第25話 丘の上とは
――丘の上。
ライナが指し示す先は、森の奥で淡く光を弾いているものだった。
「アドルフ、あそこにエアカッターをお願いします」
「お、おい……いきなりか!?」
「実地検証には、まず刺激を与えるのが基本です」
「なんも言わずにか?はっきりしろよ!」シーナが爆笑しながら背中を叩く。
「……はぁ、もういい。風よ!」
アドルフが杖を振ると、鋭い風刃が放たれ、森の奥の光を切り裂いた。
――ガサッ!
木々がざわめき、翼のようなものが陽光を受けてはためいた。
リュミナの目が鋭くなる。
「来るわ!」
「全員、戦闘体制!」ライナが声を張った。
「シーナ、前衛! リュミナ、狙撃準備! アドルフは援護魔法!」
そして自分は――迷いなく魔導剣を抜き放つ。
刀身に淡い雷光が走り、空気がピリリと震えた。
「――さぁ、研究の時間です!」
「出たよ、その台詞……」
「研究者ってより、役者だよな……」アドルフがぼやく。
「うるせぇ! 面白ぇからいいじゃねぇか!」シーナはもう笑いながら短剣を構えている。
その時、森の闇を裂くように――四枚翅の巨大な影が、音を立てて飛び出してきた。
空気を振動させる羽音とともに、甲殻に光を反射させるそれは、まるで昆虫と獣を掛け合わせた異形。
リュミナが息を呑む。
ライナの瞳が輝きを増す。
「標本、いや、詳細な観察が可能とは……! 皆さん、絶対に取り逃さないように!」
「だからそれ、討伐じゃなくて研究基準かよ!」アドルフが半泣きで叫んだ。
次の瞬間。
異形の魔物が、凄まじい羽音とともに丘に迫り来る。
戦いの幕が、勢いよく切って落とされた。
羽音が地鳴りのように響き、巨大な影が丘へ迫る。
ライナの目が爛々と輝いた。
「……私は、間違ってなかった!」
ノートを握りしめ、魔導剣を高々と掲げる。
「研究!資料!そして経験!それが私の武器だ!!」
「おいおいおい! 敵が迫ってんのに講義してんじゃねぇ!」
シーナが剣を抜きつつ怒鳴る。
「ふざけるなライナ! 命より研究が大事なのか!」リュミナも顔をしかめる。
「いや、絶対大事そうに言ったよな今!?」アドルフは頭を抱えた。
それでもライナは止まらない。
羽音に負けぬ声で叫ぶ。
「これこそが! 私の探し求めていた証明!」
アドルフが堪らず叫ぶ。
「で、でかいやつが突っ込んできてるけど、結局アレはなんなんだ!?」
ライナは胸を張り、声高々に宣言する。
「――あれは! グライオンドラゴンフライ!」
剣先で異形を指し示しながら、続けざまに叫んだ。
「すなわち、“でかいトンボ”です!!」
一同「…………」
「いや、それ説明になってねぇだろ!!」
「しかも名前カッコよさそうに言ったあと“でかいトンボ”で台無しだし!」
「こんな時に分類報告してる奴があるか!」
ライナだけが異様に興奮していた。
丘を震わせる羽音、迫る巨体。
その危機感さえも、彼にとっては至上の歓喜なのだった。
そして、グライオンドラゴンフライが羽音と共に全力で突進してくる。
風が巻き上がり、草花がざわめく。
「来るぞ!」シーナが叫び、即座に構える。
「回避、回避!」アドルフが魔法陣を描き、風刃を操る。
リュミナは矢を引き絞り、確実に狙いを定めた。
仲間三人は間一髪で飛び退き、魔物の巨体をかわす。
だがライナだけは違った。
「――研究者は逃げない!」
叫びながら踏み込もうとした瞬間。
バキィィィンッ!
強烈な風圧と衝撃。
ライナは文字通り吹き飛ばされ、斜面をゴロゴロと転がり落ちた。
丘の下に倒れ込んだ彼は、顔には草と土がくっつき、鼻水混じりに呻く。
「……素晴らしい……!」ライナが泥だらけの顔で呟く。
「ワイバーンにも負けない突進力だ……!」
震える手でノートを取り出し、必死にメモしようとする。
「ライナ、やめろ!」シーナが剣を構えながら叫ぶ。
「止めろって! 戦闘中だぞ!!」アドルフが杖を振って風刃を整える。
リュミナも矢を放ちながら厳しい顔で言った。
「そんなことより生きろ!」
ライナは泥まみれでノートを握りしめ、涙目で仲間を見上げた。
「……ですが、これは……貴重な資料に……」
「だから戦闘中にメモ取るなって!」シーナが渾身のツッコミ。
アドルフは笑いを噛み殺しながらも呆れ顔。
リュミナは弓の狙いを外さず、次の瞬間――
「全員、攻撃!」ライナの声と同時に、戦闘が本格化した。
――戦いの中、ライナの叫び声だけが妙に研究熱心に響く