第30話 夕食とは
――ザムラ村・広場。
村に帰り着くと、夕餉の匂いと笑い声が村全体に漂っていた。
門の前では子どもたちが駆け寄り、口々に質問を浴びせる。
「お帰りなさい! どうだったの?」
「竜は本当にいたの?」
「怖かった?」
シーナは両手を腰に当て、にっこり笑って答えた。
「落ち着きなさいってば。竜なんていないわ。私たちが相手にしたのは大きなトンボの魔物よ」
「トンボ……?」
村人たちは互いに顔を見合わせ、首を傾げる。
その場に歩み出たライナが、落ち着いた声で説明する。
「正式名称は《グライオンドラゴンフライ》。翼を持つことで“黒翼竜”と誤認されることが多い種です。今回の個体は1体のみでした。」
村長が深く頭を下げる。
「よくぞ調べてくださった。ザムラ村も、これで安心して眠れる」
安堵の空気が広場に広がり、子どもたちも笑顔になる。
その様子を見てリュミナが小声で仲間に話す。
「“ただの勘違い”って言葉一つで、村人の顔色が変わるのね……」
アドルフは頷き、低い声で言った。
「だからこそ、この事実は我らだけの胸に秘めるべきだ。軽々しく広めてはならん」
やがて村人たちは宴の準備を整え、焚き火の周りに集まり始める。
焼けた肉の香りと酒の匂いが広場を満たし、自然と笑い声が上がる。
「肉、最高ね!」
シーナはにっこり微笑み、串焼きを取り、優雅に齧り付く。
「戦いの後は、こういう時間が何よりのご褒美だわ」
「ソース、ついてるよ、シーナ」
リュミナが笑いながら拭いてやると、村の子どもたちもくすくす笑った。
アドルフはスープをすすりながら言う。
「……香草の使い方が独特だ。これは研究に値する」と、ライナのマネをする。
「研究者は食卓でも研究するのかな?」
シーナが笑いながら答える。
リュミナも笑い声をこらえきれずに肩を震わせた。
そんな賑わいの中、ライナは焚き火の外でノートを開いていた。
火の光に照らされ、筆先が震えながら走る。
――五本の爪痕。
――竜の存在を示す唯一無二の証拠。
仲間たちの笑い声を背に、ライナはふと小さくつぶやく。
「……少しはヴァスに近づいたのか。」
そしてゆっくりとノートを閉じ、焚き火の輪の中へ戻った。
笑い声と談笑に包まれながら、ザムラ村の夜は静かに更けていった。
ザムラ村・翌朝。
村の空は淡い朝焼けに染まり、鳥たちが軽やかに歌う。
昨夜の戦いと宴の余韻は残りつつ、仲間たちは再び旅の準備に追われていた。
シーナは背伸びをしながら、肩の甲冑を整える。
「ふぅ……それにしても、昨日は疲れたわね。肉があんなに美味しいと思ったの久しぶり」
「お前、まだ食べることばっかり言ってるな」
アドルフは杖を肩にかけ、背中で呆れた笑みを浮かべる。
「だって、命がけの戦いの後は、しっかり食べないと力出ないじゃない」
シーナはにっこり微笑むが、その手は剣の鞘を握りしめている。
リュミナは荷物の中から小さな籠を取り出し、中身を整理している。
「昨日は随分散らかしたからね……この荷物、私が全部整理しないとまた大騒ぎになる」
「おっと、俺の魔法道具がないぞ」
アドルフが不安そうに荷物を探す。
「シーナ、昨夜の宴で何か持って行かなかったか?」
シーナは振り返り、指を鼻に当てて笑う。
「えー? あたしがそんなことするわけないじゃない。……たぶん」
ライナはそんな二人のやり取りを遠くから見つめ、ノートに何か書き込んでいる。
「……さて、今日はザムラ村を離れ、次の調査にそなえようか。。準備は万全に」
シーナがくすくす笑いながら、ライナの肩を叩く。
「ライナ、あんたは相変わらず真面目ね。でも、もう少し笑った方がいいわよ。顔が怖いから」
ライナは少し苦笑し、筆を置いた。
「……笑いは研究においても重要な要素です。しかし、今日はそれどころではありません」
リュミナは荷物を背負いながら、シーナに突っ込む。
「シーナ、あんたは肉食べてただけじゃない!」
シーナは笑いながら手を振った。
「まずは力を蓄えるのが先決だもの」
アドルフは深く息をつき、仲間たちを見渡す。
「……まったく、今回の旅は賑やかだな」
シーナが笑って剣を肩に担ぐ。
「じゃあ、行きましょうか!」
――仲間たちは声を揃え、ザムラ村の門をくぐった。
朝日が彼らの影を長く伸ばしていた。