第10話:見えないノイズと監視者の影
全3話で投稿します
16時15分。
定時退勤まで残り45分。この時間帯は、コールセンターにおける「魔の時間」です。一日の疲れが溜まり、集中力が切れるタイミングを狙って、粘着質な「質の悪いチケット(案件)」が滑り込んでくることが多々あるからです。
私のデスクには、本日も一通の白い封筒が置かれていました。
差出人は不明。これで今週に入ってから10通目。郵便受けを介さず、ギルドの共用ポストに直接投函されたものです。
「……またですか。アイラさん、これ、もう警備員に回したほうがいいんじゃ……」
隣でルークが、自分のことのように顔をしかめて覗き込んできます。
私は無表情のまま、指先で封筒の角をなぞりました。
「いえ、実害がない段階でエスカレーション(上申)するのは、手続きの無駄です。ですが、この『ノイズ』は無視するには少しばかり私の処理リソース(精神力)を削りすぎますね」
私はペーパーナイフを滑らせ、中身を取り出しました。
そこには、私の窓口対応に対する執拗なまでの批判と、一見すると論理的なようでいて、その実、ただの難癖に過ぎない「指摘」がびっしりと書き連ねられています。
『受付嬢アイラ。お前の処理手順には、ギルドの伝統に対する敬意が欠けている。例えば先日の……』
「……。相変わらず、中身のない長文ですね。ですが、ルーク。犯人はどうやら、私がこの手紙を読んで『困惑する姿』を、リアルタイムで鑑賞したがっているようです」
私は視線を上げ、窓口の正面にある広場を挟んだ向かい側、カフェ『木漏れ日亭』の二階席に目を向けました。
そこには、一人の男が座っています。フードを深く被り、こちらをじっと見据えている。
(……目が合いましたね。普通なら逸らすところですが、彼は逸らさない。自分の優位を確信している「捕食者の視線」です)
私の**【残響の波紋】**は、文字からは色を拾えません。ですが、あの男から放たれる「視線」には、ねっとりとした濁った黄金色――強い優越感と執着の色が混じっています。
「ルーク、追加の仕事です」
「は、はい! 何でも言ってください!」
「この手紙に使われている紙、そしてインク。これは安物ではありません。この紙は、数年前までギルドの監査部で使われていた特注の『旧・公文書用紙』です。そしてインクは……微かに鉄の匂いが強い。古い形式の記録用インクです」
私は手紙の端を指し示しました。
「日付の書き方も見てください。『01/27』。数字の前に『0』を補完するこの書き方は、古い監査マニュアルを叩き込まれた人間にしか出せない『指の癖』です。ルーク、至急、街の文具店と、ギルドの廃棄物管理記録を洗ってきなさい。この紙を持ち出せた人間、そしてこのインクを今も愛用している人物を、定時までに特定するのです」
「……! 了解しました! 監査部の倉庫と、街の店、全部回ってきます!」
ルークが弾かれたように走り出しました。
私はその背中を見送りながら、窓の外の「視線」に向かって、最高に冷ややかな、営業用の微笑みを浮かべました。
(……。あなたが誰なのか、私の記憶のログ(記録)はすでに検索を始めていますよ。一年前、窓口で私に恥をかかされたと逆恨みしている、あの『完璧主義者』のあなたですね?)
さて。17時までのカウントダウン。
相手が「見て」いるのなら、こちらも最高の「おもてなし」を準備しなければなりません。




