第29話 思いとは
ライナは深呼吸を繰り返しながら、震える手で最後の記録を書き込んだ。
体長、翼幅、鱗の厚み。戦闘痕の深さ、そして決定的な五本の爪痕。
ペン先が止まり、しばし無言で見つめた後――彼は静かに魔導剣を構えた。
「……ここで終わりです」
刃に赤熱の魔力が宿り、炎が走る。
次の瞬間、轟と燃え上がった火柱が魔物の亡骸を包み込んだ。
黒煙が空へとのぼり、焼ける音だけが丘に響き渡る。
シーナが腕を組んで小さくうなずく。
「……よし。これで村に変なものが流れ込む心配はねぇな」
アドルフは眉をひそめつつも、杖を下ろした。
「死骸を放置して病を呼ぶよりはずっといい。理に適っている」
リュミナは少し目を伏せながら、燃え尽きていく姿を見つめる。
「……でもライナ、あんた、泣いてたのに。今は……すっかり顔が違う」
ライナは振り返り、柔らかく笑った。
「……研究者ですから。泣いても、恐れても……記録し、証拠を残し、次に進むしかないんです」
炎が収まり、灰だけが残った。
シーナが剣を腰に収め、仲間に声をかける。
「さて――ひと仕事終わったし、村に戻るぞ。今日のことは、村の奴らにも報告しねぇとな」
丘を吹き抜ける風が、焼け跡の匂いを薄めていく。
仲間たちはそれぞれに思いを抱きながら、ゆっくりと丘を後にした。
ただ一人、ライナだけが歩みを遅らせ、振り返る。
灰の中に残る深い五本の爪痕――それは確かに、竜が存在する証だった。
「……必ず、辿り着いてみせます」
胸の奥で静かに誓いを立て、彼もまた仲間たちの後を追った。
――竜種の影は、確かにそこにある。
それはまだ遠く、しかし確実に近づいている予兆だった。
村への帰路。
陽は西に傾き、森の木々が長い影を落としていた。
戦闘の疲労はあるはずなのに、誰も無駄口を叩かず、ただ風と足音だけが耳に残る。
しばらく歩いたあと、シーナが大きく伸びをしながら口を開いた。
「……ふぅ。やっと一段落って感じだな。にしても……竜の痕跡かよ。夢物語だと思ってたぜ」
アドルフが杖を支えに歩きながら、難しい顔をして答える。
「夢物語であってほしかったがな。
実在するとなれば……王都も、各ギルドも放ってはおくまい」
リュミナが少し不安そうに眉を寄せる。
「でも、竜が生きてるなんて、広まったら……混乱するんじゃ……」
「だからこそ、今は軽々しく口にできない」
アドルフは低い声で言い切った。
リュミナは思わずライナに視線を向ける。
「ねえ、ライナ……あんた、もし本当に竜と会ったら……どうするの?」
歩いていたライナは足を止め、少し考え込んだ。
森の風が頬をなで、彼はゆっくりと口を開く。
「……会えるなら、話をしたい」
「はぁ!? 話!?」シーナが振り返り、声を上げる。
「冗談だろ? あんな化け物、見ただけで人間なんて一口でパクリだぞ!」
ライナはかすかに笑って首を振る。
「人が語る“化け物”という像と、実際の存在は違うかもしれません。
私が知りたいのは、彼らがどう生き、どうして人の前から姿を消したのか……その真実です」
「……そうか」アドルフが小さくため息をついた。
「恐怖よりも好奇心が勝る。研究者らしい」
「……でも、そういうとこがライナらしいわ」リュミナが小さく微笑む。
「なんだかんだで、あんたの言葉は信じたくなる」
シーナは肩をすくめ、前を向いた。
「まぁ……竜と話すなんて酔狂な真似、私はごめんだね。せめてその前に剣で一撃は入れてやるさ」
ライナは苦笑しつつも、真剣な目をして仲間を見渡す。
「皆さんがどう思おうと……私は、竜の痕跡を追います。
今日の五本の爪痕が、その証明ですから」
――その言葉に、誰も反論はしなかった。
やがて森を抜け、村の灯りが見えてくる。
夕暮れにともる火の明かりは温かく、しかし彼らの胸の内には重い発見の影が残っていた。
シーナが振り返り、仲間たちに言う。
「とりあえず……今日のことは村の連中に報告だな。ただし――」
「竜のことは伏せておく」
ライナが静かに言葉を継いだ。
アドルフも頷く。
「そうだな。軽率に広めれば、取り返しのつかないことになる」
彼らは無言で合意し、村の門をくぐっていった。