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親愛なるあなたへ

作者: 深山薫

はじめまして


こういう形で連絡させてもらうにあたって挨拶の言葉は色々考えたんだけど、やっぱりこの「はじめまして」が一番相応しいと思うのです。


何故なら私はあなたの事を何から何まで、全て知っていますから。

例えば今朝起きる前に寝言で何を言ったか。

その時までどんな夢を見ていたか。

今朝起きてカーテンを開けた時、何が目に飛び込んできたか。

また昨日の夕焼けを見た場所とか、数日前お友達とどこで何を喋ったか。

親との会話、電車に乗った時に何を読んでいたか、昨日の昼食のメニュー、おやつに食べた物、その時に飲んでいた物。

そんな事まで全部知っているけど、あなたは恐らく私の事を何も知らないでしょうから。


ですから「はじめまして」


あ、一応言っておくけどその部屋には盗聴器も隠しカメラも無いですよ。

私はそんな物が無くったって、ずっとあなたの傍にいてずっとあなたを見ているんですから。


そうですね、こうやって一方的に話しかけられてもあなたも困惑するだけでしょうから、折角ですから私とあなたの出会った時の事をお話ししましょうか。


おっとそう言えばまだ自己紹介もしてませんでしたね。

私の名前は……まあ今となっては名前なんかどうでもいいか。もうあなたと同じ名前と思っていてくれればいいです。

性別は男性。

かつての年齢は37歳です。

それとかつての身長は163cm、体重は98㎏。見た感じデブと言っていいでしょうね。

仕事は無職で引きこもり。最後に家を出たのはもう三年前になるでしょうね。

食事は壁を叩けば親が持ってくるし、風呂なんか一か月二か月入らなくても死にはしません。

トイレはペットボトルにすれば部屋から出る必要もないし、部屋の隅にはそうやって中身の入ったペットボトルがもう50本以上溜まってえもいわれぬ臭気を醸し出しています。

趣味はエロサイトを巡る事。基本時間は有り余っているので、気が付けば五時間や六時間過ぎている事はざらにあります。

恋人どころか友人もいません。

最後に家族以外の人間と喋ったのはもう十数年以上前、中学卒業時に囲まれて豚の鳴き声をさせられた時以来話しておりません。

部屋から出なくなった直後は親が高校や大学、将来の事などを口やかましく言われましたが、中学生の頃無理を言って買ってもらった金属バットで親父をフルスイングし右腕の骨を折ってからは何も言われなくなりました。

一日中ゲームをするかインターネットでレスバトルにエロサイト巡り、それ以外は惰眠を貪る。そんな生活を送っていました。


そんな細やかだけど幸福な生活はある日突然崩れ去りました。

その日はいつもと様子が違いました。

何度壁を叩いてもあの親は食事を持ってこないのです。

合図をしても帰ってくるのは沈黙ばかり………

そうやって昼からネットの合間に食事を要求していたのですが、彼らは一向に反応しません。

勇気を振り絞り二週間ぶりに部屋から出た私はそこで呆気にとられました。

家財道具一式が無いのです。

昨日までそこにあった箪笥も小物入れも、布団も何もかもが綺麗さっぱり無くなっているのです。

無論現金など影も形もありません。

しばらく呆然とした後、ようやく気付きました。

彼らは明け方、私が眠っている間に出て行ったのです。

私は見捨てられたのです。

奴らは自分勝手な理由で製造者責任としての立場を放棄したのです。

外から入る夕日が何もない部屋を赤く染め上げています。

鴉の鳴き声が一声、私を嘲笑うように響きました。

その時抑えきれない怒りが湧き起こり、気が付けば私は手近な壁を手に持った金属バットで殴りつけていました。

何度も何度も目に入る物を殴りつけ…気が付けば壁は至る所が凹み窓ガラスは割れ、私は絶叫しつつさらにそれにバットを振り下ろしています。

しばらくそれらを破壊していた後、未だ激情が収まらないまま肩で息をしていた私は玄関のチャイムが鳴っている事に気が付きました。

どうせセールスか何かだろう。そう思い更なる怒りに任せバットを振り上げた時、背後から不意に羽交い絞めにされました。

急に取り押さえられた事に驚き抵抗しつつ、もしかして奴らが反省して帰って来たのか?それなら足を折るくらいで勘弁してやる。

そう期待しつつ取り押さえた人物を見た私の目に入ってきたのは…

二人組の警官でした。

彼らは警戒しつつどこか呆れたような目で私を見ています。

「何をしてるんです?あなたは」

私がバットを下したのを見て、年配の警官が声をかけてきました。もう一人の若い警官は羽交い絞めを止めたものの、相変わらずこちらを警戒しています。

丁度いい。私の置かれた状況を説明したなら彼らも私が見捨てられた被害者だと理解し、必ずや両親を探し出しこの目の前に連れて来るでしょう。

こういうのを確か…保護責任者遺棄っていうんでしたっけ。

これは明らかに犯罪です。彼らに真実を語ればその総力を挙げて、きっと奴らを探し出してくれるでしょう。

そう考えると、私は彼らに向かって自分の置かれた状況が如何に悲惨な物であるか語り始めたのです。


そして私は彼らに自分の悲惨な物語を語り終えたのです。

しかし反応は芳しくありません。彼らは戸惑ったように顔を見合わせるだけで、一向に動き出そうとはしないのです。

やがて意を決したように若い警官が声を出しました。

「あのさあ、こういう事あまり言いたくないんだけど、君人生を嘗めてるよね」

聞き間違いでしょうか。彼は私の両親の罪を聞いてその犯罪を糾弾せずに、あろう事か私に説教しようとしているのです。

驚いて年配の方に目をやると、驚いた事に同意するように頷いでいます。

そんな私の戸惑いを気にすることなく、彼は言葉を続けます。

「自分職業上君みたいな人よく見るんだけどね。彼らは誰も彼も全員苦しんでるわけよ。外に出れない悩み、両親に心配かけてるんじゃないかという悩み。将来に関する悩み。部屋から出れた人も出れない人もみんな色んな悩み持って苦しんでるのに…」

そこで彼は一息入れると続けました。

「君の場合他責だけじゃないか。」

思い余った表情でさらに警官は何かを言い募ってましたが、もう彼の口から出る言葉は私の耳に入っていませんでした。

何と言う事でしょう。この警官はどう見ても20代半ば。そのような若造に説教されるという屈辱を味合わないといけないのです。元はと言えば親が私の育児放棄をした事が原因なのに、何故私がこのような思いをしなければいけないのか。

内心屈辱に震えながら彼の言葉を聞き流していると、年配の警官が溜息を吐きながら割って入りました。

「すまないね。彼は以前引き籠ってた幼馴染が自殺していてね。その近況を近くで見ていながら止められなかった想いが色々あるみたいだから、どうもこのような話題になると色々込み上げてくるらしくて」

そして彼は若い警官に

「ああ、良いから車に戻ってろ」

と去らせると、私に向かってこう言い放ったのです。

「どうも事件性もないみたいだし、我々はこれで帰りますね。破損させたのも自宅の中だけらしいし」

「ちょっと待ってくださいよ。私の両親の事はどうなるんです?警察の力でさがしてくださいよ。国民のために働くのが警察の仕事でしょ」

その言葉を聞くと警官はやれやれという表情をしながら苦笑交じりに言葉を続けました。

「いや姿を消したといってもコレ明らかに自分の意志でしょ。まあ後で確認してみますが、事件性は無いでしょうし。それに警察は民事不介入ですから。それじゃ頭も冷えたみたいだし、我々はこれで失礼しますね」

「おい、待てよ。行方不明者がいるんだっての。聞いてんのか、おいポリ公、税金泥棒」

なおも抗議する私をそのままに彼らは出て行ってしまいました。被害者を見捨てるなんて、警察はどうなっているのでしょうか。

あまりの衝撃に茫然としていると、いつしか日は落ちて周りは暗くなっていました。

これから先、私はどうしたらいいのか。普段考えない将来への思いが頭の中に渦を巻いています。

そんな時、先ほどの警官の言葉が頭に浮かんできました。

『彼は以前引き籠ってた幼馴染が自殺していてね』

そうです、何故こんな簡単な事に気が付かなかったのでしょう。自殺をする振りをすれば世間の耳目も私に集まるでしょう。その中で私の両親の非道、警察の不誠実な対応を強く訴えるのです。

そう思い至るといつも見ているネットの掲示板に


今から自殺する


そう書き込むと、久しぶりに外へと足を向けたのです。



ダムに満々と湛えられた水はひたすら静かでした。鏡のような水面は月の姿をそこに映して、周囲を昼間の様に明るく照らし出しています。

私はそんな光を全身に受けながら、靴を脱ぎ手すりの外側に身を乗り出すようにしてもう何時間も待っています。

不思議です。自殺志願者がいるというのに新聞記者はおろか警察まで姿を見せません。

そろそろ掴まっている腕が痺れてきました。

そこで私は気付いたのです。

自殺する。の一言だけ書いて、場所も時刻も書かなかったという事実を。

魚が一匹、嘲笑うように跳ねました。

途端急にバカバカしさが込み上げてきました。

よし、明日からは真面目に生きよう。家を売って安アパートか事故物件でも借りたら、しばらくこのままの生活が出来るでしょう。その後の事はその時考えよう。

そう思い帰るべく柵を乗り越えようとした時、痺れていた私の腕はそれを掴みそこないました。体がずれる…その衝撃で足が滑ります。

私の体はそのまま遥か下の水面目掛けて虚空の中を落ちていきました。



私は死んだはずです。

でなければかくも長い間水中に沈んだままいられないはずです。

私は死んだはずです。

水の中でピクリとも動かないまま私はそう考えています。体は動かず呼吸も出来ず、ただ意識だけを保ったままで。

あそこから滑り落ちて三日。体の一部が水底のどこかに引っ掛ったらしく、一向に浮き上がりません。

それを外そうとしても死体となった体は微動だにせず、意識をそこに集中しても指一本、毛一本動こうとはしません。


幽霊はいるかどうか。

死後人間の意識はどうなるのか。

数多の宗教や哲学が議論していた事でしょうが、まさかそれが我が身に降りかかろうとは思いもしませんでした。


落ち着いているようでしょうが、初めは水中に溺れた事や身動きできない事でパニックになりました。

しかしいくらパニックになろうが、どうしようもない事はどうしようも無いのです。

仕方なしに今は一日中身動きの出来ないまま、ぼうっと過ごしているわけです。


やがて私の体は徐々に腐り始めました。

まず目や鼻といった柔らかい部分から水中に溶け出し、それらは細かく粒子となって水中に拡散していきます。

やがて腕や足といった大きな箇所、水死体らしく膨れ上がった腹の中で水に満たされていた内臓、そして脳までが水の中に溶けていきました。

奇妙な事にそれらが溶け出すに従って、私の意識も水の中に溶け出していきました。

私の意識はもはやダムに溜められた水いっぱいに広がり、そこで泳ぐ魚の一匹一匹までわかります。

その魚の中にも私は広がり、魚が何を食べたか、否、魚の欲望、魚の本能までが手に取るようにわかってしまいました。

それが丁度一年前の事でした。




もうお判りでしょう。

私の死んだダムというのは、あなたの家の水道、その取水場の上流に位置しているという事が。

つまりあなたが飲んだ水の中には私の意識が充満していたという事が。

いや意識だけではありませんね。あなたの飲んだ水の中には私の腐った肉や内臓、脳に脂肪、垢や鼻汁,そして糞便が大量に含まれていた事を。

それらはあなたの胃腸を通じて体内に吸収され、ゆっくりとあなたの細胞に、あなたの一部となっていきました。

覚えておいてください。もうあなたと私は何時でもどこまでも一緒という事に。

あなたの体の一部はもう私の腐った肉や内臓、脳に脂肪、垢や鼻汁,そして糞便から出来ているという事を。


貴方が美味しいものを食べて喜んでいる時は私も同じものを味わっています。

あなたが面白い動画を見て笑っている時も私は同じものを見ています。

恋人と夜を共にしている時は二人きりのその中に私も交じっています。


覚えておいてください。

あなたの今後の人生には何時いかなる時も37歳の中年男性がひっそりと寄り添っている事を忘れないでください。

そして私はあなたの精子や卵子を通じて、子供にもその孫にも一緒にいる事になるでしょう。


それでは親愛なるあなたへの〆の言葉はこうさせてもらいましょう。


今後ともよろしくお願いします。

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