第31話 別れとは
村を出て、3日。
特に問題もなく、いや、ライナの竜の研究の話を除けば、至って順調な帰路だった。
ターナル・ライナの宿。
街の喧噪を遠くに聞きながら、ライナは薄暗い部屋で机に向かっていた。
窓から射し込む夕日が紙の上に長い影を落とし、ペン先の動きに合わせて微かに揺れる。
ライナは一度ペンを止め、軽く肩を回した。
窓の外では、シーナたちの笑い声が通りから響いてくる。ギルドで報告を終え、きっと飲み屋で祝杯を上げているのだろう。
「……証拠はまだ足りない。」
誰に言うでもなく、低くつぶやく。
爪痕が竜由来ならば、今回の討伐は“偶然の前触れ”に過ぎない。
だが断定はできない。研究者にとって、憶測は毒だ。
ライナは机の上に並べた資料を整理し、紐で綴じる。
その手の動きは几帳面で、一切の無駄がなかった。
やがて蝋燭に火を灯し、最後の一文を書き加える。
――竜は存在する。
ただし、その姿はいまだ霧の向こう。
ノートを閉じると、ライナは小さく息を吐いた。
そして椅子の背に身を預け、遠い空を仰ぐ。
「……ヴァス、もう少しだ」
微かな呟きは、夜に溶けて消えた。
街の喧噪が遠のいていく中、ライナの部屋だけが静謐に包まれていた。
こうしてザムラ村の調査は終わり、次なる研究の旅路へと物語は続いていく。
――ターナル・冒険者ギルド併設の酒場。
賑やかな夜のざわめきの中、シーナたちとライナは大きな木の卓を囲んでいた。
冒険者や商人でごった返す店内は、酒と焼き肉の香りに包まれ、あちこちで歌や笑い声が飛び交っている。
「かんぱーい!」
シーナが豪快にジョッキを掲げ、仲間たちも笑いながらそれに続く。
ライナも渋々ながらジョッキを掲げ、一口だけ酒を口に含んだ。
「ライナ、打ち上げに参加してくれてありがとう!」
シーナが目を丸くして笑う。
「こうやって皆で飲んで食べるの、悪くないでしょ?」
「……研究の合間ならば、こういう息抜きも必要だろう」
ライナはそう言いながらも、グラスを置いてすぐにノートを開きかける。
「おいおい、飲み会でノートはやめろ」
アドルフが肩をすくめ、ジョッキを押し付けるように差し出す。
リュミナも笑いながら「ほら、今くらいは研究を忘れていいのよ」とライナに勧めた。
その夜は笑いに包まれて過ぎていった。
だが、翌朝――
――ターナル・街門。
旅支度を終えたライナが、荷を背負って立っていた。
シーナたちが慌てて駆けつけ、彼を呼び止める。
「待って、ライナ!」
シーナは額に汗を浮かべながら問いかけた。
「どうして急に別の街に? せっかく仲間になったんだから、一緒に……」
ライナは静かに首を振った。
「君たちと過ごした日々は、貴重な経験だった。だが……私は竜の真実を追わねばならない。ここに留まるわけにはいかないんだ」
「……竜のため、なのね」
リュミナがそっと口にした言葉に、ライナは黙って頷く。
アドルフが腕を組み、低く唸った。
「わかっていたことだ。お前の目は、ずっと遠くを見ていたからな」
「そうね」
シーナは一度だけ寂しそうに微笑み、それから力強くライナの肩を叩いた。
「行きなさい、ライナ。夢を追うあんたを、あたしたちは引き止めない。むしろ応援するわ!」
「……ありがとう」
ライナは初めて心からの笑みを浮かべた。
昇る朝日の下、彼は街を後にする。
仲間たちの声が背に届く。
アドルフが普段より大きな声で叫ぶ。
「またどこかで会うまでは、無茶はするなよ!」
リュミナは満面の笑みで叫ぶ。
「資料はきちんとまとめてね!」
シーナは目を潤ませて叫ぶ。
「竜を見つけたら、絶対に知らせて!」
振り返らずに歩みながら、ライナは心の中でつぶやく。
――必ず辿り着く。ヴァスが見たその場所へ。
こうして、ライナは再び一人の研究者として、新たな街と未知の調査へと旅立っていった。