第27話:二要素認証の檻と、定時の凱旋
『……な、なんだと? ヘソクリ? いかがわしい本……?』
通信魔道具の向こう側で、詐欺師の息が完全に止まった。
私は窓口の椅子に深く腰掛け、手元の羽ペンでデスクを「コツ、コツ」と一定のテンポで叩きながら、極上の冷気を孕んだ声で追撃をかける。
「おや、ご自身の秘密をお忘れですか? 答えられない場合、この通信は『なりすまし』と断定し、即座に王都騎士団の魔力逆探知部隊へ回線を接続しますが」
『ば、馬鹿なことを言うな! 私は副支部長だぞ! そんなふざけた質問に答える義務はない! そもそも妻に内緒の……そんなもの、あるわけがないだろう!』
「……左様でございますか」
私は唇の端を釣り上げた。
【残響の波紋】が捉える彼の声の色は、焦燥の赤から恐怖の黒へと急激に濁り、パニックを起こしている。
「残念ですね。本物のバルド副支部長は、先月その本を奥様に見つけられ、ギルドの休憩室で三十分間も号泣していました。……貴方の持っている顧客データ(ターゲット情報)は、更新が遅すぎます」
『なっ……カマをかけたのか!?』
「ええ。コールセンターにおける『ナレッジベース認証(秘密の質問)』の基本です。不正アクセス者は、想定外の質問に対して必ず『怒り』か『論点すり替え』で逃げようとする」
私はインカムのスイッチを切り替え、隣で硬直しているルークにのみ聞こえる声で指示を飛ばした。
(ルーク。今すぐ南区三番街の安宿『踊る豚亭』の二階、一番奥の部屋へ走りなさい)
「えっ!? なんで場所がわかるんですか!?」
(通話品質の分析よ。先ほどから通信の裏に、微かに『南区の時計塔の鐘の音』と『特有の魔力干渉』が混じっている。……五分以内に踏み込みなさい。一秒でも遅れたら、あなたの今月のボーナスを私の夕食代に天引きするわよ)
「ひぃぃっ! 行ってきます!!」
ルークが弾かれたように窓口を飛び出し、ギルドの扉を蹴破る勢いで駆けていく。
さて。私の足が現場に到着するまで、この哀れな詐欺師を通信回線に縛り付けておかなければならない。
私は再びインカムのスイッチを戻し、甘く、冷酷な声で語りかけた。
「さて、名も知らぬ詐欺師さん。貴方には現在、二つの選択肢が用意されています」
『……っ、ふざけるな! 通信を切る!』
「切れば、騎士団の魔力探知犬が貴方の匂いを追って三日三晩追い回すでしょう。捕まれば国家反逆罪で鉱山送りです。……ですが、このまま通信を繋ぎ、私にすべての手口を自白するなら、ギルド内部の『詐欺未遂事件』として処理してあげます。刑期は三分の一で済むでしょう」
『…………』
「国家権力に狩られるか、私に自白するか。……どちらが貴方にとって『合理的』かしら?」
『くそっ……! 誰が言うか……!』
沈黙。
私は彼が通信を切らないことを知っていた。人間は極限の恐怖と二者択一を迫られた時、より「安全に見える(対話が成立している)相手」との繋がりを本能的に絶てなくなる。
これもまた、クレーム対応で培った心理的拘束の一つだ。
私はあえて何も言わず、無言の圧力(戦略的沈黙)をかけ続けた。
一分。二分。三分。
魔道具越しに、犯人の荒い息遣いと、歯の根が合わない震えの音が聞こえてくる。
四分経過。
『……わ、わかった! 自白する! だから騎士団には……!』
犯人がついに折れ、声を絞り出そうとした——その瞬間。
『ドガァァァァン!!』
通信機越しに、凄まじい破壊音が響き渡った。
続いて聞こえてきたのは、聞き慣れた大型犬のような叫び声。
『アイラさん、確保しました!! 犯人は三人組です! 証拠の魔道具も全部押さえました!!』
『ひっ……! な、なんだお前は! どこから……痛っ! やめろ!』
「……ご苦労様、ルーク。三分四十五秒。合格点よ。あとはそのまま警備隊に引き渡しなさい」
私はインカムを外し、深く、深く溜息をついた。
手元の書類に『広域通信詐欺・解決済み』の承認印を完璧な角度で押し込み、本日の全業務ログを閉じる。
壁の時計を見上げる。
十七時二十五分。
「……私の大切な定時を二十五分も奪った罪。あの詐欺師どもの口座から、迷惑料として慰謝料を差し押さえる手続きを明日の朝一番で申請してやるわ」
私は立ち上がり、一秒の遅滞もなく窓口のシャッターをガラガラと下ろした。
完全に冷え切ったギルドのカウンター裏。だが、私の心にはすでに熱い炎が灯っていた。
(激辛オーク麺……! 豚骨と魔獣のガラを煮込んだ濃厚スープに、唐辛子を山ほど効かせたあの至高のジャンクフード……! 今夜は絶対に、煮卵とチャーシューを全乗せしてやる!)
私は「プロの受付嬢」の仮面を外し、ただの「腹を空かせた元・社畜」の顔に戻って、夜の王都へと足を踏み出した。
遠くから、ルークが犯人を連行しながら「アイラさーん! 終わりましたよー!」と叫ぶ声が聞こえた気がしたが、私の耳にはもう、麺をすする幻の音しか聞こえていなかった。
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次回お楽しみに。




