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「……ソフィア様に避妊の薬湯を飲ませ、不貞行為を捏造して屋敷から追い出すように仕組んだのは、すべてロマーナ様に命じられたものです」
メイド長は鉄格子を握りしめたまま、跪いてうな垂れた。嫁いだ時からソフィアを見下し、それでいてまったく隙を見せないメイド長が怖くて苦手だった。
それが今は、鉄格子を挟んで向かい合っている。
こんなこと誰が予測できただろうか。
「──なぜだ。皆してロマーナ、ロマーナと。彼女は他国へ嫁いだではないか。戻ってきたところで、私が彼女を妻に迎えると本気で思っていたのか……?」
セルジュは無茶苦茶な計画だと顔を顰めたが、被害を受けたソフィアはそう思わなかった。
ロマーナはどこまでも狡猾で、欲しいものは絶対に手に入れなければ気が済まない性格だ。
でなければ、ソフィアの過去を調べ上げ、ただの噂で追い出された使用人を捜し出し、嘘の証言までさせるようなことはしなかったはずだ。
現に、セルジュはロマーナの策略で離婚し、独り身になった。
そこへ、何らかの理由でロマーナ自身も離婚して戻ってくれば、王女の身代わりになっていた彼女は王室から恩恵を与えられ、王命によってセルジュと婚姻に至る可能性だってある。
宰相であるランドリー前侯爵が亡くなり、彼女を止める者は誰もいないのだから……。
その時になって、ソフィアは自分が思っていた以上に、恐ろしい計画に巻き込まれていたのではないかと怖くなった。
「ロマーナ様は、メイド長の貴女に一体何を命じられたのですか? ……前侯爵様が亡くなったのは、本当に偶然ですか?」
あまりの恐ろしさに吐き気がして、口元をハンカチで押さえつける。
セルジュは支えようと手を伸ばしてきたが、ソフィアは首を振って拒絶した。何とか顔を持ち上げてメイド長を見れば、彼女は蒼褪めた顔で言葉を失っていた。
「まさか、父上の死にも関わっているのか! 答えろ、メイド長!」
「……あ、いえ、私は……その、仕方なかったんです! 私は、ロマーナ様に従うしか……っ」
今になって己の行いに恐れを成したのか、メイド長は体を丸めて震え出した。
「馬鹿な! いくら身内を人質に取られたからと言って、貴族殺しは重罪。見つかれば死刑になることぐらい分かっていたはずだ!」
メイド長は両手を持ち上げて戦慄き、大粒の涙を流しながら答えた。
「……ロマーナ様だけだったんですっ。病気の息子を助けてくれたのは……! なのに、彼女を裏切ったとなれば、息子は無事ではいられません! 私は、どうなっても構いません! 息子だけでも助けてください……っ、お願いします!」
息子を助けるためなら我が身を犠牲する姿は、母親の鑑なのかもしれない。
しかし、賞賛を受けるには、メイド長はあまりに手を汚しすぎた。何より彼女は、嫌がらせを受けるソフィアを見て愉しんでいた。弱みを握られていたとしても同情はできない。同じく息子を持つ母親だとしても。
「……息子の件はなんとかしよう。その代わり、すべてを吐くんだ。いつからロマーナに仕えるようになったのか、知っていることを話せば望みを叶えてやる」
セルジュが取引を持ち掛けると、メイド長は戸惑いを見せるも、最後は逃げ場のない状況に頷く他なかった。それを同意とみなし、セルジュは再び「いつからだ」と尋ねた。
メイド長は提案を受け入れたものの、話すたびセルジュの顔色を窺った。それだけ彼に話すには、センシティブな内容だったからだ。
「……最初は、前侯爵夫人がロマーナ様を招いたお茶の席です。あの頃、前侯爵夫人は夫である前侯爵様の気を引くために、我が子を人質にとるようなお方でした」
「なん、だと……?」
「前侯爵夫人は、幼子のセルジュ様とハインツ様に毒を盛り……解毒剤を飲ませる代わりに、前侯爵様に屋敷での滞在や夜会の同行などを強要していました……」
セルジュの話では、彼の母親は家庭を顧みない夫に大きな孤独を抱えながら、最後ははやり病で亡くなったと言っていた。
「母上が、なぜそんなことを……」
けれど、メイド長の話を聞いていると、前侯爵夫人は自ら破滅の道を歩いていたのだ。
「脅迫材料になっていたのは、セルジュ様だけではありません。ロマーナ様もまた、人質にされていたのです。……ビューヘン公爵家と対立できない前侯爵様は、従うしかありませんでした」
娘のように可愛がっていたと見せかけて、本当は自分の夫の気を引くための材料だったということだ。
セルジュは受け入れがたい真実を聞かされて、動揺を隠しきれていなかった。さすがの彼も、震える指で口元を押さえていた。
「あの日、ロマーナ様をお茶に誘った前侯爵夫人は、毒を盛ろうとしました。──ですが、メイドとして仕えたばかりの私が、お二人のカップを間違えてしまったのです」
そのせいで、毒を飲もうとするロマーナばかり注視していた前侯爵夫人は、自分のカップに毒が塗られているとは思わず、口をつけてしまった。
毒を口にした前侯爵夫人はその場で血を吐き、意識を失ってしまった。
「その時です。ロマーナ様が皆の前で、侯爵夫人が自ら毒を飲んだわ! と叫んだのです」
これまで夫の気を引くために、あらゆる悪事に手を染めていた前侯爵夫人は、当時十歳にも満たないロマーナの証言を覆すことはできなかったようだ。
「……それで母上は、離れに移されたのだな。私に父親のようになるなと言ってきたのは、妻の言葉を信じず……他の者を信じた夫のようになるなと、そういうことだったのか……」
ひとつの真相を知り、セルジュは愕然としていた。
幼い頃から父親のようになるなと散々母親から言われてきたのに、本当はその母親のほうが害になっていたとは、到底受け入れられないだろう。
「私は、ロマーナ様が嘘の証言をしてくださっておかげで助かりました。毒殺の容疑がかけられていたら、私の息子も生きてはいませんでした」
偶然だったとは言え、メイド長はロマーナを助け、ロマーナはメイド長を救ったのだ。それにより、二人の間には絆が生まれ、秘密を共有する仲になった。
「夫を早くに亡くし、病を患った息子の薬を買うために、メイドの仕事を辞めさせられるわけにはいきませんでした」
だから、ロマーナのついた嘘に自らも乗るしかなかったのだろう。ただ、彼女たちのおかげで、セルジュたちも助けられていたのだ。
「最初こそ、ロマーナ様は大好きなお二人を守れたことを喜んでいました。そして、いつか旦那様と結婚して、ランドリー侯爵夫人になることを夢見ていました」
ロマーナは元よりセルジュを慕っていたのだ。前侯爵夫人を母親のように思っていたのも、本当に義理の母親になると思っていたからだろう。
だが、ロマーナもセルジュに執着するあまり、前侯爵夫人と同じところまで堕ちてしまった。
「旦那様が他の女性を受け入れられないように仕組んだのも、ソフィア様を屋敷から追い出したのも、すべてロマーナ様の指示によるものです」
これまで女性に裏切られ続けていたセルジュは、そのせいで女性不信に陥っていた。けれど、それがロマーナの仕業だと分かると、彼は短く笑った。
「ハッ、一体どこまで私を……っ」
本当に裏切っていたのは、妹のように思ってきた幼馴染だった。
「それで、私と一緒になるためにソフィアだけでなく、父上まで排除したのか」
すでにこの世におらず、一度も会ったことのない前侯爵夫人のことは話を聞くだけになってしまったが前侯爵は別だ。
「……旦那様との結婚を反対され、さらに王女様の身代わりとなって帝国へ嫁ぐことを進言されたことで、ロマーナ様は前侯爵様のことをひどく恨んでいました」
前侯爵がいればセルジュと一緒になることは、絶対に叶わないと思ったのだろう。
メイド長は命じられたまま、少しずつ前侯爵の食事に毒を盛っていたことを認めた。医者も見抜けないほど少量の毒を、長きに渡って摂取させていたようだ。
ソフィアが前侯爵と初めて出会った時、パーティー会場で具合が悪そうにしていたのは、あの時からすでに毒による症状が出ていたのかもしれない。
そして、宰相であった前侯爵が亡くなったことは、他国に嫁いだロマーナにも当然知らせが届いているはずだ。
「ロマーナ様は、どのようにしてお戻りになるつもりなんでしょうか……」
しかし、両国の関係強化のために嫁いでいったロマーナが、簡単に離婚して戻ってこられるとは思えない。
すると、セルジュは思い当たる節があるのか、口元を片手で覆いながら答えた。
「以前、議会で持ち上がっていた話だが、ロマーナが子を生さないと……。まだ若いから問題ないと思っていたが、子供ができないことを理由に離婚もあり得る」
「子を、ですか……。それは、ロマーナ様だけの問題でしょうか」
「ロマーナは嫁いだ先の皇帝陛下から、最も愛されている寵妃だと聞かされていた。だから、こちらも大事にせず静観に徹していたわけだが……」
これまで多くの者たちを裏で操りながら、計画を遂行してきたロマーナのことを考えると、偶然で片付けることはできなかった。避妊の効果がある植物はロマーナのほうが詳しいのだから。
だが、わざと子を儲けないようにしていたなら、それは大きな外交問題に発展する。
「ひとまず、ロマーナのことは王室に伝えておく。この国に踏み入れた瞬間、拘束するつもりだ」
セルジュがロマーナの陰謀を知ってしまった今、彼女の計画は失敗に終わるはずだ。それでも、不安はぬぐい切れなかった。
やはり、自分のような力を持たない者が、足を踏み入れていい場所ではなかったのだ。
すべてを白状したメイド長は、前侯爵まで死に至らしめたにも関わらず、セルジュに自分の息子の保護を頼んできた。
メイド長の息子は、ビューヘン公爵家で面倒を見てもらっているようだ。体のいい人質だろうが、手厚い治療を受けられたおかげで彼女の息子は元気になり、今は公爵家の騎士団で剣を振るっているようだ。
ロマーナの計画が成功するまで会えないが、数ヶ月に一度手紙が届くという。
息子のことを幸せそうに話すメイド長を見ていると、複雑な気分になった。彼女は決して許されぬことをしたのだから。
セルジュはどう感じていたのか分からないが、ただ静かに「約束は守る」と言った。
地下牢では他にも使用人たちが捕らえられ、セルジュとソフィアを見つけると、鉄格子を掴んで泣きながら謝ってきた。皆が皆、許しを得ようと必死に手を伸ばしてくる。
──なぜ彼は、ここまで堕ちなければ、己の過ちに気づくことができなかったのか。
目の前を歩く彼もまた、後悔してくれているだろうか。
地下を抜けて、ようやく息のつける地上に戻ってくると、セルジュがふいに振り返ってきた。
「……少し話がしたいんだが、執務室に寄ってもらえないだろうか」
すでに真相が明らかになった今、彼に対して恐れることは何もない。またソフィア自身も、彼に伝えたいことがあった。
「分かりました」
頷いたソフィアは、再びセルジュの後に続いて歩き出した。
彼の背中を見て歩くのも、これが最後だと決意して──。





