第48話 約束とは
――洞窟に入ってから、半刻ほどが経った。
ライナは、ただ黙ってその骨を見つめていた。
何度も、何度も、形を確かめるように。
細い指で、折れた肋骨の線をなぞり、爪の先を見つめ、
胸の奥に広がる熱を静かに飲み込んでいた。
彼の心には、言葉にならない想いが渦巻いていた。
敬意、悲しみ、そして――赦し。
「……ようやく、終わったんだな」
呟いた声は、洞窟の石壁に吸い込まれていく。
そのとき、外から一陣の風が吹き込んだ。
冷たく、けれど優しい風だった。
その風に触れた瞬間、
竜の骨が――ふわりと、光の粒を散らした。
「――!」
ライナは息を呑む。
骨は、粉雪のように崩れながら、
淡い光となって空気に溶けていく。
それは、まるで永い眠りについた魂が
ようやく空へ還る瞬間のようだった。
光の粉が舞い、ライナの頬に触れる。
暖かかった。
ほんの一瞬、そこに“生命”があったことを教えてくれるように。
「……ありがとう」
ライナは頭を垂れ、その最後の光が消えるまで見届けた。
やがて洞窟の奥は再び静寂に包まれる。
もう、骨の形も、光の残滓さえもない。
あるのは、穏やかな空気と――深い静けさだけ。
ライナは立ち上がり、ゆっくりと入口へ向かう。
冷たい風が頬を撫でた。
外の世界は、もう夜明けの気配を帯びている。
洞窟の外では、ワイバノス・ミノタウロが待っていた。
巨体を静かに横たえ、月を背にして立っている。
ライナが光の中へ踏み出した瞬間、
ワイバノスは顔を上げた。
そして――
空に向かって、低く、深く、響く声を上げた。
それは咆哮ではなかった。
祈りのような、別れのような、
長い時を越えた“約束”の音だった。
風が応えるように、峡谷を駆け抜ける。
ワイバノスはゆっくりと翼を広げた。
その翼は、月光を反射し、銀のように輝く。
ライナは見上げ、ただ立ち尽くした。
胸の奥が痛いほど熱くなる。
「……行くのか」
ワイバノスは一度だけ彼を見た。
その眼差しには、確かな“誇り”が宿っていた。
次の瞬間――
風が爆ぜ、巨大な翼が空を裂いた。
その影が岩壁を滑るように走り、
峡谷の奥へと吸い込まれていく。
空へ、月の彼方へ。
長き役目を果たした守護者は、
静かにその身を夜へ溶かしていった。
ライナはしばらく空を見上げていた。
やがて、静かに呟く。
「……さよなら」
朝の光が、峡谷の端から差し込み始めた。
洞窟の奥で散った光の粒が、風に運ばれ、
新しい一日の中へと溶けていく。
ライナは胸のノートを握りしめ、
その小さな証を胸に、
再び歩き出した。
――“竜の記憶”を、未来へ残すために。




