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ヴァスを探す旅〜ドラゴン研究家の冒険譚〜  作者: 海木雷


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第53話 寒さとは

――数日後。


フェンル北峰へ続く北街道。

一面、白。

雪と風と、そして無限に続く氷の大地。


「……寒い……」


ライナは、鼻の頭を真っ赤にしながら呻いた。

マントを二重にしても、頬を刺す風は容赦がない。

息を吐けば、瞬く間に白く凍り、眉毛に霜がつく始末だ。


「竜の記録書……“極北への途”……」

彼は半ばやけくそ気味に呟く。

「記録者、凍死の危機に瀕す……と、補記しておこう……」


荷馬車を引いていた御者の男が、後ろから笑った。

「兄さん、そんな格好で北へ行く奴なんざ初めて見たよ。

 あんた学者だろ? なんでこんなとこ歩いてんだ?」


「……研究です。」

「研究で凍え死ぬ気かい?」

「できれば、論文の完成後にお願いします。」


御者が吹き出し、馬の背を軽く叩いた。

「ははっ! 学者ってのは物好きだな!」


ライナは深々とフードをかぶり直す。

「物好き……いや、狂気かもしれませんね……」


その時、ふいに空から雪片が舞い落ちた。

淡く光を帯びて、ひとひら、またひとひらと。

その光景に、ライナは思わず足を止める。


雪を掬い上げ、掌の上で観察する。

しかし、指先の温もりに触れた瞬間、それはあっけなく溶けた。


「……ああ、もう。データが全部消える。」

「そりゃあ、雪ですからね!」と御者の笑い声が返る。


ライナはため息をつき、凍った指でノートを開いた。

手はかじかみ、ペンの先はすぐに凍りつく。

彼は仕方なく火魔法でペン先を温めながら、記録を続けた。


《気温、氷点下二十度前後。風速九メートル。

 視界は悪く、御者の声がほぼ凍る。人間の活動限界を超えている可能性。》


誰にともなく呟くと、また風が頬を打った。

だが、その苦笑の裏で、彼の瞳には確かな光が宿っていた。


――寒さの果てに、竜の眠る地がある。

その信念だけが、ライナの足を前へと動かしていた。


馬車の車輪が雪をきしませながら進む。

ライナはくしゃみをひとつして、鼻をすすり、ぼそりと呟いた。


「竜より先に、風邪の記録が完成しそうだ……」


雪原の果てへ。

寒さと格闘する研究者の旅は、まだ始まったばかりだった。


――その翌日。


雪原を越え、氷河を回り込んだ先に、それは見えた。


「……あれが……帝国最北端の街、カルヴァスか。」


白い吐息の向こうに、石造りの城壁がうっすらと姿を現す。

街の外周は厚い氷の壁で覆われ、門の上には風除けの布がはためいていた。

遠くに灯る橙色の灯火が、冬の曇天の下でまるで希望のように揺れている。


御者がほっと息を吐く。

「着いたぜ、兄さん。ここから先は、竜でもいなきゃ越えられねぇ地だ。」


「……ええ、その“竜でもいなきゃ”を、これから確かめに行くんです。」

「まじか……あんた、やっぱちょっと変人だな。」


ライナは微笑み、代金を渡すと荷を背負った。

雪に埋もれかけた街門をくぐると、そこには思いのほか賑やかな光景が広がっていた。


市場では厚手の毛皮を売る商人、凍った魚を割る漁師、

火鉢の上で熱酒を注ぐ女店主――

寒冷の地にしては、驚くほど人の活気がある。


「帝国最北端……こんな場所にも、人はちゃんと“暮らして”いるんだな。」


ふと、通りを駆ける子どもが笑い声を上げた。

その声が雪空に響き、ライナの頬を少しだけ緩ませた。


宿を探し、木造の建物に入る。

中は暖かく、鼻先に焼きパンとスープの香りが届く。

途端に、胃が静かに鳴った。


「……記録の前に、まずは食事の観測だな。」


宿主の老婆が笑いながら皿を差し出す。

「研究者さん? 北の谷に行くつもりなら、やめときなさいな。

 去年も一人、行ったきり戻っちゃこなかったよ。」


ライナはパンを割りながら、穏やかに答える。

「ええ、覚悟の上です。……ただ、記録を残すために来ただけですから。」


ライナは笑みを返し、スープをひと口すする。

温かさが喉を通り、体にゆっくりと広がる。


「ええ。風の中に、まだ彼らの記憶が残っているなら――

 それを、形にして残したいんです。」


窓の外では、雪が静かに降り続いていた。

街の明かりが反射し、白い世界がやさしく輝いている。


その光を見つめながら、ライナはノートを開く。

《帝国北端・カルヴァスに到達。ここより、フェンル北峰への調査を開始する。》


彼は筆を置き、火の揺らめく暖炉の前で小さく笑った。


「……寒いけど、悪くない出だしだ。」


そしてその夜、吹雪の向こう、誰もいない空に――

微かに、竜のような低い鳴き声が、風に紛れて響いた。

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