業務外報酬:限定パフェと構造的可愛さの維持
ルークご褒美会です
17時00分00秒。
私は手元の魔導時計が正位置を指すと同時に、受付窓口のシャッターを静かに、しかし断固として引き下ろした。
背後で「あ、あの! あと一枚だけ申請書を!」と叫ぶ冒険者の声がしたが、私の耳はすでに退勤モードへと切り替わっている。業務時間外の対応は、組織の規律を乱すだけでなく、私自身の精神的リソースを無意味に摩耗させる不良債権でしかない。
「お、お疲れ様です、アイラさん! 今日も一秒の狂いもないですね。あの、その、僕の分の書類は、なんとか、あと少しで」
隣の席で、山積みの書類に埋もれていた新人のルークが、椅子から飛び上がる勢いで直立不動になった。
極北支部での一件を経て、彼は周囲から英雄視されているが、私の前では相変わらず生まれたての小鹿のように震えている。
「ルーク。感心している暇があるなら、その未処理の山をなんとかしなさい。17時5分までに片付くなら、今日の特別メンテナンスへの同行を許可します」
「は、はい! 5分、5分ですね! 今すぐ、音速で終わらせますっ!」
ルークは必死の形相で羽ペンを走らせ始めた。
彼が英雄として称えられることで、私は平穏な窓口業務という聖域を守ることができる。その対価として、彼には私の糖分補給という名の経費を負担してもらう。これは正当な役務の提供に対する報酬だ。
17時20分。甘味処「シュクレ」。
店内は、甘い香りと上品な談笑に満ちていた。
私は背筋を伸ばし、一ミリの乱れもない所作でメニューを開く。
「ルーク。この店は完全予約制ではありませんが、時間あたりの顧客単価が非常に高い。もたもたして店員さんのリソースを奪うのは失礼です。注文は五秒以内に確定させなさい」
「ひ、ひゃい! ええと、あ、あの、この、ええと一番上のやつを二つ。あ、いえ、一つはアイラさんの、ええと」
「極北の白銀・ウサギ仕立て。これを二つ。ルーク、注文はクロージングまで明確に。店員さんが困っています」
「す、すみません! それを二つ、お願いしますっ!」
運ばれてきたのは、限定メニューの特製パフェだった。
グラスの中には、ベリーの赤とクリームの白が見事なレイヤーを形成している。そして頂点には、真っ白な砂糖菓子で作られたウサギが、首をかしげたポーズで鎮座していた。
私はスプーンを持ったまま、沈黙した。
想定外の事態だ。
「あ、アイラさん? た、食べないんですか? ど、どこか不備でもありましたか。僕、すぐ店員さんを」
「ルーク。このウサギの造形を確認しなさい。耳の角度、尻尾の丸み、そしてこの絶妙に無垢な表情。事務的に言って、この配置は完璧です。ここにスプーンを突き立てることは、設計図を物理的に破壊する行為に等しい」
「パ、パフェですから! 食べるための設計、ですよね」
「分かっていませんね。これは、一種の完成されたデータです。一度崩せば、二度と元の整合性は保てない」
私は極めて慎重に、ウサギを支えているクリームの土台だけを、ミリ単位の精度で削り取った。
窓口で記入漏れを指摘する時よりも鋭い眼差しで、私はパフェを攻略していく。ウサギの重心を崩さぬよう、周囲のベリーを一つずつ処理していく様は、精密な外科手術に近い。
「あ、アイラさん。あの、もしかして、そ、そのウサギ。可愛くて、食べられない、とか」
「ルーク。あなたの不適切なラベリングには、以前から改善の余地があると思っていました。私はただ、構造体の完全性を維持しながら栄養素を摂取する、最も効率的なルートを模索しているだけです」
「で、でも、アイラさんのポニーテールが、さっきから、ぴょこぴょこ動いて。あの、すごく、満足そう、というか」
「気のせいです。視覚情報のバグ、あるいはあなたの願望が投影された幻覚でしょう」
私は鉄面皮を維持したまま、甘酸っぱいベリーを口に運ぶ。
美味しい。
極寒の地で冷え切った脳に、上質な糖分が浸透していく。
気づけば、私の指先はテーブルの上で、無意識に満足感を示すリズムを刻んでいた。
「アイラさん」
「何ですか。業務の話なら明日の八時以降に」
「あの、ウサギ。もしよければ、僕が食べましょうか。アイラさんが、その、壊すのが、嫌なら」
その瞬間。私の残響の波紋が、ルークの声に含まれる微かなからかいをキャッチした。
私はスプーンを置き、彼をまっすぐに見つめた。冷徹な、しかしわずかに独占欲の混じった視線で。
「ルーク。あなたは、上司の報酬を奪うつもりですか。越権行為も甚だしいコンプライアンス違反です」
「ひっ! あ、いえ、めっそうもありません! すみません!」
「このウサギは、私が責任を持って最終処理を行います。あなたは自分のパフェに集中しなさい」
私は、最後の一口までウサギを大切に残し、グラスの底にポツンと残ったその砂糖菓子を、誰にも見られないような速度で口に含んだ。
溶けていく甘み。
構造は失われたが、その記憶は私の中に確かに保存された。
「リフレッシュ完了です。ルーク、チェックを。端数は切り上げて、あなたが支払いなさい。それが、私をこの店まで歩かせたことへの手数料です」
「は、はい! 喜んで! ありがとうございましたっ!」
店を出ると、夜の帳が下りていた。
私は一歩も乱れぬ足取りで、駅へと向かう。
明日の八時。また完璧な窓口として、不備のある書類と強欲な冒険者を捌くために。
「お疲れ様でした、ルーク。明日の遅刻は一秒につき、一時間のアーカイブ整理を課しますよ」
「は、はいっ! 絶対に遅れません! おやすみなさい、アイラさん!」
新人の元気すぎる声を聞き流しながら、私は心の中で、今日のパフェの満足度を特級としてアーカイブに保存した。
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