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第43話 ルーヴェ村とは

昼を過ぎ、陽光は白く乾いた北街道を照らしていた。

スラン帝国の街を離れたライナは、馬車の列を抜け、風にたなびく外套を翻しながら北へと進む。

道の両脇には刈り取られた麦畑が広がり、風が黄金色の残滓をさらっていく。


すれ違う旅人や商人が軽く会釈を交わすが、ライナはほとんど応じず、視線を前に据えたまま歩いた。

彼の手には、例の依頼書が握られている。


――ルーヴェ村。北街道沿いの小さな村落。

報告では、夜になると「低い鳴き声」が響くというが、姿形を見た者はいない。


(“鳴き声だけ”……それが気になりますね)


ただの獣ならば、目撃情報が一件もないのはおかしい。

夜行性の熊や狼なら、足跡や残骸のひとつでも残る。

だが報告書には、“痕跡なし”とある。


(姿が見えず、声だけが残る。……生体そのものが霧と共に現れる存在、か)


竜の亜種の中には、魔力の霧をまとって移動するものがいる。

だが、その特徴を持つ竜は北方でも極めて少ない。


「……可能性は低いですが、調べる価値はありますね」


陽が傾き、遠くに木柵と煙の立ち昇る村影が見えてきた。


――ルーヴェ村。


街道沿いにしては静かすぎる。

家々の戸口は閉ざされ、犬の鳴き声すら聞こえない。

ただ、夕餉の煙だけが人の営みを示していた。


門の前には、槍を持った若い警備兵が立っていた。

まだ少年と呼べる年だが、顔には緊張が張り付いている。


「旅の方、ここはルーヴェ村です。何の御用で?」


「冒険者ギルドから参りました。依頼の件で」


証を見せると、少年の表情が一気に緩んだ。

「本当に来てくれたんですね! よかった……! 村長に知らせます、どうぞこちらへ!」


案内されるまま村の奥へ進むと、広場の中央で焚き火が燃えていた。

その前に、腰を曲げた老人――村長が座っていた。


「……あんたが冒険者殿か。遠路ご苦労なこった」


「ライナと申します。獣の件、詳しく伺えますか?」


村長は焚き火に薪を足しながらうなずく。


「最初に鳴き声が聞こえたのは五日前じゃ。

南の畑で見回りをしていた若い衆が、低い唸り声を聞いたそうでな。

まるで、岩の底から響いてくるような音だったと言っとった」


「姿は?」


「見とらん。誰も外に出る勇気がなかった。

ただ……次の晩には北の森の方で同じ声が聞こえた。

どうも、“鳴きながら移動している”らしい」


ライナは記録用の板を取り出し、簡潔に書き留める。


「被害は?」


「畑も家畜も無事じゃ。何も荒らされとらん。

けど、夜鳴きのあった晩は、牛が暴れ、鶏が卵を産まなくなった。

不気味なほど静かな夜だったそうじゃ」


「……つまり、現象は“音”だけ、ですか」


「そういうこった。姿形は誰も知らん。

だが、あの声を聞いた者は皆、しばらく眠れんほど恐ろしく感じるそうでな」


ライナは焚き火を見つめた。

炎が揺れるたび、彼の瞳に微かな光が宿る。


「“音だけの脅威”――魔力干渉か、精神波による影響の可能性がありますね」


「難しい話はわからんが……あんた、怖くはないのか?」


「研究対象が自ら現れてくれるなら、むしろ幸運です」


村長はあきれたように笑い、首を振った。

「好きにせい。森へ行くなら日が暮れる前に準備をしとけ。

夜は霧が濃くなって、目の前も見えんようになる」


「心得ています」


ライナは立ち上がり、森の方角を見やった。

沈みかけた太陽が、木々の向こうで赤く滲んでいる。


――霧と鳴き声、そして“見えない獣”。


彼の胸の奥で、研究者としての直感が静かに鳴る。


「……姿はわからない。だが、確かに“いる”」


夜が迫る。

霧が村を包み込み、空気の温度が下がっていく。


そのとき、森の奥――峡谷の方角から。

地を這うような低音が、村全体を震わせた。


「……――ォオォォォォン……」


空気が揺れ、焚き火の炎がはじける。

誰かが悲鳴をあげかけて、声を飲み込んだ。


ライナだけが、静かに耳を澄ませていた。


(……間違いない。これは自然音ではない。意図的な“呼び声”だ)


目を細め、音の方向を確かめる。

距離はおよそ八百メートル、峡谷の入り口付近――。


「……“夜鳴きの獣”ですか」


彼は外套の襟を整え、魔導剣の柄に手をかけた。


「さて、正体を確かめに行くとしましょう」


霧の奥へ、足音をひとつ。

ライナは闇に溶けるように歩き出した。


竜を追う旅路の先――

まだ誰も見たことのない“声だけの獣”が、彼を待っていた。

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