第40話 伝承とは
――それから。
ライナは北の街道を辿り、いくつもの村を経由していた。
どの村でも、焚き火の傍で語られる噂は似ている。
「夜空を横切る黒い影を見た」
「谷に巨大な爪跡があった」
「鳴き声が、風の音に混じって聞こえた」
それらはどれも、確証のない伝承のような話。
だが、ライナは一つひとつを丁寧にノートへ記していく。
「風向きは北東。報告の分布も北東へ集中している……偶然ではない」
木々を抜け、小川が流れる細い道を進みながら、ライナはひとり呟く。
その言葉の続きを、彼自身も飲み込んだ。
やがて街道の先に、灰色の城壁が見え始める。
スラン帝国の北端に位置する交易都市――ナスデュ。
寒風が吹きつける厳しい地でありながら、魔道研究と古文書収集の拠点として知られていた。
街の門前では、行商人や旅人たちが検問を受けている。
ライナも列に並び、身分証を提示する。
「冒険者兼竜研究家ライナだ」
衛兵が目を丸くする。
「……竜の研究者? 珍しい肩書だな」」
淡々と答えると、衛兵は少し引きつった笑みを浮かべ、通行を許可した。
――ナスデュの街。
石畳の通りの露店からは香辛料と焼きパンの匂いが漂っていた。
ライナは情報屋の店をいくつか訪ね歩き、ようやく一人の名を聞き出す。
「竜に詳しい人物だって? ああ、それなら“灰眼のヘルダス”だな」
「ヘルダス?」
「帝国でも変わり者でな。元々は帝国の研究顧問だったが、今は引退して辺境に籠もってる。ナスデュ南東の廃修道院に住んでるって話だ」
ライナはその名を聞いた瞬間、わずかに目を細めた。
「ヘルダス……まだ生きていたか」
情報屋が首をかしげる。
「知り合いか?」
「…いや,少しな」
ライナは立ち上がり、情報料を置く。
「助かった。行く場所が決まった」
「おいおい、今からか? 夜は獣が出るぞ」
「構わない。話ができるうちに行く」
夕暮れ。
街を出るライナの背を、茜色の空が照らす。
寒風が頬を撫でるが、彼の足取りは迷いがなかった。
――ナスデュ郊外。
廃修道院は、森の奥にひっそりと佇んでいた。
石造りの壁は蔦に覆われ、崩れた鐘楼の先には灰色の月が浮かぶ。
ライナは扉の前で立ち止まり、静かに声を発した。
「……ヘルダス殿、おられるか?」
一瞬の沈黙。
だが、次の瞬間――。
「……誰だ」
扉が軋みながら開き、灯火の奥から現れたのは、灰色の外套を纏った老人。
その瞳はまるで煤けた鋼のように冷たかった。
ライナは静かに頭を下げる。
「お初にお目にかかります。」
ヘルダスはライナの雰囲気を感じて、にやりと笑った。
「どうやら、“竜”の匂いを追ってきたようだな。――入れ。話は中で聞こう」
ライナは頷き、灯のともる修道院の奥へと足を踏み入れた。




