21:エピローグ
前侯爵から譲られた家は、レンガ造りのお洒落な家だった。ソフィアたちが家に入ろうとすると、白髪の老人が「お待ちしておりました」と出迎えてくれた。
家の管理人だという老人は、前侯爵に命じられてから、ずっと家の主が現れるまで管理をしてくれていたようだ。
「ランドリー前侯爵様から、家は好きにしてもよいと言付かっております。数日に一度は庭の手入れに伺いますので、何かございましたら遠慮なく仰ってください」
まるで、何もかも見透かしたような老人に恐れを感じるも、侯爵家とは直接的な繋がりはなく、心強い味方であることを願った。
新しい家は気に入っていたが、どことなく住まわされている感じが拭いきれなかった。それでも、セルジュから毎日贈られてくるプレゼントを除けば、実に平和だった。
その間に、弔問のために訪れたロマーナを秘密裏に拘束したという報告を受け、ようやく動いてくれたことに安堵した。
しかし、油断はできなかった。
ロマーナが暗殺者を雇ったという情報が入ってきたからだ。幸い、ソフィアたちに被害はなく、管理人の老人が今日も草むしりに精を出していた。
──だが、暗殺者が放たれたのは一か所ではなかった。
今から数年後、クアン伯爵一家が惨殺されるという事件が起きる。
一度は娘ソフィアの醜聞により没落まで追い込まれたが、それが捏造されたものであることが公になると、ランドリー侯爵家とビューヘン公爵家から莫大な慰謝料が支払われた。
これにより再び社交界へ返り咲くも、側近に裏切られて一家は皆殺しにされた。さらに、財産も根こそぎ盗まれるという「クアン伯爵家の悲劇」が起こることを、この時まだ誰も知らなかったのだ。
一方、宰相であるランドリー前侯爵を毒殺したとして、メイド長が裁判を受けた。
同時に、ソフィア・クアンの醜聞も捏造であることが明らかになり、新聞各社はこの事件を大きく取り上げて世間を賑わせた。
ソフィアはいち早く報告を受けていたため、メイド長は素直に罪を認めるだろうと思った。
なぜなら、メイド長の息子はすでに亡くなっていたからだ。
ロマーナの口車に乗せられ、息子を公爵家に預けたようだが、実際は山奥の小屋に追いやられ、誰にも看取られることなく病死していた。
何もない小屋で、母が来ることだけを待ち続けた息子は、最後に何を思っただろうか……。
メイド長に手紙を書いていたのは公爵家の騎士だった。最初はロマーナに命じられたまま書いていたが、母親を幼い頃に亡くしていた騎士は、メイド長に母の面影を重ねて、真実を話せないまま手紙を書き続けていたという。
メイド長は当然死刑を宣告されたが、それは彼女にとって最も望む結末になったはずだ。
片や、ロマーナの処罰は難しかった。帝国でも離婚の噂はあったが、正式な話し合いが持たれたわけではなかった。
こちらの国で拘束したと言っても、王城の貴賓室に軟禁するぐらいがせいぜいで、帝国の妃を勝手に裁くことができなかったのだ。
そこで、帝国にはロマーナとの離婚を求めたが、帝国はこれを拒否した。皇帝陛下から寵愛を受けていたのは本当なのだろう。
それならば、なぜ国に戻ってセルジュと再婚することを諦めなかったのか。いくら子供の頃から慕っていたとはいえ。
すると、ロマーナを巡って身柄の引き渡しを求めてきたのは、意外にも皇帝陛下の他の妃たちだった。
彼女たち曰く、ロマーナのおかげで毎晩何度も求めてくる皇帝の相手をしなくてもよかったのだとか。さらに、子供を生さないようにしていたことも、跡継ぎを産んでいた妃たちにとって好意的に映ったようだ。
──けれど、罪は罪。
そのため、ロマーナの身分こそ剥奪されるが、今後は皇帝陛下の性奴隷として奉仕させることを約束してくれた。
ロマーナにとっては最も屈辱的で、死より効果的な方法なのかもしれない。
彼女が二度と母国に戻ってこないことを知ると、ソフィアは安堵してレオンを抱きしめていた。
事件が解決したことで、ようやく安心して息がつけた。ただ、それでも家を護衛する侯爵家の兵士が引き揚げる気配はなかった。
やはり、護衛以外にも監視役を任せたのだろう。それは護衛を受け入れた時から予測していた。
「奥様、本日も奥様とお坊ちゃまに当主様から贈り物が──」
「お持ち帰りください。それから私のことは、奥様と呼ばないようにお願いします」
交代する兵士が現れるたび、セルジュから託されたプレゼントが庭に積み上げられた。どれも高級な品物ばかりで、彼の好意が何度もソフィアを惨めにさせた。
この家にいる限り、本当の安息は手に入れられない。
そこで監視の目をかいくぐって少しずつ準備を進めてきたが、まだ幼いレオンを思うと心を決めかねていた。
そんな時、ロマーナが帝国へ強制帰還されてから数日後──それは現れた。
「ママ、ママ! みて! なべがあるいてるよ!」
「え? 何を……」
庭で蝶を見つけて追いかけていたレオンは、生垣越しに何かを見つけて知らせにきてくれた。
ソフィアは手を引かれるまま庭へ向かうと、ちょうど生垣の上を歩くようにして、鉄製の鍋が行ったり来たりを繰り返していた。
そのうち護衛の兵士が「怪しいやつ!」「何者だ!」と、鍋を追いかけていく姿が見えた。
「た、大変! きっとハリーだわ!」
鍋を背負ってここまでやって来るような人間は、たった一人しかいない。
ソフィアは兵士たちの元へ駆けていき、捕らえても乱暴しないように伝えた。
「ソ、ソフィ~……会えないかと思ったぁ」
兵士に捕らえられ、ソフィアとレオンの前に連れられてきたのはやはり鍋を背負ったハリーだった。
「ハリーっ!」
「おお、レオンも元気だな!」
久しぶりに会った家族のような知人に、レオンは真っ先に抱き着きにいった。おかげで、兵士たちは害がないことを確認し、持ち場に戻っていった。
「てっ、手紙を貰ったから……会いに来たんだ」
レオンを軽々と抱きかかえたハリーは、照れる顔を隠そうともせず、嬉しそうに笑った。何もかも感情が表に出てしまう彼は、貴族のような窮屈な暮らしはできそうにないだろう。
「あと、宿屋もやめてきた」
「そ、そんな……! 女将さんはどうしたの!?」
「母さんはこれまで頑張りすぎたから、休むにはちょうど良かったんだよ。たんまり稼いだ金で、海が見える町で家を買って暮らすって」
出会った時から豪快な女性ではあったけれど、疲れたから休むという感じには思えない。
ソフィアが小さく笑うと、ハリーはもう一歩だけ近づいてきて顔を見つめてきた。その時、ふと記憶の中に眠っていた声が蘇ってきた。
『ソフィ、ソフィ! 頼むから戻ってきてくれ……っ』
『レオンは大丈夫だよ。とても元気にしている』
いつも傍で励まして、好意を寄せ続けてくれた人。そして、レオンが安心して身を任せられる人。
「本当は、俺も母さんについていこうと思ったんだ。でも、どうしても諦められないものがあって……。そしたらソフィから手紙が届いて」
「……私は、貴方にお礼が言いたくて」
ただ、いざ何かを言葉にしようと思うと、感謝以上の想いを伝えることができなかった。今も触れるのを我慢して、優しく見守ってくれるハリーに甘えてしまっている。
それでも、ハリーは笑顔を絶やすことなく告白してくれた。
「お礼はいらない。その代わり、俺にソフィとレオンの幸せを見守らせてほしいんだ! 毎日うまいものを食べさせて、笑顔にさせたい。……そのぐらいしかできないけど、二人を愛する気持ちは人一倍あるつもりだから」
「──……っ」
お人好しというだけでは片付けられない、彼らからの「好き」の気持ちがひしひしと伝わってきて、胸がいっぱいになる。
「バカ! 貴方は大バカ者よ……っ!」
「ちょっ、ソフィ! レオンの前で、それは──」
いきなり暴言を吐き出すソフィアに、ハリーは片方の手でレオンの耳を塞ごうとした。血は繋がっていないのに、自分の息子のように大切にしてくれている。
そんな彼に、何を恐れていたのだろう。
ソフィアは両腕を広げて、レオンごとハリーに抱き着いた。
「あ、あの……ソフィ、触れても大丈夫なのか?」
「……ありがとう、ハリー。私も努力するわ。貴方のこと、きちんと考えるようにする。だから、一緒にいて。……私とレオンを守って。お願い、幸せにして」
「あ、ああ……っ! もちろんだ、ソフィ!」
ハリーは片手でレオンを抱えたまま、もう片方の腕でしっかり抱き寄せてくれた。
今度こそ、この温もりを守るために自分にできる精一杯のことをしよう。
しばらくすると、ソフィアとハリーの間でぎゅっと挟まれたレオンが「ハリー、おなかへった」と訴えてきた。ソフィアはハリーと顔を見合わせて、そして笑った。
家の中へ入るとき、庭で草むしりをする管理人を見つけ、ソフィアは彼に向かって視線を送った。見た目こそ老人だが、動きが訓練された騎士のようだった。彼はソフィアに気づき、小さく頷いて静かに動き始めてくれた。
ソフィアの元へ鍋を背負った男が訪ねてきたと報告を受け、執務室で仕事に追われていたセルジュは邸宅を飛び出していた。
ソフィアは二度と戻ってくることはないと言ったが、自分たちの間には切っても切れない絆があった。それが息子のレオンだ。
レオンがいる限り、自分たちが完全に終わることはないと思っていた。
息子を守るためなら侯爵家の兵士を護衛として受け入れたように、いずれセルジュの元へ二人とも帰ってきてくれると思った。
彼女が頼れる場所は、自分をおいて他にいない──だから、いつか一緒に暮らせる日々を思い描いていた。今度こそ自分の家族を全力で守り、幸せな家庭を築いていこうと。
そう思っていたのに……。
あの時と同じように馬を走らせ、ソフィアの元へ向かうも、家の中で待っていたのは管理人を名乗る老人だけだった。護衛にあたっていた三人の兵士は、庭で寝かされていた。
「本日からこちらの家は、ランドリー侯爵家の所有物になります」
老人は淡々と話すと、家の所有権を差し出してきた。
「それより彼女は!? ソフィアたちはどこだ! あの男が、私の妻と息子を連れ出したのか!」
「三人とも出て行かれましたが、どちらへ向かったかは存じ上げません」
貴族相手にも態度を変えない老人に、父の面影が重なって、大人しく引き下がるしかなかった。
だが、このままでは本当に二度と戻ってはこない気がして、セルジュは捜しに行かなくてはと走り出した。
刹那、足がもつれて地面に倒れ込んだ。
躓くような場所ではなかったのにも関わらず、セルジュは地面についた己の手を見下ろした。
その時になってようやく自分の手が、やせ細っていることに気づいた。手首にかけて骨が浮き出ている。
そういえば、ここ最近はろくに食事をとっていなかった。不眠も続き、高級な服で覆われた肉体はボロボロになっていた。
こんな体で、一体何を守れるというのか。
「なぜ……っ! 君がいなくなったら、私は……っ」
しかし、どんなに叫んでもセルジュの声がソフィアへ届くことはなかった。
彼女はすでに王都を抜け、新天地に向かって出発していたからだ──。
「なぁ、レオン知ってるか? 俺の夢は、大陸中を旅しながらあらゆる料理を食べ尽くして、その料理が作れるようになることなんだ」
一台の幌馬車が王都を抜けて、隣国に続く国境に向かって大草原の中を走っていた。
「じゃあ、レオンも! ごはんたべる!」
御者席ではハリーがレオンを抱えながら、馬を走らせていた。
「じゃあ、いっぱい見て回らないとな!」
「うん、いいよ!」
荷台では追手が来ないか祈る気持ちで過ごしてきたソフィアも、二人の笑い声を聞いている内に不安が薄れていった。
ソフィアが荷台から二人のいる御者席に顔を出すと、気づいたハリーが「大丈夫さ」と、安心させるように声をかけてくれた。
国境を抜けるまで油断はできないのだけど、二人を見ていると本当に大丈夫だと思えてしまうから不思議だ。
「それならレオンは、ハリーと一緒に何でも食べられるようにならないといけないわね」
「おいちくないのはたべない」
「あら駄目よ。ねぇ、ハリー」
「……一緒に頑張ろうな、レオン」
幌馬車に明るい声が響く。
目の前の景色を見つめれば、どこまでも続く黄金色の草原がこの旅路を祝福してくれているようだった。
【END】
ここまでお読みくださりありがとうございました!
暮田作品なので本番はここから…
番外編は群像劇になるので訓練された方のみお読みいただけたらと思います。
更新は不定期、お気に入りはそのままで!





