染みのついた優先席
優先席付近では、携帯電話の電源をお切りください・・・
金曜日?・・・・・・いや、土曜日になったか。
彼はまだ、何にもなっていない。
何でこんなところに座っているんだよ、お前は・・・だらしのない・・・
早くそこから立ちなさい!
・・・それにしても誰なんだ? さっきから俺に命令してきやがる、うるさいヤツは?
「お客様、終点ですよ。降りてください」
そうか・・・終電の終点だからって声を掛けてきたんだな?
フッ・・・わかりやすいヤツだ。
日中は何も言わなかったくせに・・・見え見えの嘘をつくなよ。
それともココが優先席だから気に食わないのか?
じゃあ、聞くが、アンタらにとっての“優先基準”って何だ?
見た目か? 見た目か? 見た目か? 見た目か?・・・・
結局、見た目なんだろ?
「お客様? 気分が悪いですか?」
ああ、最悪だよ。そんなこと聞かなくても見りゃわかるだろ? 顔色悪いだろ?
・・・原因としては、不眠が考えられます。最近ほとんど眠れてないのでしょう?
そこらにいる酔っ払いみたいにグースカ寝られたら、幸せかもしれないですね。
質問ですが、具合が悪ければ、優先されるんでしょうか?
顔を真っ赤にしたサラリーマンらしき風貌の男が突然、普通席から立ち上がり、意味不明の言葉を発しながら電車を降りていった。
一応言っとくが、俺は素面だからな・・・酔っているワケじゃねえんだよ。
自分に酔っているだけだろ? 電車も停まっているし。乗り物酔いするなんて嘘だろ?
・・・フラフラしているのは、お前自身だな。
スーツを着た若い男の、虚ろな視界に入ってきたのは、若い女性車掌の心配そうな表情だった。
そういえば、最近、女性の車掌をよく見かけるようになったよな?
・・・はい、そうですね!
アファーマティブ・アクションってヤツの結果か?
(一概には言い切れませんが)・・・はい、そうですね!
一昔前までは、こうじゃなかったよな?
・・・はい、そうですね!
この状態は、望ましいのか?
・・・はい、ええっと・・・わ、ワタクシてきに申しますと・・・
単なる皺寄せか?
・・・はい、・・・い、いえ・・・あの・・・皺寄せなどというマイナスのイメージでは・・・
いつの時代も、変わらないもんだよな?
ハイ?
勝ち組がいれば、負け組もいるってことだよ。 それに、お前みたいなヤツがいること。
今まで誰と戦ってきたんだよ、お前は? バカらしい・・・
早くそこから立ちなさい!
「お客様・・・」
・・・やめてくれよ、その言い方。仕事でやっているわけじゃないんだよ、こっちは。
アンタはそうでも、な。
アンタは良いよな、ちゃんとした仕事があってさ・・・
この度は、T線をご利用頂きまして、ありがとうございました。
慎重に検討を重ねました結果、洵に残念ながら貴意に反することになりました。
とっとと、おりろ
「し、失礼しました・・・すぐ降ります」
リクルートスーツを着ていた若い男は、気まずそうに背中を丸めて電車から立ち去った。
少しでもタイミングが遅ければ、彼は不審者扱いされたことだろう。
午前一時十分になる直前の出来事だった。
五両目の車内点検が済むと、女性車掌は前の車両に向かった。
中に入ると、すぐそばの静かな優先席に、長い黒髪の女性が座っていた。
ひっ・・・
車掌は驚いて、思わず声を上げそうになったが、すぐにそれを呑み込んだ。
そこには女性などいなかったからである。
端席の背もたれの部分に、真っ黒い大きなシミがついていただけだった。
と、安堵したのも束の間、真っ白い手が、女性車掌の肩を掴んだ・・・
キャッ・・・
「どうかしたかい?」
先輩車掌、“江上”だった。 新米女性車掌、“清水”の教育係である。
「もう、江上先輩・・・びっくりさせないでください・・・」
「そんなつもりじゃ無かったんだけどなぁ。
それよりも、お疲れの顔をしているけど、大丈夫?」
江上の心配そうな表情が、陶然とした清水の“上の空の視界”に映り込む。
「こんな、夜遅くまで働いてさ、しんどくない?」
「・・・いえ、そんなことないです。私、子供の頃から憧れだった鉄道の仕事に就けて、とても嬉しいですし、誇りに思っています。辛いと感じたことは、一度もないです」
それまでの顔が嘘だったかのように、精一杯の笑顔が振りまかれる。彼女はまだ若い。
バイタリティーや希望に満ちた人材だ。本当は辛いこともあるだろうに、それを見せない。
健気じゃないか?
「・・・あ、あのぅ・・・一つ、お聞きしたいことがありまして・・・」
「ん?」
「・・・こ、この染みってどうにかできないですかね・・・何か、不潔ですし」
そんなことを言いたいわけではなかったが、話をつなぐためにも、とりあえずこの染みを利用するしかなかった。
しかし、継ぎ接ぎの話題に対する江上の返答は意外なものだった。
「ああ、このシミね。シートを何回張り替えても浮き出てくるんだよね、それ」
「え・・・?」
「俺が先輩から聞いた話では・・・」
今から20年以上前。
臨月を迎えた妊婦が、この優先席に座っていた。夕暮れ時だった。
その妊婦は心臓に持病を抱えていたそうで、子を孕むことによって心臓に相当大きな負担がかかっていたらしい。普段の生活でも、健康な人なら気にならない階段の昇り降りや、軽い運動などにも細心の注意を払う必要があった。無論、出産では母子ともに命の危険にさらされるだろう。
しかし、「絶対に自分で産みたい」と、医者の反対を押し切るほどの強い意志を持っていたそうだ。産まれてくる赤ん坊のために、産む前から各種ベビーグッズを揃えてしまうほど、お腹の中の子を寵愛していたのだ・・・
「そんな彼女がね、乗車中に突然、心臓麻痺になってしまったらしく・・・ここで座ったまま眠るように息を引き取られていたんだ・・・お腹の中の子も一緒に、ね」
車両の真ん中あたりの席で、酔っぱらって眠り込んでいた中年のサラリーマンが突然目覚めた。
そして、優先席の前で立ちすくんでいる車掌を不思議そうに見ていた。
「そのシミは、母親の無念さの“あらわれ”だとか・・・それで消えないのかもね」
「・・・」
話はこれで終わらないよ
「しかもね、お亡くなりになってから50分ほど、誰にも気付かれずにいたそうなんだ。
終点に着いて、当時の車掌に声を掛けられるまで・・・
冷たいのかな? 人って・・・」
「・・・」
清水はこのとき、何も答えられなかった。
「あくまでも、先輩から聞いた噂みたいな話だからさ、そんなにしんみりしなくても・・・」
「・・・いえ、私がもし乗客としてその電車に同乗していたら、気付けなかったはずです。
車掌としても気付けたかどうか・・・そう思うと、何だか・・・未熟な自分が情けなくて、悔しくて・・・」
彼女の瞳にたまる液体は、ただ単に同じ女性として、亡くなった妊婦に同情する悲しみから生まれるだけではない。
何故だかわからぬが、自責の念に苛まれてわき出てくるものでもあるようだ。
だとしたら、その涙は美しいのか?
「俺は、この話の教訓を車掌として見出すことにしているぞ。
我々の仕事は、お客様を運ぶことだけじゃない。お客様の“命”を運ぶこと、だってな。
自分の好きな業界で働けて嬉しい清水の気持ちはよくわかる。でもな、それ以上にもっと大切にしないといけないものがあるんだよ・・・」
「・・・はい・・・」
江上の厳しくもあり、優しくもある言葉が、清水の珠のような涙を一筋、頬に伝わせた。
酒に酔っているわけでもないのに、おぼつかない足取りのリクルートスーツの男は、真夜中なのに、真っ昼間のような輝きを放つ建物に入って行った。
駅近のコンビニエンスストアだ・・・
コンビニは、いい。 今の彼には、天国のような空間だ。
いつでも彼を受け入れてくれるし、大概のものは揃っているから・・・
彼の入店を知らせるチャイムも、天使が奏でているように聞こえて心地良い。
こんな存在の俺を、歓迎してくれるんだ・・・いらっしゃいませ・・・・・って
しかし、彼は呆気なく現実に突き落とされた。・・・いや、自分で堕ちた。
彼の目に飛び込んできたのは、入り口付近に置かれた、無料の“求人情報誌”だった。
目障り、だ。
そんなもの、ココに置くなよ。 ココではそんなものを望んでねぇんだよ。
彼は、求人情報誌の積まれた棚を蹴飛ばしかけたが、別物でその気を紛らわすことにした。
あああああ・・・・・胸糞悪いだろ? こんなときは、酒にかぎるぜ、酒。
彼はカップ酒を二つ、購入した。財布の悲鳴など、聞こえなかった。
「じゃ、またね!・・・・・何回でもいいからさ、うちに遊びにきてよー」
コンビニの外には、タクシーを呼び止めて女を送り終えた、スーツ姿の若い男がいた。
コンビニの中から出てきた男とは異なり、スーツ姿が様になっていた。
似ているようで似ていない二人は、高校からの同級生で、親友でもあった。
「お? おいおい! 関島だろ? 久しぶりだなぁ・・・元気だったか?
連絡こないからよ、心配したんだぜ?」
しょげた“関島”の肩をがっしりと掴んできた親友は、“石山”という。
かなり酒臭いから、相当飲んで、飲まれてもいるようだ。
「よ・・・よぉ、久しぶり、だな」
なぜ、このタイミングなのだろう・・・悪すぎやしないか・・・
「何だ? 元気がないな。 何だ、それ? 酒か? まぁ一杯やろうぜ!」
石山はレジ袋の中を強引にまさぐって、関島のカップ酒をひとつ、手に取った。
「・・・はいはい、わかったから・・・」
関島は石山に“よりかかられながら”も、海の見えることで有名な公園にやってきた。
とりあえず、この重たい石山をベンチに座らせたかったからだ。
ただ、ここへ男二人で来ると、少々目立った・・・
彼らの周囲には、お熱いカップル達がたくさんの愛を育んでいたから・・・
なるべく人目につかないベンチを選んで、二人は何とか席についた。
関島がカップ酒の蓋を開けて、静かに口をつけようとした刹那・・・
今にも眠りに落ちそうな目の石山が、蓋の開いていないカップ酒を、星が瞬く夜空にかかげた。
「くぁんぷぁ~い・・・」
石山は何に乾杯したかったのだろう?
・・・・・おい? 寝ちまったのかよ・・・・・答えてくれよ・・・
でも、おそらくは、ハッピーなことに、なのだろう・・・
・・・・・俺か?・・・俺は・・・・・就職試験の全滅に・・・完敗だ・・・
酒に酔ってきた関島の、氷塊と化していた心が少しずつ融け始めた。
話し相手は生憎、夢の中だが、逆にそのほうがよかったのかもしれない。
空いたカップに、愚痴を注ぎ込めばいい。
「わりぃな・・・もう少し飲ませてくれよ・・・」
石山の手から離れたカップ酒を、関島は飲む。
60社は受けたかな・・・・
今日、いや・・・昨日、だったな・・・不採用と言われた会社、結構気に入っていたし、面接も手応えあったんだぜ? 何がダメだったのか、わかんねえよ・・・・・
自分にできることは、もう、全部やり尽くしたと思うんだよ・・・
もう間もなく、大学も卒業だ・・・新卒でいられなくなるのか・・・絶望的だよ。
石山は大学にストレートで入ったよな? こう見えて頭イイからな、こいつ。
彼女もいるみたいだし・・・
俺は、二浪して、ようやくお前と同じスタートラインに立ったんだよな・・・
それで、いざ就活をスタートさせたら・・・この就職氷河期が重なるのかよ・・・
どれだけ“ついてない”んだ・・・・俺は。
もう、一年以上も就活マラソンを走り続けているよ、な。
さすがに疲れたよ・・・・
ゼミにでも所属していれば、有利に就職できたかも、な。
バイトが忙しくて・・・は、逃げの口実だよ、な・・・
そのバイトで貯めた金も、底を突きかけているし・・・
母ちゃん、元気にしてっかな・・・女手一つで俺を育ててくれたよな・・・
大手企業に就職して、ばっちり知らせるから、それまで心配するなよ!・・・
とか言って、余裕かましていたけど、親不孝でダメなヤツだよ・・・俺は・・・
今日の酒は、やけに“しょっぱい”な・・・潮の香りがするからだよな、きっと。
気がつけば、朝になっていた。この時期の公園の朝は、まだ冷える。
おそらく、その寒さで目を覚ました石山は、しばらくの間、自分の置かれている状況を呑み込めなかったようだ。
「お? おいおい? お前、関島だよな? 起きてくれよ・・・」
関島は久しぶりに深い眠りに落ちていたようで、石山に揺さぶられても、なかなか起きなかった。
いつまで寝ているつもり? 早く起きなさい!
「・・・なんだよ・・・気持ち悪くなるからやめろよ・・・」
「お、やっと起きたか・・・なぁ、こんな寒い所、さっさと出ようぜ」
「ああ・・・どこいくつもりだ?」
関島の腹が、大きな唸り声を上げた。昨日から、酒以外何も口にしてない。
「腹、減っているみたいだな。 牛丼でも食いに行くか? 俺の奢りでいいからよ」
二人は牛丼屋で朝食を済ました後、石山の住むマンションに行った。
T線の終着駅であるS駅の、すぐ近くにそびえ立つ高級マンションだ。
石山は、7階の1LDKの部屋に、学生の頃から一人で住んでいる。
24歳の石山がここに住めるのは、父親がT鉄道会社の社長だからである。
直接援助もできるが、顔が利くから、その必要は無いらしい。
それに、石山が勤める会社も、T鉄道グループの一社だ。父の鶴の一声で、いくらでも恩恵を受けられる。実際のところ、就職面でそれ以上のコネは無いだろう。
「そうか・・・内定貰えてないのか・・・つらいよな・・・」
「・・・ああ」
「チカラになりたいのは山々だけど・・・そうだ、オヤジに相談してみたらどうだ?」
「いや、お前のオヤジさんに迷惑掛けるわけにはいかないだろ・・・」
「そんなこと言うなって・・・お前さ、優しすぎるところがあるからな。たまには人の好意に甘えてみたらどうだ?」
「気遣いはありがたいけど・・・」
「おっと、その先は黙っとけ・・・今から俺がオヤジに電話するからさ、冷蔵庫にあるものでも食って待っとけよ・・・」
「・・・お、おい・・・」
関島の性格上、それ以上の口は挟めなかった。石山は、すぐさま父親に電話して、明日の朝に会う約束を取ってしまった。
翌日の朝。相変わらず、まだ寒い。
石山の父は、広すぎる自宅の庭に造られたグリーンで、ゴルフのパッティングの練習をしていた。
「ご無沙汰しておりました・・・関島です」
「久しぶりだね、関島君。まぁ、堅苦しい挨拶はやめようじゃないか・・・」
6ヤードほど離れた地点から打たれたゴルフボールは、奇麗にカップインした。
「お見事です・・・」
「これぐらい、たいしたことはないさ。練習すれば、できるようになるものだよ」
「はい」
就活も、そうなのだろうか? 場数を踏めば、受かるものなのか?
「関島君、高校二年生の頃に倅がお世話になったそうだね?」
「え・・・? いえいえ、お世話になっているのはこちらです」
「そんなに謙遜しなくていいのだよ。君は、人のためなら自分を犠牲にできる男だろう?」
石山の父が言わんとしたことは、わかった。・・・正確には、思い出した。
高校二年生の頃、期末試験を終えた関島と石山は、学校の近くのドラッグストアを冷やかしに行った。関島は、本当に冷やかしていただけだった。しかし、石山は整髪料を万引きしていた。試験の出来が悪くてムシャクシャしていたらしい。そのまま店を出た瞬間、二人は店員に呼び止められ、店の奥に連れていかれた。
・・・そして、パイプ椅子の被告人席についた。
「お前ら、学生か? まったく・・・万引きしたの、初めてじゃないだろう?」
「初めてだよ、はい、ゴメンナサイ」
明らかにふてぶてしい態度で、石山は謝罪した。
「おい、本気で謝っているつもりか! 万引きは“犯罪”なんだぞ? 遊び半分でやって済まないことぐらいわかるだろ!」
・・・チッ
憤怒する店長の神経を逆撫でするように、石山は舌打ちをする。
「そうか、反省していないようだな・・・じゃあ、警察を呼ぶことにする」
店長が電話に手をつけようとしたとき、それまで沈黙を守っていた関島が堰をきったように、石山の免罪を訴え始めた。
「警察だけは、勘弁してください・・・。コイツは、悪くないです。万引きするよう指示したのは、俺です。・・・悪いのは俺です。・・・俺の家、貧乏だから・・・。どうか、コイツだけは赦してやってください。
警察なら、俺一人で行きますから・・・・・・・」
・・・どうか、お願いします!
関島は席を立ち、土下座して懇願する。
「・・・・・」
店長は、手を止めた。
「・・・・・わかった。座ってくれ。・・・今日のことは無かったことにする。
・・・・・整髪料ひとつだけ、だからな。 いいか、今回だけ特別だぞ!
赦してやるが、その代わり・・・もう二度、こんなことするなよ・・・」
・・・・・二人は釈放された。
店を出る去り際、店長が石山に言っていた。
「君、いい友達を持ったな。・・・・・大切にしろよ」
「恩は恩で返すというのが義理だ・・・ 愚息の代わりにね。
それで、私なりに色々考えたのだが、やはり、鉄道業界も不況には勝てなくてね。
正規の椅子は、残念ながら用意できないが、割と楽にできる、いい仕事がある・・・」
石山の父は、ピンから7ヤードほど離れた地点でパターを構える。そこから近すぎず、遠すぎない場所で、関島は彼の話に耳を傾ける。
「優先席に座るだけの仕事なのだが・・・・・・平日の午後、1時間半ほどでいいから、ウチのT線に乗って、優先席に座ってくれればいい。楽だろう? 一日、一万円を支払うよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。ご好意は大変ありがたいのですが、優先席に座るだけって・・・失礼ですが、それって仕事と言えますか? 何か変ですよね?
・・・その・・・つまり・・・誰のためにもならないですよね?」
「フフフ、それは誤解だよ、関島君。君のためにもなるし、君以外のお客様のためにもなる、立派な仕事だ」
「なぜです?」
ピンとの間合いをはかりながら、石山の父は慎重に素振りをする。
「最近の人達の心は冷え切っていると思わないかね?
私はね、鉄道業界に何十年と腰を据えて、自身でも鉄道を利用し続けてきたから、直にその寒さを感じている。特にね、昔の優先席には、色々なドラマがあったものだよ。席を譲り合ったり、それをきっかけにして話が弾んだり、子供の頃はご褒美が貰えたり・・・あの頃は、暖房など使わなくても不思議と暖かかったものだよ。 だがね、今の人は、人との触れ合いを避けているように思うのだよ」
「・・・はい。 おっしゃる通りです」
「関島君は、いまどき珍しい、心の暖かい人間だ。人柄が容姿に表れているよ。それに、まだ若い。君が優先席に座っていたら、それを見た人はどう感じると思うかね?」
「・・・ええっと・・・」
石山の父は、真っ青なグリーンの状態を読んでいる。
「まぁ、よくは思わないだろうね。でも、それが大事なのだよ。そうやって何かを考えることすら忘れているようだからね、最近の人は・・・。そこで、だ。君には、人の心を暖めるための点火スイッチになってほしいのだよ・・・」
「点火スイッチ、ですか・・・?」
「そうだ。あえて君のような若者が優先席に座り、その席を必要としているお客様がご乗車してきたら、積極的に席を譲る。簡単なデモンストレーションだよ・・・すると、周りのお客様がその光景を見て、自分も席を譲ろうかなと、心に火が点く。まぁ、最初に優先席に座るぶん、君の役回りは損かもしれないが・・・」
「確か、僕のためにもなると、おっしゃいましたよね?」
「ああ、もちろん。君にとっては社会勉強になることだろう。電車には、様々な人が乗ってくるから、優先席に座ってこっそりと人間観察をするといい。今まで見えなかった何かが見えてくるはずだよ」
「ただ優先席に座って、機会がきたら席を譲るだけで、本当に良いのですか?」
「フフフ・・・。とことん真面目だね、関島君。心配はいらない。給料もちゃんと払うし、全然ハードな仕事じゃないだろう? 断る理由が私にはよくわからないがね・・・
やること自体はボランティアに近いかもしれないが、君ならしっかりやってくれると信じているよ。あとの詳しいことは、部下にメールで伝えるように言ってあるから、君のアドレスだけ教えてくれ・・・」
「は、はい・・・」
関島は自分の携帯電話のメールアドレスをメモ帳の切れ端に書いて、石山の父に渡した。
そのあと石山の父が打ったボールは、カップを大きく外れて転がっていった。
チッ・・・
「せっかくの貴重な休日を、僕のために割いて頂き、ありがとうございました・・・」
関島がその場を去ろうとすると、石山によく似た父は、彼を呼び止めた。
「待ちなさい。大事なものを渡しそびれるところだった。これを使いなさい」
ポケットの中のカードケースから取り出したのは、真っ黒なカードだった。
「それは“ヨコハチカード”といってね、関係者だけが使えるカードだ。日光に当てると∞(無限大)のマークが浮かび上がってくるだろう? それが数字の8を“よこ”にしたように見えるから、ヨコハチカードというのだよ。これを持っていれば交通費はかからないも同然。無限回、電車を乗り降りできるぞ・・・新幹線はダメだがね」
「そ・・・それはすごいですね・・・そんなに素晴らしいもの、頂いていいのですか?」
「いいとも。ただ、悪用されるとまずいから、肌身離さず持ち歩いてくれ」
「はい。いろいろとご配慮のほど、ありがとうございます」
関島は帰りの改札機で試しにヨコハチカードを使ってみた。
すると、残額表示が∞になっているだけで、機械はいつもと何も変わらぬ反応を見せた。
便利なカードを貰ったものだ。
T線の終点であるS駅から5つ先の、M駅周辺のアパートに関島は一人で暮らしている。
二年前までは母も一緒に住んでいたが、現在は高齢の祖母の世話をするために実家に戻っている。
関島が帰宅したのを見計らったかのごとく、携帯がメールの着信を知らせた。
石山の父の部下である、江上という車掌からのメールだった。
内容は、「優先席に座る仕事の詳細について」
・勤務日は平日の午後3時30分から。S駅の1番ホームで同時刻発の電車に乗ること。
・座る優先席は5両目よりの、前から“4両目の席”で、横に非常用の消化器が備え付けられている一番端の席。4両目は乗換に便利で人々の乗降回数が多く、無差別で目につきやすいからそこに座ってほしい、とのこと。
・給料は、日払いで支給。まずは、5時にO駅で下車する。これで仕事は終わり。
そして、O駅の駅長にヨコハチカードを提示し、名を名乗れば現金で給料を渡してくれる、とのこと。
・注意点としては、関島が座るべき優先席は「常に誰かが座っていなければならない」ということ。席を譲ってもいいが、空席になることは避けてほしい、とのこと。
・明日から働いてほしい、とのこと。
彼がやるべきことは、大体把握できた。こんな待遇のいいバイトなどない。楽すぎる。
さらに、監視の目がないから、サボることもできる。
もっとも、真面目な彼の場合、それはあり得ないが・・・
やれ、と言われたことは、しっかりとやるのが彼のポリシーである。
内心、注意点が多少気になっていたが、なぜそこに座らなければならないか、という疑問は報酬につられて掻き消されていた。
・・・・・人目につけば、端席に座る必要など無いのである。
関島が見えなくなったあと、石山の父は電話で話していた。
「言われた通りにしたぞ・・・ああ、ちゃんと渡したよ・・・“冥土への切符”だろ?」
月曜日になった。
彼は、仕事で優先席に座る、若造になっていた。
平日の午後ということもあり、車内は比較的空いている。優先席に座っているのは、関島と老婆、老父の三人だけだった。席を譲ろうと意気込んではいたが、チャンスがなかった。
ふと、“普通”の席の方に目をやると、ほとんどの席はうまっている。
それなのに、ホームから流れ込む人々は、普通の空席に座ることを目指していた。
関島にはそれが、優先席に座ることを避けているように見えた。
窮屈な普通の席よりも、優先席の方が座り心地がいいはずなのに、なぜ“普通”の人達はこちらに座りたがらないのだろうか?
優先される立場になりたくないのか? あくまでも普通の人でいたいのか?
・・・それとも、拒絶反応か?
目の前の、誰も座っていない優先席の、黒いシミが目に焼きつく。
汗のしみ、か・・・・・? ちゃんと掃除しているのか?
その日は初仕事であったが、期待されたようなことは全く何も起きなかった。
ただ、給料は、ちゃんと支払われた。・・・・・おいしいだろ?
早くそこから立ちなさい!
しつこいヤツめ・・・まだ俺の邪魔をする気か?
火曜日になった。
彼は、遊びで携帯電話のボタンをつつくだけの、ゲーマーになっていた。
ただ座っているだけじゃ、つまらないからね・・・
「席を譲るのが仕事だろ」って?
・・・大丈夫、席は譲るよ。気付いたら、ね。今、いいとこだから静かにして・・・
「サボっているだろ」って?
・・・それだったら、ココに来ないよ。ほら、見てよ。仕事場には来ているよ・・・
「真面目にやれよ」って?
・・・は? ゲームで遊んじゃいけない、って言っていましたっけ?
ゲームで遊んでいたら、みなさん不真面目ですか? そう簡単に決めつけますか?
優先席付近では、携帯電話の電源をお切りください・・・
機械的な女性の声で、車内アナウンスが流れた。
モバイルゲームの世界に入り込んでいた関島には、その声は雑音程度にしか聞こえない。
窓にはわかりやすくシールも貼られているのに、彼の目は携帯電話の画面から離れない。
優先席付近では、携帯電話の電源をお切りください・・・
2回目のアナウンスがようやく耳に入り、関島は、ハッとした・・・
自身が今置かれている状況では、自分が殺人者になってもおかしくないということに気付いたからである。
心臓にペースメーカーをつけている人が近くに寄れば、その鼓動を止めかねない・・・。
ふと顔をあげると、前の席に座っている、立派なスーツを着た中年の男も携帯電話をいじくっていた。関島よりも相当歳を召しているはずだ。
いい歳のオッサンが、マナー悪いぜ・・・
それさぁ、本当に今ここでやる必要があるのかよ・・・どうせ、愛人へのメールだろ
思い切って声に出して、そのように言う勇気など、微塵もない。
自分はこっそりと携帯電話の電源を切った、卑怯なヤツだ。
言ったとしても、お前に言われる筋合いはない、と一蹴されることだろう。
みんなやっているし、誰も注意しないし、やったところで罰せられるわけでもない。
だから、アナウンスは流れ続けるのか?
誰もやらなくなれば、わざわざアナウンスする必要はないよな?
水曜日になった。
彼は、ミニスカートをはいたギャルに、オスの目線で虜になっていた。
彼の真向かいの優先席に座っているのだから、その姿は否応なく目に入ってくる。
何を考えている?
見えそうで、見えない・・・
すやすやと、かわいい寝顔で眠っているな・・・
どこを見ている?
・・・下劣な考えを持つケダモノが
頭の中でなら何をしてもいいと思っているのか?
別に・・・減るものじゃないし・・・第一、迷惑かけてないから、いいだろ?
それがどうした? 同じ理屈が通れば、お前は何でもする気か?
とりあえず、その薄汚い目を閉じてみろ・・・・・
漆黒の空間で、関島は女の残像を泳がせてみた。
おそらく、乗り込んできてすぐに、その席に座ったはずだ。
そして、間もなく目を閉じた・・・
女は寝たふりをしていたようだ。
ほどなくして目的地の駅に着き、ドアが開くと、彼女は瞬く間に席を立っていなくなった。
少しでも席を譲ろうとする気持ちが、彼女にはあっただろうか?
ギャルと入れ替わるかのように、腰の曲がった老婆が、杖をつきながら電車に乗り込んできた。関島は、席を譲ろうとして腰を上げかけたが、その思いはすぐに老婆心と化して、粉々に砕け散った。
老婆はその見た目と違って、自分の席を確保するために、ヒジョウなまでの俊敏な動きを見せたからである。
・・・あのね、優先席は逃げたりしないよ、おばあちゃん・・・
老婆は、シミのある優先席が、さも自分専用の席であるかのように、どっかと腰を落ち着けた。入れ歯がうまくかみ合っていないのだろうか、口をもぐもぐさせている。
そこ以外は目標達成出来てご満悦、といったところだろうか。
さらに、老婆はプラットホームにいるときから、優先席の椅子取りゲームへの闘志をむき出しにしていた。電車がホームに到着するのを並んで待っていた人達など全く気にせず、後ろから割り込んで、いの一番に車内に突入してきたのだ。
彼女には、優先席に座る資格があったのだろうか?
・・・少なくとも、席を譲ろうという気持ちだけは、無かったにちがいない。
しかし、そこまで「席に座ること」へ執着する気持ちが生まれるのは、なぜなのか?
普通の席に座る普通の人々も、座ることに囚われて、譲る気持ちを忘れてはいまいか?
あの老婆は、他者の心が冷え切っているのを見越して、目に見えない寒い場所で、攻撃的な熱戦が繰り広げられているとでも思いこんでいたのだろうか?
・・・・・それこそ、まさに“冷戦”だ・・・
「はぁ・・・つかれた」
老婆が、もごもごとつぶやいた。
周囲に? それとも、自分に? それとも・・・
木曜日になった。
彼は、駅構内の自販機で買った缶コーヒーを優先席で飲みながら、すっかり仕事を終えた気分になっていた。
まだ、勤務時間中だぞ?
ころころころころ・・・
誰かが飲んで捨てた缶ジュースの空き缶が、関島の足元に転がってきて、止まった。
これぐらいゴミ箱に捨てろよ・・・
捨てたのは俺じゃない。俺は、関係ない。
俺は、これを捨てたヤツとは違うぞ? 俺は、良い子だからな。ちゃんとポイするよ。
・・・違うのか?
・・・なんだ?
・・・・・臭い。 戻しそうになる。
ここは無法地帯だな・・・どれだけ腐ったら気が済む?
・・・このニオイ、何とかしてくれ。反吐が出ちまう。
電車内だというのに、煎餅やらポテトチップスやらのニオイが漂ってくる。
TPOって言葉を知っているのか? 菓子をボリボリと貪り食っているヤツらは。
ここはな、公共の場だぞ? お前らの家と一緒にするなよ・・・
俺が持っているのは、コーヒーだ。良いニオイだろ? お前らと一緒にするなよ。
違うのか? ・・・ああ、違う。 お前は間違っている。
お前の言うことは全て、自分を正当化するための口実じゃないか・・・
そこまでして、自分を守りたいのか? 良く思われたいのか? 良く見られたいのか?
他人のことを考えているようで、お前は自分を自分で“最優先”に考えていたんだ・・・・・
ずぅーーーーーーーっと、そこに居座っていた。
・・・やっと気付いたか。
・・・滅茶苦茶カッコ悪かったぞ・・・お前。
・・・自分を中心に世界が回っているとでも思ったか!
本当の自分と、今一度向き合ってみろ!
早くそこから立ちなさい!
・・・・・なんだよ・・・お遊びはここまで、か?
関島は、転がってきた缶も拾って、さっさとその電車から降りた。
金曜日になった。
彼は、高熱に魘されて意識が朦朧とし、寝床で身動きがとれなくなっていた。
彼の気付かぬところで、某心霊サイトにこんな書き込みがされていた。
「死人の憑いた優先席」
心霊ファンのみなさまへ
自分の“死に顔”って見たくありませんか?
見たい人は、これをお試しください。簡単ですよ!
T線に、U駅がありますよね?
U駅には、午後四時二十七分発、O駅行きの電車があります。
その電車の、前から4両目の車両には“染みの付いた優先席”があるはずです。
そこに座ってください・・・その席の染みって、悪霊の怨念らしいですよ・・・
さて・・・電車が動きだすと、1分ほどでトンネルに入ります。
車内は暗くなりますよね?
そのとき、アナタの顔は向かいのガラス窓に映ります・・・その顔がアナタの死に顔です。
悪霊の怨念がアナタにとりついて、冥界の目を貸してくれますよ。
しっかりと、その目に染み込ませてくださいね・・・
注意!
前の席に人が座っていて、自分の死に顔が見えないからって
その人を消したりしないでくださいね(笑)
情報提供:バートルート=デス様
S大学の心霊研究同好会の学生は、このサイトの常連で、誰よりも目敏くこのネタを掴んでいた。
そして、半信半疑で貶しながらも、男女二人の学生がネタの検証に派遣された。
面白半分の死に顔見たさで、サイトに投稿された情報を正確に実行中であった。
「笑い顔が死に顔とかマジでありえねぇし・・・ガセネタだったな・・・」
ガラス窓に映ったのは、男子学生の、人をバカにしたような笑顔だった・・・
「ねぇ、せっかくN駅まで来たことだしさ、どっかで暇つぶそうぜ」
「やだぁ・・・そうやって変なとこに連れていくつもりでしょ?」
女子学生の左手の平が、男子学生の右肩をはたいた。思いの外、強い力であった。
男子学生はよろけながらも、へらへらと笑っている。
「へ? “変なとこ”って、どこっすか? “こういうとこ”っすか?」
男子学生は女子学生の腹部をくすぐろうと思い、手を伸ばしたが女子学生は即座にその手を振り払う。
「もぅ・・・違うよぉ・・・もっと変な“とこ”で、変な“こと”したいの・・・」
すると、女子学生の方から近付いてきて、男子学生の腰元にそのしなやかな手を回した。
そして、リンスの甘い香りがする頭を、猫のように男子学生の胸にこすりつける。
「あれ? ツンデレちゃんになっちゃったのかな?」
男子学生は女子学生の肩に手を回しかえすことで応じる。
「ココじゃダメ。人がいっぱい見ているから・・・トイレの裏にいこうよぉ」
二人は密着したまま、駅のホームではちょうど死角になる場所に建てられたトイレの外壁まで歩いていき、女子学生が壁側になって、もたれかかった。
「さぁて・・・変なとこに到着したよ・・・どんな変なことをするのかな・・・?」
男子学生の、影を伴った気味の悪い笑顔が、女子学生に迫ってきた。
女子学生は、男子学生の汚れた笑顔に、生理的に受け付けない嫌悪感を抱き、我に返った。
「キモいんだよ! この、ヘンタイ!」
「うわっ!」
女子学生の両手の平に突き飛ばされた男子学生は、ホームから転落した。
彼は、線路に後頭部を強く打ちつけて、即死した。
さすがに、常識的に見れば、彼の死に顔は笑っているようには見えなかった。
フハハハハハハ・・・
しかし、彼は笑い続けているだろう。くだらん一生だった、と。
・・・・・もちろん。 鏡のない、地獄の底で
一方、死体の第一発見者となった女子学生の目には、彼の死に顔が安らかに笑っているように見えた。笑っておいて貰わないと、彼女が困る。
死人に口は無い。
地獄で笑い続けていろよ・・・
・・・これって、正当防衛ですよね? 私は悪くないですよね?
話はこれで終わらないよ
涙を拭った清水は、唐突な質問を江上にぶつけた。
「その亡くなられた妊婦さん、どこに向かわれていたのでしょうか?」
「ん?」
「行き先、ですよ・・・」
「・・・ああ、そういうことか・・・きっと、自分の家に帰るところだったと思うよ」
異常な高熱に侵され続けていた関島の肉体は、その全部から汗を噴き出させた。
その汗も次第に干上がり、干からびかけて痙攣し始めた彼は、完全な脱水症状に陥っていた。
築何十年のアパートであるかは不明だが、蛇口を捻れば一応、大量の水が出てくる。
しかし、寝床から出られない。体が動かない。
まさか、金縛りって、このことを指すのか?
みずをくれ、みずをくれ、みずを・・・頼む、俺にみずをくれ・・・
雨・水乞い、および、命乞いをしたところで、ここでは何も起きない。
乞えば乞うほど、体が熱せられるだけだ。
必死な彼を嘲笑うかのごとく、蛇口の先から一粒の雫が滴りおちる。
うう・・・洪水でも起きてくれ・・・アパートごと俺を流してくれ・・・
他にも、歩いて一、二歩の距離に冷蔵庫というオアシスもあった。
ただ、そこまで歩く体力も、気力も、既に尽きかけていた。
寒い・・・
人の肉体は、耐えられる熱さの限界に近付くと、寒さを感じるようにできているらしい。
よく、できている。
いや・・・・・違う。
それは確かだが、この冷たさは・・・それとは明らかに質が違う。
身の毛がよだつ・・・? 背筋が凍りつく・・・? 寒さだ。
なんだ?
玄関から冷気が吹いてくる。戸締りは、万全にしている。
ドアが勝手に開くはずがない。
何とか動く横目で見ても、玄関のドアは閉ざされている。
やはり、身を守るための身体的な寒さか・・・
・・・あれ? 目隠し用の暖簾なんて、あったっけ?
花柄のひらひらした布が、彼の見た玄関の天井付近に、音も無く揺らいでいた。
彼は、一度目を閉じてみた。
この安心感はなんだろう?
一度、経験したことがある・・・
揺り籠に入って、ゆらり、ゆらりと、揺さぶられている気分だ・・・
天国?
・・・でも、真っ暗だから、地獄?
なんだ? 顔が、かゆい・・・
眩しい光に照らされて、かゆいわけではない。
まるで、顔面を筆で擽られている感触だ。
関島は、ゆっくりと目を開けた。
白目を剥いた長い黒髪の女が、彼の目と鼻の先にいた。
・・・ボロボロになった、花柄のマタニティードレスを着ている女だった。
関島は、恐怖心という通過駅をあっという間に通り過ぎた。
彼の終着駅は、自分の意志とは無関係な「強制的に目を閉じること」になっていた。
・・・その子は、アナタの子ではないのよ
関島が眠る枕の下で、何かがパキッと折れる音がした・・・
話はこれで終わらないよ
石山父子の描いたシナリオは、こうだ。
関島の葬式。
参列者は・・・少ない。
アイツ、根暗なヤツで、友達少なかったからな・・・
まぁ、俺は、そんなアイツを不憫に思って“トモダチ”やっていたけど、ヤツと一緒にいると、・・・・・ホントつまんねぇ。 つーか、マジで厄介だったよ。
最近、コンビニの前で久しぶりに会っただろって?
・・・それって、タイミングが良すぎると思わないか?
・・・やめろよ、バカだなぁ。本気にするなよ・・・芝居だよ、芝居。
アイツがこの時期になっても就職先決まっていないって、大学の就職課の人から聞いたんだよ。・・・一応、トモダチだからな。心配してわざわざ聞きにいったわけよ。
俺って、イイヤツだろ?
それで・・・就職決まらないアイツがムシャクシャしてさ、重大事件でも起こしてもらっちゃ困るからよ・・・何考えているか、わかんねぇからな、アイツ・・・
トモダチの俺が、偶然の再会を演出してアイツを励ましてやったんだよ。
でも、結局ダメだったな・・・
・・・チッ
・・・事件といえば、高校時代にはこの俺を万引き犯に仕立てやがったな・・・
・・・あ、そうか。
ヤツは、根っからの犯罪者だったから、怪しいICカードを使って不正乗車を繰り返していたんだな・・・そんなことばかりしてっから、内定取れないんだよ。
私服警官が職務質問しに来て、慌てて逃亡したところ、線路に落ちた、無職の男。
そのまま電車に撥ねられ、死亡。
亡くなった彼に一言?
「・・・・・」
死人に口は無い
父さんは、どう思う?
(・・・・・恩は仇で返すものだ。よく覚えておけ。)
息子の同級生だった、関島とかいう、不良の若造か?
死人に対してこんなことは、言いたくないが・・・
ヤツは、我が息子の面子と輝かしい未来を潰しかけた、危険人物だった。
関島は、就職先が決まらずに、相当なストレスを抱え込んでいたらしい。
私の知り合いが経営する会社の求人にも、関島は押しかけてきたそうだな?
まぁ、あの程度の男を採用するほどのバカな友人を持たなかったことが幸いだよ。
・・・何? ウチのグループ企業にも応募していただと?
まさかとは思っていたが、何としつこく、厚かましいことか・・・
高校生の頃から寄生虫のように息子の周囲をウロチョロしおって・・・
挙句の果てには、自分の罪を無実の息子に擦り付けて万引き犯にする始末!
・・・チッ
その事件以来、息子には近付くなと警告しておいたのに・・・よくも、ぬけぬけと
それに加え、我々に情で訴えかければ仕事を貰えるとでも思っていたようだ。
いや、違うな・・・我々が社長と社長の息子だから接近してきたのだろう。
・・・まったく。甘い汁を吸おうとしていたハエが。
この世の中、そんなに甘いものじゃない。
まぁ、息子は優しい性格だから「あんなヤツでもいいところはある」と執り成しをしたな。
・・・出来すぎた息子だ。
しつこい関島には、しょうがないから私から簡単な仕事を与えたよ。
その代わり、今後一切、息子には近付くな、といってね。
どんな仕事かって? 優先席に座るお客様層を調査する、という仕事だよ。
高額の給料も払ったのに、彼の心はよほど蝕まれていたようだな・・・
しかし・・・
だからといって、電車内で正面に座ったお客様と目が合って因縁をつけられたぐらいで、その相手を暴行していいわけじゃない。
しかも、相手は私服警官だった。
ヤツが不正なカードを使って乗車賃を踏み倒していたから、秘かにマークしていたらしい。
その警官がいうには、決して因縁をつけたわけではなく、正当な職務質問だったそうだ。
ただ、ヤツが激しく抵抗したために一度電車から降ろして署まで連行しようとした。
すると、一瞬の隙をついて警官を殴り、拳銃を奪おうとしたのだ。
そして、拳銃を取り返すため、ヤツと揉み合っているうちに安全装置が外れて銃が暴発してしまった、という顛末だ。
亡くなった彼に一言?
「・・・・・」
死人に口は無い
もっとも、現実は・・・そうじゃない。
熱が冷め、意識を取り戻した関島は、蛇口を全開にして浴びるように水を飲んでいた。
関島は思った。
今日ほど水がうまいと思ったことはない。
身近にありふれているはずの水が、場合によっては遠い存在にもなると思い知らされた。
そして、少し意識を変えるだけで、その“ありがたさ”は変わるものなのだ。
当たり前のことに、感謝することを忘れていたみたいだな。
普段の彼なら、こんなことはまず考えなかっただろう・・・
乾いた体へ十二分に水分を行き渡らせた彼は、明鏡止水の境地に足を踏み入れていた。
・・・・・
静かな水面だ・・・・清々しい・・・
いつしか、胸のつかえも取れていた。
・・・・・関島は、無性に母の声を聞きたくなった。
夜も更けていたが、ここからだと片道5時間はかかる、母の実家に電話を掛けた。
「あ・・・母ちゃん? 元気・・・? ばあちゃんの具合はどう?
・・・そっか、それならよかった。 え? 俺? まぁ、何とかやっているよ。
・・・あれ? 就職のこと、聞かないのかよ・・・
・・・何だよ、そんなことどうでもいいって・・・え? 元気だったらそれでいいって?
・・・・・やめてくれよ・・・恥ずかしい・・・俺はもう、大人だよ。
・・・大丈夫、一人で何とかするって。・・・・・はいはい、わかったよ。
・・・そっちこそ、体壊さないようにしろよ・・・」
何か、焦げ臭いな・・・
枕元から、線香に火をつけたときに出るような白い煙が立ち上っていた。
急いで枕をどけると、枕の下に置いていたヨコハチカードが“焦げて真っ黒”になり、不自然すぎるほどきれいな形で、縦に真っ二つに折れていた。
・・・・・
無限回、電車に乗り降りできる。
・・・・・よく考えると、生身の人間にそんなことはできない。
できるとすれば・・・・・それは、この世の者ではない人達だろう。
そして、こんなものを使い続けていたら・・・
まず間違いなく彼は、“別のゲート”を通っていたことだろう。
アパートの大家から聞いた話によると
24年前、この部屋には若い夫婦が暮らしていたそうだ。
妻は身重であったが、虚弱体質だったらしい。
その日も電車に乗って、かかりつけの大きな病院へ行くだけ、のはずであった。
しかし、彼女と彼女のお腹の中の子は病院から帰る途中の電車内で息を引き取っていた。
つまり、生きてこの部屋に帰ってくることは二度となかった・・・・と、いうことだ。
旅立つ日、
関島は、この部屋の玄関に花を供え、赤ん坊をあやす玩具も一緒にそばへ置いておいた。
また、アパートの近所にある踏切のわきにも、同じお供えをして、静かに手を合わせた。
その後、関島は学生時代に働いていたバイト先でしばらくの間お世話になり、真面目な勤務態度が認められ、晴れて正社員として就職できたそうだ。
石山の父は、急逝したらしい。
まぁ、ゴルフでたんまりと汗を流した後にビールをガブ飲みし、熱い風呂に浸かれば心臓も止まる。
石山は、父の死後行方不明になったらしい。
彼の親族が石山の自宅マンションを整理していると、大量の黒い偽造カードが見つかったそうだ。さらに、机の上には遺書らしきものがあった。
「俺は、つかれた」と、一言だけ書き残されていたらしい。
話はこれで終わらないよ
「・・・・・車掌さん、大丈夫かい? お疲れの顔をしているよ。働きすぎじゃないか?」
「・・・・・は? どうかされましたか?」
「いやいや、それを聞きたいのはこっちだよ。さっきからさ、ここに突っ立って、独り言をつぶやいたり、突然泣き出したり・・・とにかく様子がおかしかったよ」
「・・・・・え?」
清水は後ろを振り返ってみたが、誰もいなかった。
後日、清水が人事部に問い合わせてみたところ、
「“江上”という名の車掌などいない」との答えが返ってきたそうだ。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
楽しんでいただけましたか? ・・・え? まだ物足りない?
・・・わかりました。そんなアナタに、本作から“なぞなぞ”を出しましょう。
Q1 私は象徴的な表現が好きなので、本作でもそれを多用しています。象徴的な表現とは例えば「鳩は平和の象徴」といった感じで、何かを別の何かに意味づけすると考えてください。
そこで、問題です。「一時十分」、「(妊婦が亡くなって)50分ほど」、「四時二十七分」はそれぞれ何を意味するでしょうか?
Q2 心霊サイトに書き込みをした「バートルート=デス」とは何者でしょうか?
※解答までのプロセスも答えてくださいね。そこがヒントです。
・・・・・これをわかったアナタは、スゴイです!
なぞなぞのご解答は、感想欄に書いて頂けると嬉しいです。もしくは、直接メッセージをお送りして頂いても構いません。
なぞなぞの答えは、皆様の反応を見たうえで私の活動報告にて公開するつもりです。