、本日の業務報告をまとめている私の窓口へと持ってきた。
「アイラ君。君は優秀な事務員だ。本日の『不良素材の特別廃棄リスト』だ。最後に君の窓口から、決済承認へ回しておいてくれたまえ。これもギルドの品質(QA)を保つための清らかな業務だよ」
フィデルは、脂ぎった笑みを浮かべてリストをカウンターに置いた。
私の【残響の波紋】が、彼の声から放たれる『ドス黒い緑色(強欲と欺瞞)』を鮮明に映し出す。
リストの一番下。
そこには、先ほど討伐隊が持ち帰ったばかりの国宝級の素材、『白銀狼の毛皮』が【廃棄処分】として記載され、すでにフィデルのサインが書かれていた。
今まさに、裏口に横流し用の馬車が待機しているのだろう。
(……自ら決定的な証拠を持ってきてくれるなんて、世話の焼ける上司ね)
私は、カウンターの下でルークの足を軽く蹴った。
『裏口へ回って、廃棄業者(のフリをした商人)を拘束しなさい』という合図だ。ルークが静かに席を立つ。
私はゆっくりと立ち上がり、営業用スマイルを完璧に消し去った。
氷のような冷たさを孕んだ『SV(管理者)の顔』で、フィデル監査官を見据える。
「……フィデル監査官。お言葉ですが、この決済を通すことは不可能です」
「なんだと? 私は本部の人間だぞ。ただの受付嬢が、私の指示に逆らうと言うのか?」
フィデルが眉を吊り上げ、銀のステッキで床を鳴らす。
周囲の冒険者や職員たちが、一斉に息を呑んでこちらに注目した。
「ええ、逆らいます。なぜなら——」
私は、定時を脅かしたこの愚かな男の首に、彼自身が作った「コンプライアンス」という名のロープを巻きつけるための、極上のトークスクリプトを起動した。
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次回お楽しみに。




