第19話:システムの中の幽霊(ゴースト)
16時40分。
終業まで残り20分。
私はカウンターの外、冷え切った石造りの床を踏みしめていました。窓口という「防壁」がない状態は、事務職としては非常に心許ないものですが、今は背に腹は代えられません。
「……ひっ、ひぃっ! 幽霊だ、幽霊が来る!」
錯乱したジャイルズが、壊れた蓄音機のように叫び続けています。私はその横を通り過ぎる際、冷徹に言い放ちました。
「ジャイルズ様、叫んでもカロリーを消費するだけです。……幽霊など存在しません。そこにいるのは、十年間、皆様が支払いを拒み続けてきた『負の遺産(未払い残高)』そのものですよ」
私は管理端末の画面を空中へ投影しました。そこには、ギルド全体の「空気循環システム」のリアルタイム・ログが表示されています。
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【解析:環境データの異常値】
「ルーク、聞こえていますね? あなたを助けに行くついでに、この『バグ』の正体を解説して差し上げます」
私は誰もいない暗い廊下に向かって、淡々と喋り始めました。
「魔法で姿を消し、システム上のステータスを『死亡(NULL)』に書き換えれば、ギルドの監視魔法からは逃げられます。……。ですが、『建物全体の代謝』までは誤魔化せません」
私は画面上の一点を指差しました。
「見てください。この三日間、誰もいないはずの『中央通気ダクト』の二酸化炭素濃度だけが、常に人間一人分(約40,000ppm)の排出量で推移しています。さらに、旧館のボイラーを止めた後、温度センサーが微かに感知した『36.5度』の熱源移動。……。あなたは魔法の幽霊ではなく、この建物の『血管』を住処にしている、ただの不法居住者です」
暗闇から、カチリ、と小さな音が聞こえました。
それは、昨日セレン(偽物)が持っていたものと同じ、特注の万年筆のキャップを開ける音。
『……本当に、嫌な女。事務官なんてみんな、融通の利かない機械だと思ってたのに』
「最高の褒め言葉として受領します」
私は通気口の直下、分厚い壁の「隙間」の前で足を止めました。
そこは図面上では「耐力壁」と記載されていますが、構造計算上、不自然な余白がある場所。
「……ここにいますね。『八人目』のセレン様」
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【隔壁の向こう側】
私が隠し扉のレバーを事務的に操作すると、石壁が音を立ててスライドしました。
そこは、わずか三畳ほどの狭い空間。
壁一面に、十年前から今日に至るまでのギルド内の「盗聴ログ」と「監視記録」が、古い紙媒体でびっしりと貼り出されていました。
その中央で、本物のセレン――十年前の英雄アリスに生き写しの、しかし瞳に深い憎しみを湛えた少女が、椅子に深く腰掛けていました。
彼女の足元には、猿轡を噛まされ、ぐるぐる巻きに縛られたルークが転がっています。
「む、むぐーっ!(アイラさん!)」
「ルーク、無事ですね。……髪に埃がついていますよ。マイナス5点です」
「……。余裕ね、事務官さん」
セレンは、手にした万年筆をナイフのように弄びながら、私を睨みつけました。
「この十年間、私はこの壁の中で彼らの『汚職の声』を聞き続けてきた。……。今日、この場所で全員のギルドカードを物理的に破壊し、彼らの社会的地位を『削除』してやる。……それが私の復讐よ。邪魔をしないで」
「復讐は個人的なタスクであり、私の管轄外です。……。ですが」
私は自分の腕時計をタップしました。
16時50分。
「あなたの復讐劇のせいで、私の『定時退勤』が脅かされている。……。これは、全事務職に対する宣戦布告と見なします」
私は手元の端末で、ある「予約送信」をセットしました。
「セレン様。……。ここから先は、感情論ではなく、『契約の履行』の話をしましょう」
私の背後で、パニックに陥った代理人たちが、自らの罪をなすりつけ合う醜い罵声が、通気口を通じて響いてきました。
解決の時は、すぐそこまで迫っています。
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次回お楽しみに。




