第51話 人生とは
――翌朝。
ナスデュの街は、早くも活気づいていた。
鐘楼から響く澄んだ音が朝靄を揺らし、人々の足音が石畳を満たしていく。
ライナは修道院跡の坂道を登っていた。
あの日と同じく、冷たい風が丘を吹き抜ける。
扉のない玄関口、崩れかけた回廊。
しかし、彼の歩みは迷いがなかった。
奥の書庫に灯る微かな光。
その下で、白髪の男――ヘルダスが書物を広げていた。
「……ライナ?」
掠れた声が響く。
顔を上げたヘルダスの瞳が、信じられぬものを見たように揺れた。
ライナは静かに頷く。
「見つけました。――ワイバノス、そして……竜の亡骸を。」
その言葉を聞いた瞬間、ヘルダスの手が震えた。
老いた指が書物を押さえたまま、ゆっくりと宙を掴む。
目の奥に宿る光は、長い時を経てようやく報われた者のものだった。
「……ああ……ああ、神よ……!」
男は立ち上がると、ふらつく足でライナに歩み寄った。
次の瞬間、彼はその胸にすがりつき、嗚咽を漏らす。
「間違っていなかった……! 私の信じた“記録”は、無駄じゃなかったのだな……!」
ライナは黙ってその背を支えた。
肩に落ちる涙の温もりが、ひどく静かな朝の空気に溶けていく。
――この人は、竜を信じ続けた。
学会に笑われ、研究所を追われても、それでも“竜の記憶”を記すことをやめなかった。
「ヘルダスさん」
ライナの声は穏やかだった。
「あなたの研究があったから、私はこの記録に辿り着けたんです」
老学者は顔を上げ、震える笑みを浮かべる。
「……お前が来てくれて、本当に良かった。
この瞬間を……どれほど夢に見たことか……」
窓の外では、朝の光が差し込み、崩れた石壁を金色に染めていた。
二人の影が静かに重なり、そして、まるで新たな頁が開かれるように、光が書架を包み込む。
ライナはノートを開き、ゆっくりとペンを走らせる。
大事に、そして今は公開できないノート。
――竜の記録書・第七章。
《ルーヴェ村峡谷における竜骨の発見と、残光現象の観察》。
筆先が止まる。
ふと見ると、ヘルダスが小さく呟いていた。
「これで……やっと、竜たちに顔向けできる……」
その表情には、満足と救いの入り混じった静かな微笑があった。
ライナは静かに目を閉じる。
――竜の記憶は、確かに続いている。
人の中に、記録の中に、そして風の中に。
修道院跡に、朝の鐘が響く。
二人は並んでその音を聴きながら、長い旅路の果てに訪れた“真実”の重さを、ただ静かに噛みしめていた。




