第4話 取引とは
掴まれた腕を振り払い、ライナが血まみれのナイフを鱗に差し込み続ける間、カリュドはじっと興味深そうに観察していた。
「……いやぁ、実に素晴らしい。君、戦闘だけじゃなく解剖もアートだねぇ!」
カリュドは笑顔で書物に走り書きをしながら言った。
「解剖は研究だ、芸術じゃない」
ライナは苦笑しつつも、血に濡れた手で尾の毒袋を取り出す。
「……で?」
ライナがカリュドに視線を向ける。
「で、だね……」
カリュドはニヤリと笑う。
「せっかくだから、そのワイバーンの肉、少し分けてもらえないかな?」
「……は?」
ライナは首を傾げ、血まみれの顔でカリュドを見る。
「何言ってんだ。今は解剖中だぞ?」
「いやいや、それがポイントだろ!」
カリュドは身振り手振りを交えて説明する。
「解剖ってのは肉質や味、調理の研究にも繋がるんだ。竜族や亜竜は珍味だぞ? 味覚、栄養、毒性、食文化……全部調べる必要があるんだ!」
「……完全に趣味だろ、それ」
ライナは笑みを浮かべながらも、鱗削りを止めない。
「趣味と研究は違わないさ!」
カリュドは胸を張って言う。
「君だって竜に会いたくて研究家になったんだろ? 俺は竜を“食べて”知りたいんだ!」
村人たちは遠巻きにそのやり取りを聞き、思わず顔を見合わせる。
「……この人たち、本当に何者なんだ?」
一人が呟く。
「だから言っただろ、学者であり冒険者であり料理人だって!」
カリュドは得意げに笑う。
ライナはしばらく沈黙し、そして渋々頷く。
「……仕方ない。少しだけなら分けてやる。ただし条件がある」
「条件?」
カリュドの目がキラリと光る。
「俺の研究の記録を完全に写すこと。あと、二度と俺の戦闘を“芸術”呼ばわりしないことだ」
カリュドはしばし考え込む素振りを見せたが、やがて両手を高く挙げる。
「よし! 約束しよう! 君の戦いは俺の胃袋に刻む! いや、記録するぞ!」
ライナはため息混じりに、血まみれのナイフで大きめの肉片を切り取る。
「……じゃあ、これ」
カリュドは歓喜し、切り取られた肉片を大事そうに抱える。
「ありがとう! これで俺の新たな研究が始まる! いや、冒険だ!」
その背後でライナは小さくため息をつく。
カリュドは振り返り、満面の笑みで言った。
「それが冒険ってもんだよ、同志!」
ライナは目を細め、苦笑混じりに答える。
「……同志じゃねぇよ」
夕陽が山を赤く染める頃、ライナとカリュドは血まみれの鱗と肉片を抱えて村へ降りた。
村人たちは遠くから二人を見つめ、ざわめきをあげる。
「……あれは……解剖後の祭り帰りか?」
「いや、完全に変人の帰還だ」
ライナは革鎧の破れを押さえ、息を整えながら答える。
「……黙ってろ。俺は今、研究データと証拠を持ち帰ってるんだ」
一方、カリュドは肩で風を切りながら、得意げに鱗片入りの皮袋を抱えている。
「そして俺は、これから最高のご馳走を作るのだ!」
村の広場に到着すると、カリュドは早速、調理台と謎の魔法道具を取り出した。
羽根付き帽子を斜めにかぶり、リュックからは七種類のスパイスと三種類の鍋が飛び出す。
「いや待て、それ全部どこから出したんだ!」
ライナは突っ込む。
「研究道具は冒険者の命だ!」
カリュドはにやりと笑った。
村人たちは遠巻きに見守りつつも、興味津々で話しかける。
「……あれ、本当に食べられるのか?」
「安全なのか?」
カリュドは胸を張る。
「もちろん! 私の味覚は世界基準! 安全かつ絶品だ!」
こうして、村の中央で即席の屋台のように調理が始まった。
カリュドは鱗片を丁寧に剥ぎ、肉片を豪快に切り、巨大な鍋に放り込む。
「これぞ“カリュド流ワイバーンの香草焼き”!」
カリュドは笑顔で宣言し、鍋に炎を灯す。
その炎は普通の火ではなく、薄紫色の魔炎で、香りが村中に漂った。
香りは複雑で、焦げた鉄と甘い香草、そして僅かな毒のような匂いが混ざっていた。
村人たちは顔をしかめながらも、その香りに引き寄せられて集まってくる。
「……毒の匂いって大丈夫なのか?」
案内人が恐る恐る問う。
「大丈夫! 俺が味見したからな!」
カリュドは得意げに大きな肉片を取り、口に放り込む。
瞬間、カリュドの顔が奇妙にひきつる。
「……うむ……これは……複雑な味わい……!」
「複雑って……それ本当に安全なのか?」
ライナは眉をひそめ、鍋の前で腕組みをする。
カリュドはニヤリと笑い、ライナに皿を差し出した。
「同志よ、君にも味わってほしい! これぞ竜肉研究の成果だ!」
ライナは血まみれのナイフを置き、仕方なさそうにその皿を受け取る。
「……俺、胃腸弱いんだけどな……」
一口噛むと、ライナの目が見開かれた。
「……なんだこれは……旨いのか不味いのか……いや、旨い……ような気がする!」
村人たちはざわざわと笑い声をあげ、カリュドは高らかに宣言した。
「これが俺の研究だ! 竜・亜竜食文化の第一歩!」
ライナは遠くを見ながら呟く。
「……同志じゃねぇよ……」
カリュドは笑いながら応える。
「いいじゃないか、同志よ! 冒険は味わうものだ!」
夕陽の下、村の広場は笑い声と香草の匂いに包まれた。