◆1◆
ご覧いただきありがとうございます!
魔法は大好きだ。無限の可能性を秘めているから。何かを生み出す事も出来るし補助や援護だってお手のもの。何より同じ魔法だとしても、詠唱者の色に染まり変化するのも奥が深い。
けれど私には魔力が無い。
初めて見た魔法は小さな虹がキラキラと瞬き、直ぐに消えてしまうものだったけど、何度も何度も見せてとせがんだのを覚えている。
同世代の子ども達が簡単に繰り出すこの初歩的な魔法ですら、自分には不可能という事実に落ち込んだものだ。
生活魔法など、幼い子どもでも使い熟すこの国で、魔力無しでは差別される。下位貴族や平民だったなら、碌な仕事につけなかっただろう。ただ、今日まで残念な目を向けられたり陰口を囁かれても、表だって何かをされた記憶が無いのは、ポートリエ侯爵家に生を享けた事に感謝せざるを得ない。
貴族の子ども達が集まる学園でも、魔法の実技が振るわない…というか何も出来ない分、せめて知識だけでもと侯爵家の力を十二分に使い、魔法に関する様々な本を読み漁った。筆記試験だけは毎回満点を取り、それで何とか及第点ギリギリを維持していた。
そんな私を心配した家族が婚約者を決めてくれたのは、14歳になった頃。好条件の相手を紹介してくれたのだ。
彼はマクシミリアン・プレオベール。プレオベール公爵家の嫡男だ。艶やかな黒髪を後ろで一つに結び、細い銀縁の眼鏡の奥にあるのは光を湛えた紫水晶の瞳。美丈夫な彼は令嬢からの人気も高い。更に次期宰相補佐とも噂される、頭脳明晰な上に剣の腕もかなりのもので、剣術試験の時などは割れんばかりの黄色い声援が沸き上がる。
顔合わせの時も、嬉しいというより何故先方が承諾したのか疑問に思ったし、今でも理由が分からない。横に並ぶのが地味な薄茶髪の私でいいのだろうか。自分自身では翠色の瞳を気に入っているけれど、珍しい訳でもない。
「初めまして。ポートリエ侯爵家エヴリーヌでございます。お会いできて幸栄です」
「プレオベール公爵家マクシミリアンです。良き縁に感謝いたします」
朗らかに目を細め、流れるように差し出された手を取れば、何とも自然な動きで口付けが落とされる。
「これから共に歩いて行けるのが貴女で良かった」
「こちらこそ宜しくお願いいたします」
余りの事に思考が停止し危うく硬直しかけたけれど、何とか返事を捻り出した。好きな本の話、休日の過ごし方、行ってみたい場所など、少しずつ意見を交わしていくうちに案外似た趣味嗜好があり、何時の間にか会話に夢中になっていた。
あぁ、この人となら生涯穏やかに過ごしていける。
そう思った時もあったなと、遠くを眺めてしみじみしてしまう。若さゆえの恋に恋した熱病みたいなもの、何よりあんなに素敵な彼なのだ。過去の自分が勘違いしてしまうのは仕方がない。今はもう儚くも脆い一時的な感情だと理解している。
その後、行われた親睦の為の茶会も、席に着き紅茶が給仕されたと同時に彼の従者が慌ただしくやって来た。
「ご歓談中、誠に申し訳ございません。マクシミリアン様、第二王子殿下からの御呼び出しに御座います。お急ぎくださいませ」
「…分かった」
最初の一杯を飲み干すと「すまない、この埋め合わせは必ず」と風のように駆け抜けていった。
残された従者は顔を青くして頭を低く低く下げた。何だかとても気の毒だ。
「お知らせいただきありがとうございます。誰の所為でもありませんもの。引き続き、マクシミリアン様のお力になって差し上げて」
ホッとしたように礼をして、その場を去って行く従者の後ろ姿を見送った。
そんな風に会の中断からの退席が度重なっていき、一年が過ぎた頃には初めから従者しか来なくなった。当然、その間に途中で退席した補填なども無かった。
オクタヴィアン第二王子殿下の側近に選ばれた大事な時期だったからと信じたかったけれど、毎度の事となると察して余りある。差し詰め、マクシミリアン様も魔力が無い私に納得がいかないと改めて思い直したのだろう。当然だ、公爵家に旨味が無さ過ぎる。寧ろ負の要素しかないのだから。けれど私だってあからさまに避けされれば傷つきもする。だって初めから分かっていた事なのだから。それを考慮した上での、貴族同士の婚約ではと独り言ちる。
ふとマクシミリアン様と彼を取り巻く数多の令嬢達が思い出される。露骨ではないものの、煩わしそうに彼女達から顔を背けるマクシミリアン様。
…なるほど。都合の良い女避け、更に何をしても文句も言わない令嬢など限られている。そう考えると合点がいく。しかしそうだとしても。
「取り繕う事も無くなってしまったのね」
恒例となった従者の後ろ姿をぼんやりと見ながら、ふぅと溜息を吐く。ここまであからさまに避けられると流石に傷つく。けれどこの状況を甘んじて受け入れる事しか出来ず、乾いた笑いが漏れる。
(あぁ、それから)
パンと両手を合わせた。
互いの誕生日といった記念日においても、直接会ったのは1年目だけだった。
「流行りの意匠だと聞いたので、これを貴女に」
純度の高い黄金を使った髪飾りは、大粒の紅玉がギラリと輝き主張している。一目見ただけで分かる最高級品だ。しかしどう見ても地味な色味で質素な装いのエヴリーヌには華やか過ぎる。が、すぐに身に着けた。やはり宝飾品だけが浮いてしまい、着られている感が否めない。
(これ、どこかで…)
何か見覚えがあると思たら、魔法石を核に持つ野性味溢れる岩の塊であるゴーレムだなと脳裏を掠め、吹き出した。勿論心の中でだけど。
「このような素晴らしいものを、ありがとうございます。…いかがでしょうか」
マクシミリアンはちらりと見たきり、すぐに紫色の目を伏せた。
「あぁ、似合っている」
その態度はマクシミリアンに集う令嬢達に向けられたものと同じで。エヴリーヌに興味が無い事は明白だった。義理でも高価な物を用意したというのに、力不足で使いこなせない事に呆れられたのか。不甲斐なさで情けなくなる。
それでもまだ顔を合わせただけ良かった。二年目以降、エヴリーヌの誕生日には贈り物に手紙が添えられて届けられた。せめてマクシミリアンの誕生日には会う約束を取りつけたかったが、第二王子と行動を共にすると断られてしまった。
それからは親睦の茶会も開催されず、マクシミリアンを見かけるのは学園ですれ違うくらいになった。見かければ此方から挨拶をしていたのだが、エヴリーヌが近づくとマクシミリアンが顔を顰め、彼が友人を紹介する事も無い。次第に距離を置き、目で追うだけになっていった。
マクシミリアン様の分かりやすい態度に、彼を慕う令嬢達は私を見れば良く通る声で噂話をするようになっていた。
「侯爵令嬢と言っても、魔法が使えないのでは貴族として示しが付きませんもの」
「それに随分と慎ましやかな見た目でしょう?マクシミリアン様の横に立つに相応しくありませんわ」
「マクシミリアン様と釣り合う御令嬢は数多くいるのですから、早く婚約を辞退された方が宜しいのではなくて?」
至極当然な意見にエヴリーヌは内心大きく頷いていた。何ならこの場に居る誰よりも共感していたに違いない。だから普段と変わらない様子がいけなかったのだろう。実際、悔しくも悲しくも無かったから仕方ないのだが。
「何なの、あの余裕そうな態度。マクシミリアン様に相手にされていない癖にっ」
「少しは惨めたらしい表情でも浮かべなさいなっ」
「あんなものの近くに居ると魔力が吸われてしまうわ、汚らわしい!」
ぷりぷりと敵対心を露にしたまま立ち去って行った。魔力が吸われる?ならば魔獣からでも摂取すれば万人が魔力持ちだ。そんなに簡単ならどんなに良かったかと溜息を吐く。…何にせよ選択を誤り、怒らせてしまった。
そんなある日の事。気分転換にポートリエ家の庭園を歩いていた。奥まった片隅にあるエヴリーヌ専用の薬草畑へ足を向けた。
一昨日撒いた種が幾つか芽吹いていたらいいなと、鼻歌交じりに歩を進める。最近では一人でこの場所に籠るのが一番の癒しとなっていた。
いきなり目の前が白く霞んだ。…と思ったが、靄などではない。辺り一面白い花が咲き乱れていた。
「そんなまさか、これは…?」
我を忘れて跪き、カミツレを一輪摘み取る。
「きれい…」
花をまじまじと眺めた。通常であれば太陽にも似た鮮やかな黄色をしている花芯は、澄み渡る空のように青みを帯びており、花弁の先に向かって色が白くなっている。芳醇な林檎にも似た香りが強く辺りに充満していた。
魔力の無いエヴリーヌですら、このカミツレが高純度の魔力を帯びているのが分かる。辺り一面、白さと青さが幻想的で吸い込まれそうだ。
「雲の上みたい」
辺りを見渡しながら両手を横に広げれば、空を飛んでいるかのようにフワフワとした気分になる。まるで魔法のようねと気分が高揚していたからだろうか。
舞い上がる羽根になった気分のまま意識を失った。
◇◇◇
「おいマックス、あそこに居るのはお前の婚約者だろう?此方を見ている、挨拶に来そうだな。行ってきていいぞ」
オクタヴィアン第二王子殿下は周囲の変化に目敏い。晴天の青空の様な瞳をキラリと光らせ、我が婚約者殿を見つけたようだ。また茶会の予定でも取り付けようというのか、エヴリーヌは。少しだけ気が重い。
「今は殿下に仕えております時間故、私用に割く事は御座いません」
「相変わらずマックスは固いな。しかし婚約者との交流も側近としての重要な仕事だと心得よ」
殿下がキラキラと輝く金髪を掻き上げると、周囲の令嬢がほぅと溜息を吐く。男の自分が見ても神々しいと思う程だ。
「エヴリーヌ嬢か、控えめだが大層美しい女性ではないか。それに教師陣の間では敏いと評判だ。大切にするのだぞ」
今はそれどころじゃない。内心、舌打ちをしながら是と頭を下げた。
◇◇◇
カミツレの香りが身体中を駆け巡る。爽やかな香りが強くなるにつれて焦点が合うように意識が浮上した。
「お嬢様!お分かりになりますか?ミラです!」
赤い髪が印象的な太陽みたいに溌溂とした侍女が寝台を覗き込んだ。視線が合わさると薄っすらと瞳を潤ませながら安堵で顔を緩ませた。
「お嬢様が目を覚まされました!侯爵様と奥様に報告を!」
あっという間に壮年の男性と彼に寄り添う女性、その二人に良く似た青年が寝室に集合した。
「良かった。エヴリーヌ、本当に心配した。シャルル兄さまと呼んでおくれ」
「お母様に抱きしめさせて」
「三日も意識を失っていたのだから、無理をさせてはいけないよ。あぁ、でもしっかりと顔を見せてくれないか」
エヴリーヌは俯きながら声を震わせた。
「……ごめんなさい」
「謝らないでいい、お前の身体が一番大事だ」
侯爵の言葉に皆が頷き、エヴリーヌを温かく見守っている。
「そうではなくて…」
「どうしたんだい?何処か痛い所でもあるのか?」
シャルルがエヴリーヌの手を取り握り締めた。
「身体は問題ありません」
皆がエヴリーヌを覗き込むと、委縮しながら小さな声を絞り出した。
「あの、私…誰なのでしょう」
そう突っ伏した途端にエヴリーヌから白い光が溢れ出した。
◇
「つまりエヴリーヌ自身の記憶が全て抜け落ちてしまったというのか。辛うじて日常生活に関する事は覚えている…と。当然、我々の事も覚えてはいないんだね」
僅かに眉尻が下がったポートリエ侯爵に、罪悪感で心が痛んだが素直に頷いた。
「はい、申し訳ございません」
「気に病む事は無いよ。大丈夫、焦らずゆっくりと思い出せばいい。…しかし我が家の敷地内に神の悪戯が発生するとは」
通称、神の悪戯は魔素だまりの事。空気中の魔力が一ヶ所に留まり濃度が高くなる。通常であれば木々が生い茂る森の最奥や陸から遠く離れた大海原などで発生する為、話でしか聞いた事は無かった。
そんな神の悪戯がポートリエ侯爵家の庭園、エヴリーヌの薬草畑に神の悪戯が発生。撒いたばかりの種もその影響により勢いよく芽吹き、瞬く間に成長したようだ。中々戻って来ないエヴリーヌを探しにミラが向かった時には、成長したカミツレ以外は普段と変わらなかったと報告があった。
植物を急激に成長させても尚余りある魔素が、大量にエヴリーヌの体内に入り込んでしまった。魔力の無い彼女は抵抗すら出来ずに、大半を吸収し気を失った。意識は戻ったものの、記憶の一部を失った状況と推測される。
そして先の発光。エヴリーヌの感情が揺れ動くのと連動して、浄化魔法が展開された。
詳細は分からないが体内に取り込まれた神の悪戯により、エヴリーヌは魔力を手に入れていた。エヴリーヌから放出された浄化魔法は突発的なものだったが、魔力暴走のような制御不能という訳ではなく弱っていた彼女の心と身体を癒していた。
その後、色々と試してみた結果、初歩的な魔法なら難なく使える事を確認した。件の虹を出した時のエヴリーヌの喜び様は見ていて感慨深かった。
「エヴリーヌ、良かった…と言うべきなのかな。魔法については少しずつ学んでいけばいい。記憶の方もそうだが、無理はいけないよ」
「はい、お父様」
ポートリエ侯爵は優しく頷いた。それから急に鋭い瞳に切り替わると侍従に視線を向けた。
「時にマクシミリアン殿には連絡しているのか?」
その瞬間、僅かにエヴリーヌの顔に陰りが浮かんだのを侯爵は見逃さなかった。
「はい。エヴリーヌ様がお倒れになった半刻後には。翌日になって手紙とお花が届けられました」
そう手を向けた窓際の小さな机には真っ赤な大輪の薔薇が花瓶に活けられていた。その傍にはプレオベール公爵家の刻印が入った封筒が置かれていた。
侍従から封筒を手渡されると、侯爵は徐に封を開いた。手紙に目を通すとすぐさま握りつぶした。
「エヴリーヌ、まさかとは思うがマクシミリアンを覚えているのかい?」
エヴリーヌは俯きながら頭を横に振った。
「いえ、分かりません。ただ…」
不安そうにする娘を思い、侯爵夫人がエヴリーヌの背中をそっと摩る。
「お名前を耳にした時、胸が詰まったように感じたのは確かです。…けれどこの感情が、どういったものかよく分かりません」
「…あの若僧が。見舞いにすら来ないとは我がポートリエ家も舐められたものだ。…まぁ、いい。記憶喪失の事は奴が気付くまで伝えるな。意識が戻った旨のみ早馬を出しておけ」
「かしこまりました」
足早に侍従が退室していくのを目で追いながら、エヴリーヌは首を傾げる。
「どなたなのでしょうか、そのマクシミリアン様というのは」
侯爵は普段の穏やかな顔から一変し、怒りを露にした。
「マクシミリアン・プレオベール、プレオベール公爵家の嫡男でありエヴリーヌの婚約者だ」
瞳を大きく見開き、驚きが隠せないエヴリーヌは増々落ち込んでいく。
「婚約者…。そのように大切なお方まで思いだせないなんて…」
「全く問題ない。彼の日頃の態度を見れば自業自得だろう。記憶喪失は強い心的外傷からくると、先ほど診察してくれたオラース医師が言っていた。全てが彼の所為だとは言わないが、大半を占めている可能性もあるのではないかな」
侯爵の意見に母も兄も深く頷いている。
「何にせよ」
柔和な顔から一変して、父は不敵な笑みを浮かべた。
「私の可愛い娘を蔑ろにするなど、調子に乗った罰だ。多少は絶望に苦しむがいい」
相手は公爵家ではと慌てるエヴリーヌの頭を撫でる。
「少しの間は学園休むといい。嫌な事は忘れて今は楽しい事だけを考えるんだ。魔法が使えたら色々やってみたいと言っていたのは誰だったかな。魔術に詳しい教師を付けて学んだらいい」
魔法に関する事だけは辛うじて覚えていたエヴリーヌに、たちまち笑顔が戻った。今日はゆっくり休んでと言い残して家族は部屋を出て行った。
やりたい事をやっていい、こんなにも心躍る瞬間は何だか久しぶりな気がした。
◇
「お初にお目にかかります。ジュリー・コルネイユと申します。一応、宮廷魔導師団にて長を務めております。以後お見知りおきを」
散歩が出来るまで体力が戻ってくると居ても立っても居られなくなり、侯爵に魔術の教師を手配して貰った。それがまさか宮廷魔導師団長とは夢にも思わなかった。
金色の瞳と同じ色の組紐で真っすぐな銀髪を後ろで一つに結んだ美しい人だ。その全てが日の光を受けてキラキラと輝いている。
「エヴリーヌ・ポートリエにございます。魔術を扱うのに慣れておりませんので、基礎から学ばせていただければと思っております。どうぞよろしくお願いいたします」
はははと笑いながらジュリーは右手をひらひらと振った。
「ご謙遜を。そこまで強靭な保護魔法を展開されていらっしゃるというのに。余程、魔法の何たるかを理解されているとお見受けいたします。昨日今日で魔力を開花させたばかりとは到底思えないですから。…恐らく元々素質はおありだった上に努力もされていたのですね。つまり神の悪戯は切欠に過ぎない。私はほんの少し手助けできるかと言ったところでしょう。エヴリーヌ様か…、でしたらエヴィとお呼びしても?私の事はジュリーと」
「えぇ、ジュリー様のお好きなように。けれど、保護魔法…ですか?」
「無意識でそれですか。これは面白い。そうですね、目を閉じて額の中心に意識を集中してみてください。そうすると自身の周りを包む膜のようなものを感じませんか?」
エヴリーヌは言われた通りに瞼を下ろした。すると自分の鼓動と共に温かな魔力の流れに覆われているのに気が付く。
「あっ…!」
「説明だけで理解してしまうなんて、私の生徒は優秀ですね。ではすぐにでも応用編と参りましょう」
魔法に憧れがあったから、これまでエヴリーヌは色々な書物を読み漁っていた。それにより培ってきた知識が実践と結びつき、まさに点と点が線で結ばれていく。網目の様に無限の可能性が広がるのだ。
日に日にできる事が増えていく。その面白さからエヴリーヌが魔法にのめり込むのは当然の結果だった。
結局、あれから学園には登校する事はなく、元々優秀だったエヴリーヌはジュリーの口利きで全ての課程を特別に修了してもらい、宮廷魔導師団で学ぶ事になった。
五日もすると高位の魔法が使える様になっていた。
暗闇の中から強靭なゴーレムを作り出し、風が身を守る盾となり、炎が魔物を瞬く間に焼き尽くし、膨大な量の水が全てを浄化した。
「何の変哲もない風切りの魔法が、そこまで強くできるなんて。一体どんな思考回路をしているんだ」
「ほんの少しだけ土魔法を混ぜてみました」
「相反する魔法同士を融合したのか!?反発の対策は?」
「どちらかが強すぎても弱すぎても相殺してしまいます。ですから大事なのは互いの分量。今回は風の方が優位になりますので、少し減らし風4の土5。残りの1は二つを結ぶ地点に無の空間を作り緩衝材にする事で上手くいきました」
団員たちは互いに顔を見合わせ目を丸くする。
「思いつきもしない発想だ」「本当だ!これはすごいぞ」
エヴリーヌと向き合い言葉に耳を傾けてくれる。時には意見が異なり対立もするが、それは更に上を目指す為。共に達成する喜びを知った。それがどれほど有難い存在なのか、エヴリーヌは実感した。全てが初めての体験だった。
だからだろう。
エヴリーヌは婚約者の存在を忘れていた。そもそも記憶から消え去っていたのだが、聞いていたはずの名前すら頭から抜けていた。悲しいかな、婚約者と会わなくても互いの生活に何の影響もないほど、彼との接点がなくなっていたからだった。
◇◇◇
「プレオベール様、貴殿は心が広くていらっしゃる。どうすればそのような境地に達する事が出来るのです?私には到底理解できない。貴方を見習い、日々精進せねば」
ロドルフ・ラクール伯爵子息か、日頃から何かと絡んでくる面倒な奴だ。オクタヴィアン殿下の側近候補として競い合い、私が選ばれてから敵視され続けている。
「あぁ、そんな事も知らなかったのか。マックスは自己を犠牲にしてまで私に仕えてくれている。信頼に値する男なのだ」
胸を張り家臣を慮る言葉を掛けてくれるオクタヴィアン殿下に視線を向けた。ロドルフに対しては敢えて様子を窺う事にした。奴は何も言っていないのに、ペラペラと話し出した。
「貴殿の婚約者ポートリエ嬢の噂で社交界は持ち切りだ。さぞかし鼻が高いのでしょうね。婚約自体が魔力無しと煙たがられていた令嬢を救済する奉仕活動の一環かと思っておりましたが、初めから分かっていたのですね?貴殿らしい卑怯なやり口だ」
そう言えば最近、エヴリーヌの姿を学園で見かけていない。目立たず過ごしているのだろうと安心していたのだが、彼女が話題にされている…?
「…すまない、何のことだか分からない」
マクシミリアンの表情から嘘を吐いているようには見えなかったのだろう。ロドルフは、やや焦りながら殿下とマクシミリアンを交互に見渡した。
突如として魔力を得たエヴリーヌは、既に学園での課程を修了し、現在は宮廷魔導師団に仮所属している事。卒業と同時に正式な入団を勧誘されており、滅多に居ない女性魔導師に世間を騒がせている事。婚約者は居るが良好な関係とは言えない為、宮廷魔導師団の未婚男性団員全てが色めきだっている事。婚約が白紙撤回されるかもしれないと先読みした者から釣書の山が届いている事。
全部知らなかった。
しかも魔導師団に入るのは、ほぼ確定事項らしい。師団長が直々に国王陛下に嘆願したのだとか。
「貴族令嬢が働くというのは、余程貴殿が理解を示しているのでしょうね。それとも噂通り婚約を解消なさるのでしょうか」
ロドルフは侮蔑に顔を歪めながら、見下すように視線を寄越した。
「この婚約が無くなる事はない。そこまで理解して支えていく覚悟があるのだ、流石だろう私のマックスは」
オクタヴィアン殿下が自分の事のように自慢した所で、ロドルフは小さく舌打ちをして立ち去って行った。
「お前は本当に器が大きい男だ」
殿下に肩を叩かれたところで、遂に膝から崩れ落ちた。
「マックス、お前まさか…本当に知らなかったのか?」
オクタヴィアンに加え、彼の側近であるジュスト・フォンテーヌとルイ・ダングルベールは顔を見合わせた。
文官で頭も切れるジュストが顎に手を当て思案する。
「マクシミリアン、今知ったのはどれだ。はぁ?全部?学園に来ていなかったのも気付いてなかったのか、冗談!…ではなさそうだな」
気付け薬の替わりに強めの蒸留酒をマクシミリアンに渡しながら、ルイが顔を青くする。
「この状況は不味いぞ、今更入団は断れない。入団したら最低三年は碌に帰宅もままならないだろうな。見舞いにも行って無かったし、てっきり彼女の事が嫌いなのかと思っていた。婚姻後に愛妾でも囲うのかと。その割に女の影は無かったからおかしいとは思ったんだが」
少し離れた場所で座っていたオクタヴィアンが足を組みなおす。
「待て、二人とも。こう見えてマックスは出来る男だ。誕生日や記念日なんかにはマメに贈り物をしていたと聞いている」
殿下が期待の眼差しをマクシミリアンに向ける。自分でも驚くくらい小さな声しか出せない。辛うじてジュストだけが聞き取れたようだ。
「なに?会って手渡したのは一度きり?いやでも、手紙だ手紙は!普段から頻繁に来ていたじゃないか。…返事を忘れていたら来なくなった?当たり前だろう。殿下、コイツ婚約者に対してはポンコツですよ!」
「側近としての仕事だけでなく、自身の家庭にも気を配れてこそだ。私がお前に頼り切りであったのも悪かったと思っている。しかし、学園で見かけた時には声を掛けろと言ってきたと思うのだが、公務だと生真面目に話もしなかったのはマックスが悪い。側近から外す事は考えていない。が、今後のお前の行動次第では一度、側近補佐に戻す可能性もある。どうにかして彼女の信頼を取り戻せ、婚約が白紙に戻るのだけは阻止しろ。いいな」
それからどうやって帰宅したかも定かではないが、気付けば自室で途方に暮れていた。
元々は全ての不安から彼女を守り、共に並び歩いていけるように力を付けたかっただけなのに。いつしか、がむしゃらに上へ上へと突き進む事ばかりに目が向いていた。彼女を安心させる為に、盤石な地位や権力は幾らあっても足りなかったから。
◇
「エヴリーヌ嬢と婚約?ポートリエの倅と会いに行ったんじゃないのか?」
愉快そうに目を細めつつ、獲物を狙う様な狡猾さも持ち合わせた父上はフォートリエ王国の宰相として腕を振るっている。実の息子だとしても手を抜く事はない。
「はい、会って剣術の訓練を少しばかり。そこで私の不注意により負傷してしまいまして。いえ、掠り傷ですが。その時に手当てをしてくれたのが彼女なのです」
その後、公爵家の治癒士により跡形もなく完治している左腕を摩りながら、エヴリーヌがこの手を触れた事を思い出す。
「お前もそんな顔をするようになったか。感慨深いものだな」
執務机の上で両手を組みながら僅かに頬を緩める。普段から関わりがある者ですら分からない程度ではあるが。それが一転して敏腕宰相の顔に戻る。マクシミリアンですら思わず背筋を伸ばして様子を窺った。
「彼女を守る覚悟がるのだな?これからエヴリーヌ嬢は様々な迫害を受けるだろう。魔力が無い事は勿論、三大公爵家の一つプレオベール家の次期夫人の座を羨む者は数多い。生半可なものでは彼女を縛るだけだ。それなら初めから諦めるんだな」
この程度の問答は想定内だ。実力は互角、けれど眼鏡が外れてしまい後れを取った。その所為で掠り傷とは言ったが木刀で抉られた腕は感覚を失くし、痛みで視点が定まらなかった。流血したマクシミリアンの元へとエヴリーヌは真っ先に駆け寄り、血で服が汚れるのも気にせず優しく丁寧に手当てをしてくれたのだ。
意識が朦朧とする中、「大丈夫です、私が傍にいます」と無傷な方の手を握ってくれた彼女が夜道を照らす月明りのように温かで不安を払拭してくれた。
そんな事されて堕ちない方がおかしいだろう?
「守ります、この命にかえても」
マクシミリアンの瞳に宿った強い意志を公爵は見逃さなかった。
「…そうか、それなら見せてみろ。誇り高きプレオベール家の血にかけて」
捥ぎ取った勝利に右手を握り締めた。
あくる日、プレオベール家からの早馬により知らせが行き、嫡男マクシミリアン・プレオベールとエヴリーヌ・ポートリエの婚約が結ばれたのだった。
…
あれから目標に向かい、日々精進してきた。けれど、どこまでやっても納得する事はなかった。
そうか、自分に自信が無い事を認めたくなかったのか。だから冷静に周りも見れずに、エヴリーヌの気持ちを置いてきぼりにしてまで。こんな。
今からでも間に合うのか?
…できるかできないかじゃない、やるんだ。
一先ず、状況を整理するべく、エヴリーヌの置かれている現状を把握する為に彼女の元を訪ねる事に決めた。
全3話です。最後までみていただけたら嬉しいです!