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◆3◆

ご覧いただきありがとうございます!

久しぶりのポートリエ家に緊張したのは最初だけ、客間に通されてから早一刻が過ぎようとしていた。赤髪の侍女が紅茶を新しいものに取り換えるのも四回を数えた。



待たされるのは想定内。



問題はエヴリーヌと会う事すら許されないのではないかという懸念が脳裏を掠めた。だが今日は引き下がる訳にはいかないのだ。




静かに扉が開いた。マクシミリアンは立ち上がり礼をする。当然のようにそこにエヴリーヌの姿は無い。侯爵とエヴリーヌの兄シャルルのみだ。



「お待たせしました、あぁ娘はまだ仕度の最中でね。後から来るでしょう、お許し願いたい」



「いえ、いきなり訪ねて来た私が悪いのです。お時間をいただき光栄です」



促されるまま席に着くと同時に、三人の前には温かな紅茶が置かれた。侯爵はそれに口を付けながら貴族的な笑みを浮かべていたが、目の奥は全く笑っていなかった。



「さて、どういったご用件ですか」



「先ずはお詫びを。先日エヴリーヌ嬢が倒れた時、何を置いても伺うべきでした。誠に申し訳ありません。婚約者という立場をいいことに、常識に欠けた行為でした」



深く頭を下げるマクシミリアンを見れば、流石に反省しているのは分かるのだが、だからと言ってはいそうですかとはならないのが娘を持つ親の心情だ。



「本来得あれば、先日エヴリーヌ嬢が倒れた時に確認すべきだったのですが、何か変わった事があったのではありませんか?今は心身ともに万全なのでしょうか?」



「本当に今更ではありますな」



「その件に関しては弁解の余地もなく。本当に申し訳ありません」



反論もせずに都度頭を下げるマクシミリアンだが、侯爵の反応は厳しいものだった。



「お知らせした通り、庭で倒れていた娘が目を覚ましたのは発見されてから三日後です。その間、我々家族は心配で居ても立っても居られず、眠れぬ夜を過ごしたのですよ。それに比べ、マクシミリアン殿ときたら病床には全く似つかわしくない煌びやかな花と簡素な手紙を寄越しただけ。だからこちらも娘の様子を記載する事無く、ただ目を覚ました旨をお知らせしたのです」



「当然です、全ては私の不徳の致すところなのですから」



「私も侯爵という立場である前に、子を持つ親として娘には幸せになって欲しい。我々家族としては両家の婚約を考え直したいところではあります。が、エヴリーヌの意見を尊重しようという結論に至りました」



マクシミリアンは俯きながら、膝の上の手に力が入る。



「お心遣い感謝申し上げます」



静かに戸を叩く音ともに侯爵夫人に連れられたエヴリーヌが入っていた。




「貴方は…プレオベール様。ポートリエ侯爵家エヴリーヌにございます。昨日振りですね」



願っていた彼女の瞳に自分が映る瞬間がやって来たというのに、このよそよそしさは何だ?違和感が拭えない。




「エヴリーヌ嬢、私の事はマクシミリアンと。以前のようには呼んでくださらないのですか」



口元がマクシミリアンと動くと、はっとして動きを止めた。



「婚約者でいらっしゃる…」



エヴリーヌはマクシミリアンから視線を逸らし、訴えかける様に侯爵を見れば、そうだと頷く。侯爵と夫人、シャルルは扉は開けておくからと言い残し退室して行った。



「これまでの私の態度に愛想が尽きたのだとは分かっている。今更こんな事を言っても説得力にかけるのも理解している。だが私に見切りをつける前に一度だけ機会をくれないだろうか」



エヴリーヌの目の前でマクシミリアンは跪き、紫水晶のような美しい瞳が真っすぐ彼女を捉えた。数日前に宮廷魔導師団へとやって来たマクシミリアンを見た時、初めて会ったはずなのに心が締め付けられるように感じて、なるべく視界に入れないようにしていた。



幸か不幸かバルテル副師団長に用事を訪ねて来たそうで、直接エヴリーヌとは関りが無かった。訓練でジュリー様と外へ移動するとなった時も、心を掻き乱されずに済むと安心したのだが反面、何故か後ろ髪を引かれるように彼が気になった。



彼と向かい合っているとこれまで以上に、心臓がドキドキと五月蝿い。けれどこの高鳴りは不思議と嫌なものではない、今ならそう断言できる。




「…ごめんなさい」



紫色の双眼が小刻みに揺れ、落胆の色が隠せないほど輝きが失せていく。何かを言いかけて伸ばそうとした手を途中で引き戻した。



「謝らないでください。エヴリーヌ嬢は何も悪くない。私の所為なのですから全て此方の有責で処理してください」



僅かに残る気を振り絞り、マクシミリアンは仮面のような笑顔を貼り付けた。



「これからのエヴリーヌ嬢の人生が幸多きものである事を祈っております」



これ以上この場に居たら、不覚にも涙がこみ上げてきそうだと扉に向かう。一刻も早く立ち去りたい。せめて最後くらいは格好つけたいじゃないか。




「マクシミリアン様、お待ちください」



背を向けたまま立ち止まり、声が震えないように、なんでしょうと返した。



「少し私の話を聞いていただけませんか。ごめんなさいというのは、そういう意味ではなくて」



引き留めてくれた、ただそれだけで嬉しくて。例えこれで二人の道が分かたれるとしても、マクシミリアンは今この瞬間を喜んだ。



「先日、我がポートリエ家の敷地内で神の悪戯が発生しました」



目を見開き、まさかと驚いて振り返るマクシミリアンを見て、エヴリーヌは頷いた。



「お察しの通り、私が倒れた原因はそれです。その場に居合わせた私は魔力に中てられ、意識を失ったのです」



「そんな大事になっていたのに、私ときたら…すまない」



マクシミリアンは俯き手を握り締めた。



「顔をお上げ下さい。マクシミリアン様は大事な時期だったと窺っております。今はこの通り、身体は回復しておりますから。ご存じでしょうが、突如として私は魔力を得ました。こちらも神の悪戯が原因かと」



「活躍は聞いている、努力も継続されていると。だが、本当に問題は無いのだろうか。好ましい変化だけなら良いのだが、前例が無いだけに何が起こるか未知数だ。その…最近のエヴリーヌ嬢を見ていると何かあったのではないかと感じていた。辛い事があるなら教えて欲しい」



マクシミリアンを見つめるエヴリーヌの眉尻が下がる。



「記憶が、大切な人達と過ごした時間が思い出せないのです。自分が何者かさえも」



次の瞬間、エヴリーヌはマクシミリアンの腕の中に居た。吃驚して身体が硬直するが、爽やかな柑橘の香りと温かさが伝わってくる。先程より心音が激しさを増しているのに、不思議と気持ちが満たされていく。



「一番傍で支えなければいけない時に…私は何という事を…。謝っても謝り切れない。許さなくていい、だが償いをさせてくれないか」



思わず抱きしめてしまった事をすまないと謝罪し、耳を赤く染めながらエヴリーヌからマクシミリアンの手が離れた。その状況に少し残念だと思っているのにエヴリーヌは気付いてしまう。このまま離れてしまったら間違いなく後悔するだろうと。



「今後記憶が戻るかも分からない、ですから」



「あぁ、何でも支えよう」



「改めて今日から一緒に思い出を作ってくださいませんか。マクシミリアン様の事、色々教えてください」



マクシミリアンはエヴリーヌを見たまま暫く停止していた。エヴリーヌがマクシミリアン様と呼ぶ声に我に返り、恐る恐る口を開いた。



「本当に?それこそ私の願いなのだが」



満面の笑みを浮かべたエヴリーヌを目にする事が出来た喜びを噛み締めながら、やはりこの人しか居ないとマクシミリアンは改めて感じた。




「色々やりたい事があるのです。全てに付き合っていただくので大変ですよ?」



「あぁ、臨むところだ」




どちらからともなく笑い声が上がり、二人は今後やりたい事に花を咲かせた。







「漸くか。あの若僧め手間を掛けさせおって。だが私はまだ認めた訳ではない。あんな奴に可愛いエヴリーヌはやれん!」



「そうです、父上。エヴリーヌを悲しませた前科のある男です。当面の間は引き続き監視下におきましょう」



「おぉ、シャルル。それがいい」



傍で夫と息子の様子を眺めていた夫人は小さく溜息を吐いた。



「いい加減、子離れ妹離れしていただきたいものだわ」



紅茶を一口飲み身体中に広がる温かさと香りを堪能する。しょうもない打ち合わせを真剣にしているこの人たちも、一息入れれば冷静になるのにと苦笑する。



「幸せにおなりなさい、エヴリーヌ。忘れてしまったままでも今の貴女を創り上げた過去は在り続けるのだから」




いつの間にか朝からの雨が止み、窓から日の光が差し込んでいた。







「そうか、何とか間に合ったかマックス」



「はい、これから休みの日には二人のやりたい事を交互にしていく事になりました」



普段、表情を変えず常に冷静だったはずのマクシミリアンの姿は何処にも無かった。緩み切った顔を終始曝け出しているのだ。



「まぁ良かったとは思うけど、ちょっと鬱陶しくはあるな」



兵法の本を読むのに少し飽きたルイが、本を伏せながら伸びをした。




「こちらを使ってください。本が傷むでしょう」



そこに栞をはさみ込むと、ジュストが本を閉じる。



「少しは余韻に浸らせてあげましょう。問題は残っているのですから」



ジュストは書類仕事に取り掛かかり手を動かしながら、あぁと口を開いた。



「エヴリーヌ嬢との問題は解決したのでしょうが、今日も宮廷魔導師団に行ってくださいね。仕事は最後まで責任を持っていただかないと」



勿論だと返すマクシミリアンをオクタヴィアンは笑顔で送り出す。



「予算照会は今日で終わらせて来るように。それからジュリーに宜しく伝えて欲しい」



その名を耳にした途端、マクシミリアンを取り巻く空気が重くなるも、承知しましたと彼の地に向かって部屋を出て行った。







「本日もお越しくださり誠にありがとうございます。早速取り掛かるとしましょう」



バルテル副師団長は穏やかにマクシミリアンを迎え入れた。



今日も執務机では師団長殿とエヴリーヌが肩を並べていた。マクシミリアンがやって来たのを確認するとエヴリーヌが笑顔を向けた。



「マクシミリアン様、いらっしゃいませ。お会いできて嬉しいです」



「エヴリーヌ嬢、貴女もせいが出るな」



このやり取りを見たジュリーは、少し驚いたように二人と見渡した。



「ふーん、そっかぁ」



エヴリーヌの肩に手を回すと、外の訓練場へと誘った。



「コルネイユ殿、そのような行為はご遠慮いただけないだろうか。我が婚約者であるエヴリーヌ嬢も困っているではないですか」



待ってましたとばかりにニヤリと口元が弧を描き、けれどエヴリーヌから離れもせずに振り返った。



「プレオベール殿、エヴィは厭がってなんかないですよ。ねぇ、エヴィ?」



困ったように眉尻を下げながら、エヴリーヌは呆れたように肩を竦める。



「…嫌ではないです。けれどジュリー様、子ども扱いしないでいただきたいと再三申しておりますのに」



途端、ずぶ濡れになった子犬のように、情けない顔を貼り付けたマクシミリアンがブツブツと小さく呟く。



「嫌ではないのか…ではやはりプレオベール殿の事が好きなのでは…」



「勿論好きです。魔法の師匠として尊敬しております。私には兄が一人しか居らず二人兄妹ですから、お姉様に憧れがありますもの」



マクシミリアンが、ぽかんと口を開けて停止する。



「お姉様…?しかしコルネイユ殿は…」



「酷いなぁ、まさか男だと思われてたって事?どこからどう見ても淑女だろう?アンリもそう思うよね?」



クスっと笑いながらも、仕事の手を止めないバルテル副師団長は優しい視線をジュリーへと向けた。



「えぇ、私にとっては誰よりも美しい妻ですから」



「ははは、ありがとうアンリ。愛しているよ」



マクシミリアンは二人を交互に見渡すと、大分経ってから、はぁーと深く安堵した。



「師匠としては勿論、姉のように尊敬しております。そしてジュリー様とアンリ様のような夫婦が理想的だなと」



「仲良しだからねー、アンリと私は」




穏やかな笑顔が響く中、今日も仕事が手に付かない自分に人知れず喝を入れるマクシミリアンだった。







「あぁ、知らなかったのかマックス。ジュリーは美しい女性だから間違えるとは思わなかったよ」



「マクシミリアン以外、みんな知ってたけどな」



マクシミリアンが助けを求める様にジュストに視線を寄越す。



「令嬢が有志で応援隊を作っていると教えてくれたじゃないか、だから」



「一言も男性だなんて言ってません。興味がないものに関心がなさすぎなのです」



「…返す言葉も無い」



オクタヴィアンがパンと両手を一回叩いた。



「ジュリーは既婚者だからね。夫に一途という健気な女性でもある。しかも二人の間には三人子どももいる。とても子煩悩なんだ」



「なっ…」



いつもの様にハハっと笑いながらも殿下は書類の山を片付けていく。




「だから言ったろう、そこまでジュリーを警戒しなくてもいいと」



手の込んだ悪戯が成功したみたいに、オクタヴィアンは、にやりと不敵な笑みを浮かべていた。







こうして二人でゆっくり過ごすのは何時ぶりだろうか。ポートリエ家の四阿にて二人だけの茶会。穏やかな時間が過ぎていく。



このまま幸せな時間が続けばいい、けれどマクシミリアンはそうはならない事も理解していた。




「エヴリーヌ、改めて聞きたい事がある」



最近では敬称のない名前呼びが出来るように進化したのだ。最初は緊張したが、漸く板についてきた気がする。



「何でしょう、マクシミリアン様」



「卒業後の進路について、正式に宮廷魔導師団に入団するのだろうか。その、引き留めている訳では無いんだ、エヴリーヌが希望するなら全力で支えよう。エヴリーヌの意思を尊重したい」



眼鏡の奥の瞳が揺れていた。



「はい、魔法の可能性に懸けたいのです」



「そうか、応援している。代わりと言っては何だが、お願いがある」



何でしょうとエヴリーヌは微笑む。その眩しさに、あぁもう片時も離れたくないとマクシミリアンは腹を決めた。今後の人生が左右されるのだ、一時の恥ずかしさなどくれてやる。



「どんなに忙しくても寮に入らず通いにしてはくれないか。必要なら私が送迎する」



その真剣な眼差しに、エヴリーヌは頷いた。



「そのつもりでした。私もマクシミリアン様と離れるのは嫌です」



安心して気が抜けたマクシミリアンは思わず笑いだした。




「そうか、一人であれこれ悩んでいたがこんなにもあっさり解決してしまうなんて。会話は大切だな」



「本当にそうですね。これからも色々と話をしましょう」



頷くエヴリーヌを見つめながら、そうだとマクシミリアンが続けた。



「質問ついでに教えて欲しい。エヴリーヌに贈った金の髪飾り、大きな丸い紅玉が付いているものだ。流行りの形ではないから気に入るものではないと思うが、最近使ってくれていないなと」



うーんと小さく悩むエヴリーヌ。宝石箱にも入っていなかったはずだと首を傾げる。そこへ赤髪の侍女が足早に近づいた。



「お嬢様、お倒れになった日にも付けていらっしゃいました。もしかするとあの日、薬草畑に落とされたのでは」



それならと早速二人は薬草畑へ確認しに行くことにした。






「見事なものだな」



一面を埋め尽くすカミツレが白い波のように風に揺れていた。



「素敵でしょう?」



徐にマクシミリアンが蹲り、カミツレを優しく掻き分けた。エヴリーヌが覗き込むと、大粒の赤い宝石がついた髪飾りが太陽光を浴びて輝いていた。



「赤い光が見えたんだ」



土を払いのけマクシミリアンがポケットに仕舞い込もうとすると、エヴリーヌが引き留めた。



「着けてはくださらないのですか」



手に握り締めたまま、気まずそうにマクシミリアンは目を伏せた。



「大きな宝石の所為で重い上に、古臭い意匠だ。改めて別の物を贈りたい。次は紫水晶を使ったものを着けて欲しくて」



何でこの石を選んでしまったのか…しゅんと肩を下げ落ち込んでいるマクシミリアンが、何だかとても愛おしい。



「楽しみにしております。でもその髪飾りは貴方から初めていただいたものでしょう?私にとって宝物なのです」



それならばとエヴリーヌの髪に髪飾りを付けた後、マクシミリアンは手を止めて聞き返した。



「…エヴリーヌ、今なんと?」



「私の宝物なのです」



「もう少し前」



「貴方から初めていただいたものだから」



マクシミリアンに後ろから抱きしめられた。



「思い出したのですね」



マクシミリアンの手に自分の手を重ねた。



「断片的に、ですが」



よかった、そう呟きながらもマクシミリアンの腕は僅かに震えていた。



「…私は幻滅されていませんか。貴女への酷い態度や情けない姿を沢山見せてしまった。思い出された今、捨てられてしまっても仕方ないのは分かっている。だが」




「大丈夫です、私が傍にいます。いつまでも」



「…あぁ!エヴリーヌ。ありがとう」




ふわりと頬を撫でた風に小さな虹が浮かんでいた。






おわり




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ポンコツすぎるマクシミリアンに笑いました。
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